前回ブロクの冒頭で、2階の窓から見える電柱に、
カラスが巣を作っていることを書いた。
電力会社の高所作業車が来て、その巣を撤去した。
だが、カラスはすぐ、同じ場所に巣を作り直した。
そのしたたかさに、心打たれた。
ところが、この巣に関してその後があった。
巣を再生してから、カラスはその巣にしばしば飛来した。
時には、カァーカァーと、よく鳴き交わしていた。
耳障りだった。
それが、1週間も続いたろうか。
数日前のことだ。
再び、高所作業車が来た。
若干時間をかけて、電柱の梁から巣を取り除いた。
巣の形跡など、全く無くなった。
それから、どれだけ時間が過ぎただろうか。
甲高く鳴き交わすカラスの声が耳についた。
窓から電柱を見た。
代わる代わる、カラスがその電柱に飛来した。
そして、巣のあった場所や近くの電線に止まり、
鳴き叫んだ。
でも、やがてその声も消えた。
ところが、
巣のあったすぐそばの電線に、
2羽のカラスが並んで止まっていた。
鳴き声など聞こえない。
風もなく、辺りは静止していた。
2羽は次第に近づき、寄り添うようにしながら、
何度も何度もクチバシを交互に合わせた。
時には、そのクチバシで相手の羽をなでた。
一方は、静かにその行為を受け入れ、動こうとしない。
2羽は、巣を失った悲しみに耐えているようだった。
巣には、すでに産み落とした卵が、あったのかも知れない。
その落胆を、互いに優しく慰め合っていた。
私の目には、そう映った。
そんな2羽の仕草は、30分程続いた。
やがて、1羽が電線から離れた。
すぐもう1羽も同じ方向へ飛び去った。
以来、その電柱にカラスの姿を見ることはない。
春の陽気に包まれながら、
思いがけない『愛の巣』劇場に、
熱いものがこみ上げていた。
今は、コロナの時代である。
これは、『新しい生活』なんかじゃない。
今までとは『違う生活』をしなければならないのだ。
2羽のカラスのように、次へと飛び立つしかないようだ。
つい先日、朝日新聞の『折々のことば』の一文に、
思い悩んだ。
このコラムを執筆している鷲田清一さんが、
イタリアの作家・パオロ・ジャルダーノの
「コロナの時代の僕ら」から、次の言葉を紹介していた。
「今からもう、よく考えておくべきだ。
いったい何に元どおりになってほしくないのかを。」
そして、この作家はこうも言う。
「今までとは違った思考をしてみる・・・」。
『コロナは今「僕らの文明をレントゲンにかけている」のだからと』。
これから先、どんな暮らしになっていくのだろうか。
一読して、不安でいっぱいになった。
「レントゲン」の結果は、どんな変化を私たちに求めるだろう。
だが、思いとどまってみよう。
この渦中に私たちはいる。
この時代に暮らしている。
人ごとなんかではない。
ここで、私に「できることは?」。
それは、いつだって同じだ。
淡々と自分の足で1歩1歩進むことだけ・・。
どう思い悩んでも、それしかできない。
歩を進めながら、試行錯誤をくり返すのだ。
そして、徐々に軌道を整える。
私は、それだけだ。
当然、「今までとは違った思考」が求められる場面もあろう。
「元どおりになってほしくない」ことにも気づくだろう。
それでいい。
さて、そんな時代の学校についてだ。
校長職の頃、「学校だより」にこんな一文を載せた。
『 親は、どの子を育てるにも初心者(若葉マーク)だと言います。
最初の子でも、二番目、三番目の子でも、
その子を育てるのは初めて、初心者なのです。
初心者なら、きっと様々なミスがあって当然です。
何もなく順調に育てることのできる大人はどこにもいません。
初心者であることを自覚していたなら、
ミスに気づいたとき、きっと何のためらいもなく、
その行為を軌道修正できると思います。
今、この子にとって最良のことは何か、
それを考え働き掛けをする。
そこでそれが最良のことでないと気づいた時
〝若葉マーク〟をしっかりと意識し、
何のてらいもなく勇気をもってやり方を変える。
そんな親でありたいと思います。 』
この学校だよりには、保護者から反響があった。
数通のお手紙と、校長室まで直接声を届けてくれた方もいた。
どの人も、「子育ての最中、励まされた」と言うものだった。
教育関係だけじゃないが、今はみんな若葉マークだ。
3ヶ月ぶりに、子ども達が学校に戻ってくる。
子どもも先生も、こんな経験は誰もしたことがない。
学習の遅れが気になる。
だから、緊急避難策として、
高校生が、9月新学期制を提案した。
飛びついた大人、早々否定した大人、様々だが、
学校現場には、浮き足だってほしくない。
きっと多くの子どもが待ち望んだ学校の再開である。
みんなと一緒に過ごす時間を、どれだけ楽しみにしていたか。
新学期のスタートなのだ。
新しい出会いもいっぱいある。
新しい目標を見つける時だ。
そんな時、
「3ケ月間の遅れを、今日から取り戻します。
頑張ってください。」
そんな大人の事情を決して押しつけないでほしい。
先生たちには、3ヶ月の空白を跳び越え、
以前と変わらない雰囲気の学校で子ども達を迎えて欲しい。
そして、毎日をゆっくりとゆったりと構え、
一人一人の子どもに寄り添って欲しい。
子どもの心の内を知って欲しい。
3ヶ月のブランクについては、そこから策を練るのだ。
みんな若葉マークだ。
キャリアのある先生だって同じ、
管理職も同じだ。
学校の英知を集めるのは、子どもの今を知ってからだ。
今こそ、子ども理解に徹する時だ。
そして、一人一人のニーズに応じた指導策を練るのだ。
若葉マークだから、いつだって何のてらいもなく、
やり方をかえていいのだから・・・。
若干、横道になるが、
学校9月始まり案も、子供らを知ってから、
検討をはじめてほしい。
子どもの実態や学校の実践を見ないでの結論は、
不安を抱えて提案した高校生らに、
失礼なのでは・・・。
朝陽を受け サクラソウ
カラスが巣を作っていることを書いた。
電力会社の高所作業車が来て、その巣を撤去した。
だが、カラスはすぐ、同じ場所に巣を作り直した。
そのしたたかさに、心打たれた。
ところが、この巣に関してその後があった。
巣を再生してから、カラスはその巣にしばしば飛来した。
時には、カァーカァーと、よく鳴き交わしていた。
耳障りだった。
それが、1週間も続いたろうか。
数日前のことだ。
再び、高所作業車が来た。
若干時間をかけて、電柱の梁から巣を取り除いた。
巣の形跡など、全く無くなった。
それから、どれだけ時間が過ぎただろうか。
甲高く鳴き交わすカラスの声が耳についた。
窓から電柱を見た。
代わる代わる、カラスがその電柱に飛来した。
そして、巣のあった場所や近くの電線に止まり、
鳴き叫んだ。
でも、やがてその声も消えた。
ところが、
巣のあったすぐそばの電線に、
2羽のカラスが並んで止まっていた。
鳴き声など聞こえない。
風もなく、辺りは静止していた。
2羽は次第に近づき、寄り添うようにしながら、
何度も何度もクチバシを交互に合わせた。
時には、そのクチバシで相手の羽をなでた。
一方は、静かにその行為を受け入れ、動こうとしない。
2羽は、巣を失った悲しみに耐えているようだった。
巣には、すでに産み落とした卵が、あったのかも知れない。
その落胆を、互いに優しく慰め合っていた。
私の目には、そう映った。
そんな2羽の仕草は、30分程続いた。
やがて、1羽が電線から離れた。
すぐもう1羽も同じ方向へ飛び去った。
以来、その電柱にカラスの姿を見ることはない。
春の陽気に包まれながら、
思いがけない『愛の巣』劇場に、
熱いものがこみ上げていた。
今は、コロナの時代である。
これは、『新しい生活』なんかじゃない。
今までとは『違う生活』をしなければならないのだ。
2羽のカラスのように、次へと飛び立つしかないようだ。
つい先日、朝日新聞の『折々のことば』の一文に、
思い悩んだ。
このコラムを執筆している鷲田清一さんが、
イタリアの作家・パオロ・ジャルダーノの
「コロナの時代の僕ら」から、次の言葉を紹介していた。
「今からもう、よく考えておくべきだ。
いったい何に元どおりになってほしくないのかを。」
そして、この作家はこうも言う。
「今までとは違った思考をしてみる・・・」。
『コロナは今「僕らの文明をレントゲンにかけている」のだからと』。
これから先、どんな暮らしになっていくのだろうか。
一読して、不安でいっぱいになった。
「レントゲン」の結果は、どんな変化を私たちに求めるだろう。
だが、思いとどまってみよう。
この渦中に私たちはいる。
この時代に暮らしている。
人ごとなんかではない。
ここで、私に「できることは?」。
それは、いつだって同じだ。
淡々と自分の足で1歩1歩進むことだけ・・。
どう思い悩んでも、それしかできない。
歩を進めながら、試行錯誤をくり返すのだ。
そして、徐々に軌道を整える。
私は、それだけだ。
当然、「今までとは違った思考」が求められる場面もあろう。
「元どおりになってほしくない」ことにも気づくだろう。
それでいい。
さて、そんな時代の学校についてだ。
校長職の頃、「学校だより」にこんな一文を載せた。
『 親は、どの子を育てるにも初心者(若葉マーク)だと言います。
最初の子でも、二番目、三番目の子でも、
その子を育てるのは初めて、初心者なのです。
初心者なら、きっと様々なミスがあって当然です。
何もなく順調に育てることのできる大人はどこにもいません。
初心者であることを自覚していたなら、
ミスに気づいたとき、きっと何のためらいもなく、
その行為を軌道修正できると思います。
今、この子にとって最良のことは何か、
それを考え働き掛けをする。
そこでそれが最良のことでないと気づいた時
〝若葉マーク〟をしっかりと意識し、
何のてらいもなく勇気をもってやり方を変える。
そんな親でありたいと思います。 』
この学校だよりには、保護者から反響があった。
数通のお手紙と、校長室まで直接声を届けてくれた方もいた。
どの人も、「子育ての最中、励まされた」と言うものだった。
教育関係だけじゃないが、今はみんな若葉マークだ。
3ヶ月ぶりに、子ども達が学校に戻ってくる。
子どもも先生も、こんな経験は誰もしたことがない。
学習の遅れが気になる。
だから、緊急避難策として、
高校生が、9月新学期制を提案した。
飛びついた大人、早々否定した大人、様々だが、
学校現場には、浮き足だってほしくない。
きっと多くの子どもが待ち望んだ学校の再開である。
みんなと一緒に過ごす時間を、どれだけ楽しみにしていたか。
新学期のスタートなのだ。
新しい出会いもいっぱいある。
新しい目標を見つける時だ。
そんな時、
「3ケ月間の遅れを、今日から取り戻します。
頑張ってください。」
そんな大人の事情を決して押しつけないでほしい。
先生たちには、3ヶ月の空白を跳び越え、
以前と変わらない雰囲気の学校で子ども達を迎えて欲しい。
そして、毎日をゆっくりとゆったりと構え、
一人一人の子どもに寄り添って欲しい。
子どもの心の内を知って欲しい。
3ヶ月のブランクについては、そこから策を練るのだ。
みんな若葉マークだ。
キャリアのある先生だって同じ、
管理職も同じだ。
学校の英知を集めるのは、子どもの今を知ってからだ。
今こそ、子ども理解に徹する時だ。
そして、一人一人のニーズに応じた指導策を練るのだ。
若葉マークだから、いつだって何のてらいもなく、
やり方をかえていいのだから・・・。
若干、横道になるが、
学校9月始まり案も、子供らを知ってから、
検討をはじめてほしい。
子どもの実態や学校の実践を見ないでの結論は、
不安を抱えて提案した高校生らに、
失礼なのでは・・・。
朝陽を受け サクラソウ