伊達に居を構えて、2回目の春を迎えた頃、
右腕の異変に気づいた。
何の違和感もなく使っていた箸が、
徐々に使いにくくなった。
やがて小さな物を摘まんで持ち上げるのが、
難しくなった。
総合病院の外科を受診した。
医師は専門外だったのか、
「箸の使い方も年齢と共に、だんだんできなくなります。
しばらく様子を見て下さい」
と、言う。
やや憤慨したが、静かに帰ってきた。
それからは、腰の治療で何度か通院した接骨院で、
電気治療を受けた。
しばらくして、専門医の受診を勧められた。
「もしかすると、尺骨神経損傷かも知れないので・・」。
早速、専門医を探した。
幸いなことに、電話に出た総合病院の看護師が、
室蘭の製鉄記念病院の外科に、
手足を専門とする医師がいることを教えてくれた。
数日後、受診した。
検査の結果、尺骨神経の移行手術が必要とのこと。
ゴールデンウィーク開けを待って、
2時間の手術を受けた。
術後は、期待したほど画期的な改善はなかった。
「徐々によくなります」とその医師は言った。
あれから8年が過ぎた。
確かに、麻痺していた右手首や薬指、小指は、
当時よりだいぶ感覚が戻ってきている。
それにしても、完治まではまだまだ。
でも、この間、伊達での暮らしを謳歌してきた。
朝のランニング、マラソン大会参加、
ゴルフ、近所の方々とのパークゴルフ。
そして、術後で右手は使えなかったが、
左手だけでキーボードを打ち、このブログを始めた。
やがて、私の随筆が地元紙に載るようにも・・。
ところが、再び、異変は突然やってきた。
5月下旬に、洞爺湖オンラインマラソンに参加した。
ランニング時に携帯したスマホのアプリに、
ランコースと、距離、タイムが、瞬時に記録され、
大会主催者へ自動送信される仕組みになっていた。
私は、フルマラソンの距離を、4日かけて完走した。
後日、オンラインマラソンの完走記念メダルが届いた。
達成感を味わえた。
6月以降、曇天が多かった。
雨天をさけ週2回のペースで、5キロの朝ランを続けた。
いつだって走り終えた時の爽快感は、格別。
7月に入って4回目の朝ランでのこと。
その日に限ったことではなかったが、
4月から履き始めたシューズに、違和感があった。
靴の中で左足の着地が外側に少しこすれていた。
「こんな走り方をしていたら、いつかケガしたり・・」。
そう脳裏をよぎった矢先だった。
左膝の裏側に電気のような痛みが走った。
でもその1回だけで、自宅までいつも通り走り終えた。
ところが、翌日から徐々に徐々に膝の曲げ伸ばしに、
違和感が出始めた。
やがて、膝をやや曲げて左足だけに体重をかけると、
痛みが走った。
4日の間をあけて、ストレッチをしっかりしてから、
朝ランを試みた。
最初の一歩から、痛みがあった。
「もしかしたら、走っているうちに痛みが和らぐかも」
と、期待して走り続けた。
しかし、痛みは激しくなるばかり。
ついに1キロ半で走るのを止めた。
それからは、歩くだけでも左足に痛みが・・。
2日置きに、接骨院で治療を受けた。
通院後は、痛みが和らいだ。
回復に向かっていると信じた。
そして、1週間後、再び朝ランに挑戦した。
同じ1キロ半のところで激痛に襲われ、
その後は、痛みをこらえて、どうにか自宅に戻った。
再び接骨院で治療を受けた。
やや痛みがやわらぎ、ほっとする。
平らな所を歩く時は、さほど痛くない。
パークゴルフの例会や、ゴルフにも行った。
しかし、痛みは次第に増し、
とうとう痛みで深夜に目覚めるまでになった。
仕方なく、地元病院の整形外科を受診した。
ベテラン医師は、触診後すぐに、
「膝に水が溜まっているので、
まずはそれを抜きます」と、
注射針を膝に刺した。
「膝に水なんて、溜まったことありません」。
そう言う私に、
「抜いたら、見せてあげますから、じっとして」。
医師は、手慣れたように膝の水抜きをし、
太い注射器に採った水を見せてくれた。
「半月板損傷ですね。どの程度かは、
MRIを撮ってみないとわかりません。
ランニングによるケガでしょうが、
損傷次第では、手術ですね」。
一瞬、医師の言葉に理解不能状態になった。
動揺していた。
MRIの予約票と次回の診察予約票、
そして、1週間分の痛み止め薬の処方箋を握り、
病院を後にした。
帰宅し、「半月板損傷」をネット検索した。
手術は30分から1時間程度で、
傷口も大きくないようだった。
しかし、リハビリは長期のようで、
再び運動できるようになるまでに、
6か月以上の場合もあるとか・・。
今週から小中学校の夏休みが始まった。
同時に夏らしい好天が続いている。
私も、短い夏を楽しみたいと待ち望んでいた。
しかし、緩い下り坂を歩くにも、難儀している。
自室までの階段昇降も痛々しい。
これでは、どうやら左膝と向き合うことだけで、
夏は終わりそう・・。
今後はどんなことがあるのだろう。
MRIの結果は・・。医師の診断は・・。
手術になる・・。リハビリは・・・。
その全てを受け入れ、
再び、伊達の朝を5キロ、10キロと、
ランニングする日を目指そう。
どんな経験だって無駄じゃないと信じて・・。
カボチャ畑が 華やか
右腕の異変に気づいた。
何の違和感もなく使っていた箸が、
徐々に使いにくくなった。
やがて小さな物を摘まんで持ち上げるのが、
難しくなった。
総合病院の外科を受診した。
医師は専門外だったのか、
「箸の使い方も年齢と共に、だんだんできなくなります。
しばらく様子を見て下さい」
と、言う。
やや憤慨したが、静かに帰ってきた。
それからは、腰の治療で何度か通院した接骨院で、
電気治療を受けた。
しばらくして、専門医の受診を勧められた。
「もしかすると、尺骨神経損傷かも知れないので・・」。
早速、専門医を探した。
幸いなことに、電話に出た総合病院の看護師が、
室蘭の製鉄記念病院の外科に、
手足を専門とする医師がいることを教えてくれた。
数日後、受診した。
検査の結果、尺骨神経の移行手術が必要とのこと。
ゴールデンウィーク開けを待って、
2時間の手術を受けた。
術後は、期待したほど画期的な改善はなかった。
「徐々によくなります」とその医師は言った。
あれから8年が過ぎた。
確かに、麻痺していた右手首や薬指、小指は、
当時よりだいぶ感覚が戻ってきている。
それにしても、完治まではまだまだ。
でも、この間、伊達での暮らしを謳歌してきた。
朝のランニング、マラソン大会参加、
ゴルフ、近所の方々とのパークゴルフ。
そして、術後で右手は使えなかったが、
左手だけでキーボードを打ち、このブログを始めた。
やがて、私の随筆が地元紙に載るようにも・・。
ところが、再び、異変は突然やってきた。
5月下旬に、洞爺湖オンラインマラソンに参加した。
ランニング時に携帯したスマホのアプリに、
ランコースと、距離、タイムが、瞬時に記録され、
大会主催者へ自動送信される仕組みになっていた。
私は、フルマラソンの距離を、4日かけて完走した。
後日、オンラインマラソンの完走記念メダルが届いた。
達成感を味わえた。
6月以降、曇天が多かった。
雨天をさけ週2回のペースで、5キロの朝ランを続けた。
いつだって走り終えた時の爽快感は、格別。
7月に入って4回目の朝ランでのこと。
その日に限ったことではなかったが、
4月から履き始めたシューズに、違和感があった。
靴の中で左足の着地が外側に少しこすれていた。
「こんな走り方をしていたら、いつかケガしたり・・」。
そう脳裏をよぎった矢先だった。
左膝の裏側に電気のような痛みが走った。
でもその1回だけで、自宅までいつも通り走り終えた。
ところが、翌日から徐々に徐々に膝の曲げ伸ばしに、
違和感が出始めた。
やがて、膝をやや曲げて左足だけに体重をかけると、
痛みが走った。
4日の間をあけて、ストレッチをしっかりしてから、
朝ランを試みた。
最初の一歩から、痛みがあった。
「もしかしたら、走っているうちに痛みが和らぐかも」
と、期待して走り続けた。
しかし、痛みは激しくなるばかり。
ついに1キロ半で走るのを止めた。
それからは、歩くだけでも左足に痛みが・・。
2日置きに、接骨院で治療を受けた。
通院後は、痛みが和らいだ。
回復に向かっていると信じた。
そして、1週間後、再び朝ランに挑戦した。
同じ1キロ半のところで激痛に襲われ、
その後は、痛みをこらえて、どうにか自宅に戻った。
再び接骨院で治療を受けた。
やや痛みがやわらぎ、ほっとする。
平らな所を歩く時は、さほど痛くない。
パークゴルフの例会や、ゴルフにも行った。
しかし、痛みは次第に増し、
とうとう痛みで深夜に目覚めるまでになった。
仕方なく、地元病院の整形外科を受診した。
ベテラン医師は、触診後すぐに、
「膝に水が溜まっているので、
まずはそれを抜きます」と、
注射針を膝に刺した。
「膝に水なんて、溜まったことありません」。
そう言う私に、
「抜いたら、見せてあげますから、じっとして」。
医師は、手慣れたように膝の水抜きをし、
太い注射器に採った水を見せてくれた。
「半月板損傷ですね。どの程度かは、
MRIを撮ってみないとわかりません。
ランニングによるケガでしょうが、
損傷次第では、手術ですね」。
一瞬、医師の言葉に理解不能状態になった。
動揺していた。
MRIの予約票と次回の診察予約票、
そして、1週間分の痛み止め薬の処方箋を握り、
病院を後にした。
帰宅し、「半月板損傷」をネット検索した。
手術は30分から1時間程度で、
傷口も大きくないようだった。
しかし、リハビリは長期のようで、
再び運動できるようになるまでに、
6か月以上の場合もあるとか・・。
今週から小中学校の夏休みが始まった。
同時に夏らしい好天が続いている。
私も、短い夏を楽しみたいと待ち望んでいた。
しかし、緩い下り坂を歩くにも、難儀している。
自室までの階段昇降も痛々しい。
これでは、どうやら左膝と向き合うことだけで、
夏は終わりそう・・。
今後はどんなことがあるのだろう。
MRIの結果は・・。医師の診断は・・。
手術になる・・。リハビリは・・・。
その全てを受け入れ、
再び、伊達の朝を5キロ、10キロと、
ランニングする日を目指そう。
どんな経験だって無駄じゃないと信じて・・。
カボチャ畑が 華やか