ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

「お裾分け」あれこれ =2022=

2022-08-27 12:29:23 | 北の湘南・伊達
 ▼ お盆が過ぎ、秋の気配を感じはじめている。
この時季の朝ランは、ハーフパンツにTシャツスタイルだ。
 しかし、今年の私は、ポロシャツに黒のジーパンで、
のんびりと散歩である。 
 
 自宅を出発して間もなく、
ご近所さんが愛犬との散歩から戻ってきたところに出会った。
 私に気づくと、反対側の歩道から話しかけてきた。

 「お散歩ですか。珍しい!」。
「半月板を損傷しまして、走れないんです」。
 「あら、それは大変!」。
「そうそう、先日、カボチャを頂きまして、ありがとうございました!」。
 「もらい物なんですが、家だけじゃ食べきれなくて、
頂いてもらって、助かります」。
 「今朝、うちのがそれでポタージュを作ってます。
楽しみです」。
 「そうですか。よかった」。

 夏が近づいたころから、当地は野菜の収穫期を迎える。
毎年、じゃがいも、カボチャ、ミニトマト、トウモロコシ、
ブロッコリー、インゲン豆などはお裾分けが届く。
 2人暮らしには十分な量で、時には我が家も持て余すことがある。 
 
 それにしても、いただく野菜の多くは家庭菜園で、
自宅の庭や市民農園の畑で栽培した物。
 どれももぎたて、採れたてで新鮮、この季節だからの味ばかりである。
ありがたい。

 ▼ 自宅に結構な広さの畑があるご夫妻と、
パークゴルフ場で顔を合わせた。
 月に何回かは言葉を交わす2人だが、
いつもと様子が違うように感じた。

 余分なことと思いつつも、声をかけてみた。
「何かいつもと違う感じ。どうかしたの?」。

 私の直感は大きく外れていなかった。
「出がけに畑を見たら、カラスにスイカをつつかれてさ、
7個もダメになって、もう腹たって!」。
 ご主人はよほど悔しかったのだろう、
少し充血した目で教えてくれた。

 続けて、奥さんも言う。
「そろそろカラスが狙うから、ネットかけようねって、
昨日言ってたの。
 カラスに聞こえたみたいに、今日食べにくるんだよ」。

 スイカ作りの行程など、私はまったく知らない。
でも、手間暇をかけて、育ててきたことが、
ご夫妻のその様子から推測できた。

 でも、私には何か言えるものがなかった。
「そうだったの。カラスはスイカまで狙うんだ。
まったく、油断できないね」。
 それが、精一杯だった。

 その後、ご夫妻は気持ちを切り替えて、
パークゴルフを楽しんでいた。

 それから、1ヶ月余りが過ぎた。
玄関のチャイムが鳴った。

 半分に割った大きなスイカを、両手で抱え、
そのご主人が立っていた。
 「うちのスイカ。半分だけど食べてみて」。

 「カラスの被害に遭わなかったスイカですか?」。
「そう。うまいかどうか・・」。
 両手で受け取ると、スイカはしっかりと冷えていた。
美味しいのを食べてほしいという願いまで頂いた気がした。

 「一気に,食べては勿体ない」。
まずは、4半分を家内と食べることに・・。
 ふと、カラス被害を悔しがるご夫妻の顔を思い出した。
美味しさが倍加した。

 ▼ お向かいのご主人が亡くなって、
もう4年が過ぎる。

 今も欠かさず月命日に、おいでになる方がいるようだ。
ご主人とどんな関係だったのか知らないが、
いつも仏壇へのお供え物を持参するらしい。

 今月もその翌朝、玄関チャイムが鳴った。
「昨日、お父さんへって貰ったの。
⒉人じゃ、食べきれないから・・」。
 そう言って奥さんが差し出したレジ袋には、
夏にはなかなか見ることのない白い保護網に包まれた柿が、
5個も入っていた。

 お向かいからのお裾分けは、それだけに限らない。
近隣の農家さんが、車でよく野菜を持ってくる。
 しばらくすると奥さんがその一部を持って、玄関のチャイムを鳴らす。

 そして、実家の親戚が森町の近くで漁師をしてるからと、
毎年、大きなホッケやサバの干物、タラコを持ってくる。
 凄い上物で絶品の美味しさ。
この辺のスーパーでは、絶対に手に入らないものばかり。

 まだある。
「福島県の親戚から送ってきた」と、
高価な桃が5個も6個も。
 恐縮する家内に、奥さんはいつも言う。
「娘も私も、あまり果物食べないから」。

 そして、同じように「甘い物、好きじゃないから」と、
箱詰めの福島銘菓『ゆべし』も毎年、
玄関チャイムと一緒に、頂く。

 ▼ この10年でお電話を頂いたことなど、
記憶にないご近所さんからだった。

 受話器をとると、ご主人は遠慮がちな声で言った。
「ツカハラさん、ホヤ食べるかい?」。
 「エッ! ホヤって、海の・・あのホヤですか?」。
「今、親戚から沢山届いて、
我が家だけじゃ食べきれないんで、どうかなと思って・・」。

 「Sさん、ごめんね。折角だけど、私、ホヤはダメ!」。
「そうですか。いやー、ホヤは、好き嫌いがあるから、
持って行く前に、訊いたほうがいいと思って、電話したんだ。
わかりました」。
 
 恐縮しながら、受話器を置いた。
いつまでも、嬉しい気持ちが心に残った。

 こんな善意の中で過ごす日々を大事にしたい。
 
   
 

 朝日にガーベラ(花言葉が希望・前進にうなづく)
           ※次回のブログ更新予定は9月10日(土)です 
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信 仰 心 ! ~私の場合

2022-08-20 14:55:31 | 思い
 ▼ 最初に、2002年(20年前)の年賀状に載せた詩を記す。 

   *     *     *     *
     願 う

  たった一杯の水を入れ替え
  そのコップを
  遺影の前に置く
  朝のあわただしさの中
  数秒間
  心静かに合掌する時間
  今日が一日無事であることを
  心から願う

  それ程の宗教心がある訳でも
  それを強い拠り所にしているのでも
  己の支えをそこに求めているはずも

  だが いつのころからだろうか
  決まって そうする日
  己の無力さと
  不本意と
  むなしさと
  それが あまりに多すぎる時代
  だから つい
  そんな祈りを
   *     *     *     *
 
 45年前の春、父が末期胃癌であることが分かった。
それを本人に知らせることなどあり得なかった。
 医師から余命3ヶ月を知らされたが、
本人は強靱な精神力で、その年の12月まで頑張った。

 しかし、家族の中で私だけが死を見届けられなかった。
東京圏と北海道だからと半ば納得していたが、
それが現実になると、大きな悔いになった。
 だから、葬儀が落ち着いてすぐ、
僧侶に位牌分けをお願いした。

 僧侶から父の戒名を記した札を頂き、
12月の末、わざわざ宗派である京都の西本願寺まで出向き、
近くの仏具店で、小さな位牌を作ってもらった。

 その時から、小物用のタンスの上に、
位牌と遺影、水の入ったコップに小仏花、おリンを置いた。

 そして、18年も前になるが、
亡くなった母も父と同じ大きさの位牌に・・。
 それを機に買い求めた小さな仏壇に2つを並べた。

 今、小さな仏壇は、和室の一角にある。
毎朝、小仏花を添え、水を替え、蝋燭を灯し、線香を焚く。
 そして、心静かに合掌。

 父と母への挨拶の後、祈ることは、
45年前から大きく変わらない。
 しかし、詩にもあるように、
それ以上の信仰心は私には芽生えなかった。

 ▼ 10年前、知人も友人も、
顔見知りもいない当地に移り住んだ。
 だから、人付き合いの始まりは、
ご近所さんへの挨拶から。

 幸い、都会とは違い、
誰とでも気軽に言葉を交わすことができた。
 特にお向かいのご主人には、
マイカーの購入から庭の雑草取りのやり方まで、
すぐにお世話になった。
 みんながみんな面倒見のいい人ばかりに思えた。

 半年が過ぎた頃だったろうか。
我が家と同じように猫を飼っている方と知り合った。
 「時には、お茶でも」と勧めると、
とりとめもない世間話を、
小1時間位していくようになった。
 当然、愛猫の話題で盛り上がった。

 ある時、その方から、お勧めしたいものがあると、
シャンプーなどのセールスがあった。
 断ると良好な関係が壊れてしまいそうで、
何種類かの購入をお願いした。

 特に、市販の物との違いは感じなかったが、
使い切るころになると、
再び来宅し、さり気なく注文を取って帰った。
 
 その方に手間をかけたくなかったので、
次からはパッケージにあった電話番号へ注文依頼をした。
 電話に出た人から、品物を紹介した方の氏名や連絡先などを
詳しく尋ねられた。
 あたかもその電話番号への注文は、
正規ではないかのようで違和感を強くした。

 やがて、その方が某宗教団体の布教に熱心だと知った。
「実は私もシャンプーを勧められたの」と言う人が現れた。
 そして、ついに某宗教団体の映画会へ誘われた。
ここはキッパリお断りしようと決めた。

 馴染みのない土地で暮らし始めた夫婦の隙間に入り込まれたようで、
いつまでも不快だった。 
 ささやかな私の信仰心だが、汚点になった。

 ▼ 今年も、お盆のお墓参りへ行った。
家内の実家の墓は、芦別にある。
 車で片道3時間半はかかる。
ここ2,3年は、1日での往復を止め、
近隣の温泉に1泊してからの墓参にした。

 小高い山の裾野にある墓地の入り口で水を用意し、
昨年、母の骨納めの折にリニューアルした墓石に向かった。
 きっと義弟夫妻の心遣いだろうが、
お墓は、事前に掃除が行き届いていた。

 仏花を添え、蝋燭と線香を用意していると、
札幌に住む義妹夫妻が娘や孫と一緒に、
やって来た。
 お墓の前で、賑やかに挨拶を交わし、
近況などの会話が弾んだ。
 
 そんな光景は、私たちだけでなかった。
賑わいを失った旧産炭地にある唯一の公営墓地で、
この時だけは人出があり、明るい話し声が飛び交っていた。

 翌日は、我が家の墓参だった。
それぞれの家を周り、兄夫婦と姉を車に乗せ、
登別の霊園へ向かう。
 平坦な高台にあるこの公営霊園は、
何度も拡張が繰りかえされた。
 今では、近隣市町村では最大規模ではないかと思う。
ここには我が家のお墓の他に、2人の姉の嫁ぎ先のお墓もあった。

 5人で、3つの家の墓参をするのが、最近の年中行事になった。
兄が用意することなっている仏花は、なんと計11束にも。
 その花を1束1束墓前に活け、手を合わせた。
 
 私は、どのお墓でもしばらく故人の思い出話をした。
それが、供養だと勝手に思っている。
 話しながら、ふと霊園を見渡した。
そして、一瞬言葉が止まった。

 墓石が乱立する光景が一面に広がっている。
その所々に、墓参の人の姿があった。
 多くのお墓は、夏空の下で灰色をしていた。
霊園はそんなお墓色と思い込んで、グルッと見た。

 墓石だけの広大な霊園が、「なんと綺麗なこと!」。
それぞれの墓前には、凜とした色とりどりの花たちが。

 兄が抱えてきた綺麗な11束と同じような花が、
一面に賑わっている。
 そのカラフルな光景に、私はしばらく心を熱くした。

 お盆にお墓を訪ねる方の信仰心が、
一律な訳がない。
 しかし、綺麗なお花を手に詣でる人々と、
その時だけでも賑わう人の声に、信仰心を感じ、
安堵するのは私だけではないように思った。
 



     雨上がりの小道で
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晴れたり曇ったり その4  <3話>

2022-08-06 11:44:21 | 北の湘南・伊達
 ① 1週間前のブログは、突然の膝痛について記した。
MRIの結果次第では手術もあり得ると思い、
以下のように、ブログを結んだ。

   *     *     *     *
 今後はどんなことがあるのだろう。
MRIの結果は・・。医師の診断は・・。
 手術になる・・。リハビリは・・・。

 その全てを受け入れ、
再び、伊達の朝を5キロ、10キロと、
ランニングする日を目指そう。

 どんな経験だって無駄じゃないと信じて・・。
   *     *     *     *

 1週間前は、膝の痛みで深夜に目が覚めるほどだった。
痛みと炎症を緩和する薬を処方してもらい、それに頼った。
 歩くと痛みがひどくなるので、家の中でも動かないようにした。

 だからなのか。
今週に入り、変化が・・。
 まずは、痛みで目覚めることがなくなった。
膝を伸ばしたままの着地なら、痛みが消えた。
 階段の上り下りも、ゆっくりゆっくりできるように・・。

 そして、MRIの結果と医師の診断を聞きに通院した日には、
病院の駐車場から歩行する姿が、1週間前とは別人のように。
 まだ、飛んだり跳ねたりすると、膝裏に激痛が走ったが、
回復への手応えを感じていた。

 期待と不安が交錯したまま、
予約した時間通りに、診察室へ招かれた。
 医師は、MRIの画像と膝の関節模型を用意していた。

 開口一番、医師は、
「半月板の一部が切れてますね」だった。
 そして、模型を使って、その箇所と切れ目の大きさを示してくれた。

 「矢っ張りか!」
落胆しながらも、尋ねた。
 「ここ数日、だいぶ痛みがなくなってきました。
普通に歩けるようにも。
 それでも、手術ですか?」。

 さすがベテランの医師である。
「手術するかどうかは、よく考えてから決めて下さい」。
 私の度重なる質問に、医師はそんな助言を繰り返した。

 さて、医師の見立てを、私なりにまとめる。

   *     *     *     *
 今回の半月板の亀裂は、ランニングによるケガというより、
長年使ってきたためのもののようだ。
 だたし、ランニングによる損傷でなくても、
このままで走る続けるのは、無理。
 これからも走りたいのなら、手術が必要。

 この際、ライフスタイルをウオーキング程度に切り替えるなら、
今の膝の状態のままでも、大丈夫。

 仮に、手術をして再び走れるようになっても、
半月板は長年使ってきているのだから、
同じように損傷することは十分あり得る。

 そのことも考慮し、今後のライフスタイルをどうするのか。
少し時間をかけて考えて、
それから手術するか、しないかを、決めたらどうか。
   *     *     *     *

 帰りに、病院の玄関に立つと、
有珠山と横に並ぶ昭和新山の全容が飛び込んできた。
 大空を背景に、その勇姿を仰ぎながらの朝ランを思い出した。

 アカゲラのドラミング、ヒバリのさえずり、白鳥の声が迎える朝。
畑に並ぶ凜とした野菜の苗、
そして収穫の風景を見ながらのランニング。
 ゆっくりでもほてった体に季節の風を受け、
伊達の四季を走ってきた。
 そんな素敵な10年に終止符を打つ時がきているのか・・。

 ジワジワとこみ上げるものを感じた。
待て、易々とこの10年を切り捨てるなんて、
できやしないのじゃ!・・・。

 どうやら、医師の言うとおりだ。
今は、時間をかけて考えるときだ・・・。


 ② 6月11日、地元紙の文芸欄に,私の15本目の随筆が掲載された。
今回も、以前にこのブログに記載したものに加筆した。
 日常の一断面に過ぎないが、私なりの切り取り方をしようと、推敲を粘った。
一応、意欲作と胸張ってみたが、読み手の評価が気になった。
 
   *     *     *     *
  
        2人だけの足どり

 年齢なのだろう。
夜遅くまで、おきていられない。
 10時を待たずに、布団に入る。
本を開いても、10分も持たずに寝入る。
 だから、目覚めが早い。
一度、眠りから覚めると、「二度寝」などなかなかできない。

 つい先日のこと、いつもよりさらに早い時間に目が覚めた。
カーテンの隙間が明るいのだ。
 時間を確かめると、4時半を回ったばかり。
なのに、もう外には光がある。
 その驚きが、さらにハッキリとした目覚めを誘った。

 家内に気づかれないよう、そっと寝室を出る。
そして、2階の自室のカーテンを開いてみた。
 その窓からは、緩い下りの『嘉右衛門坂通り』が見える。
すっかり雪が解け、道は乾いていた。
 次第に明るさを増す空には、一片の雲もない。
この時季の当地の朝らしく風もなく、
穏やかな一日の始まりを告げているよう。

 寝起き姿のまま、しばらく窓辺からその坂を見ていた。
すると、坂を下る2つの小さな後ろ姿が、視界に入ってきた。
 この時間の外は、まだ冷えるのだろう。
2人とも、ニット帽に冬用の黒の上下服だった。

 男性は、やや足を引きずり、
女性の腰は、少し前かがみになっていた。
 何やら会話が弾んでいるよう。
足を1歩1歩進めながら、しばしば相手に顔を向け、
時には、笑みを浮かべているような、愉しげな背中だった。

 私の視線など気づく訳もない。
早朝も早朝、人も車も通らない日の出前の坂道を、
2人だけの足どりがゆっくりとゆっくりと下って行った。

 私の窓を独り占め、いや二人占めする映像に、
布施明の『マイウエイ』が流れてきた。

   *    *    *     * 

 今回も、知人・友人、親戚や家族から反応があった。
ややホッとしている。
 1部を転記する。

 ◎ 誰もが知る由も無い時間帯の描写
見えた光景を好感を持っての表現
 そして〆の例えマイウエイ
これは、明け方を歩んでいる二人なのか?
 それとも、それを見守っている自分自身のことなのか!?
どちらとも!
 余韻を残して、読者に語りかけている

 ◎ とてもロマンチックな記事に、
心が温かくなりました。
 マイウエイが私の頭の中で奏でました。
いつも思います。
 おじちゃんの記事を読むと、
頭の中でいろんなことを想像します。
 2度読むと、今度は北海道の山の景色が見えたり、
文字の力は偉大です。

 ◎ 本当に些細なできごとがネタなだけに、
楽に書いたものを楽に読める印象。
 と最初は感じたが、よく読んでみると、
いかにも文章の表現力がある人が、推敲を重ねてここに落ちついた、
っていうふうに見えてきた。
 読み手がどちら派なのかで与える印象が違いそう。


 ③ 2階の自室でパソコンに向かっていると、
居間から声が飛んできた。
 「大変、大変、K先生からのはがき!」。
 家内の階段を駆け上がる音の後、
筆ペンで走り書きしたはがきを見た。

 『お元気ですか。
悲しい知らせです。
 S・Yさんが亡くなったとの報が入りました。
残念です。
 塚原さんに電話しましたが、通じませんでした。
とりあえず葉書にてお知らせします』。
  
 葉書には、K先生の電話番号の記載があった。
すぐに受話器を取った。
 7月19日に、コーラスの練習中に倒れた。
くも膜下出血でそのまま亡くなったと言う。

 S・Yさんは、1歳年上の校長先生で、
私より2年先に校長会長を努めた方だった。

 退職後、早稲田大学オープンカレッジの『文章・エッセー教室』で学んでいた。  
そして、2年前、「自粛が時間をくれました」と、
エッセイ集の『追想』を出版した。
 秀作ぞろいに脱帽した。
その彼女が急逝・・・とは。               合 掌




     竹やぶ ~ 北海道では珍しい                 
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