≪1≫
1月下旬、年1回の健康診断に行った。
以前、定期検診でガンが見つかり、
その後の治療によって完治した知人がいた。
それを知ってからは、
欠かさずに健診は受けることにしている。
毎年のことである。慣れた手順で検査が進んだ。
ところが、思わぬ検査で驚かされた。
血圧であった。
若い頃は、低血圧気味で、その後は年令と共に、
徐々に上昇傾向にはあった。
しかし、本来食事は薄味で、
塩分の少ない物を好んだ。
その上、ここ数年は、朝のジョギングと散歩等で、
決して運動不足などと、
言わせない暮らしである。
親兄弟に高血圧を患った者はなく、
子ども達も無縁である。
それなのに、
今まで見たことのない高い数値であった。
担当の方が、再測定をしたが同じだった。
その後の内科医による問診では、
ただただ首を傾げる私に、
「隠れ高血圧と言うのもありますから。
年令も年令ですから。」
淡々とした医師の口調とは裏腹に、
私は穏やかになれなかった。
10日後、健診結果が郵送されてきた。
案の定、高血圧の再検査となっていた。
どう考えても、不思議である。
腑に落ちないのである。
何かの間違いではないか。
とりあえず、ドラッグストアにある血圧計を、
初めて利用させてもらった。
総合体育館に常設してある血圧計にも、
チャレンジした。
1週間、毎日測定したが、
その数値は高いままだった。
週に4,5日続けてきたジョギングも、
危険なのではないだろうか。
不安だけがつのった。
とにかく、再検査よりも先に、
私なりに血圧上昇の原因を探ってみようと思った。
ここ1,2年の暮らしをふり返った。
変化したことはなにか。
それは何よりも、右腕の尺骨神経マヒである。
手術をしてから、まもなく2年になる。
あれからずっと、毎日欠かさず薬を飲み続けている。
痛み止めの錠剤と、
マヒと痺れを緩和する3種類の漢方薬である。
「本当に、感心するね。」と家内は言うが、
飲み忘れの残薬など一つも出さずに、
この2年間、私はその薬を飲み続けてきた。
一度、担当医に副作用の心配を尋ねたが、
「それは大丈夫。」と即答された。
それを、私は鵜呑みにしてきた。
ところが、毎回診察後、処方箋を持って行く薬局で、
薬剤師さんが、いつも
「飲んでいて、お変わりはありませんか。」
と、訊いてくることをふと思い出し、
急に違和感を覚えた。
改めて、毎回いただくその薬の説明書きを、
探し出し、読んでみた。
『他の漢方薬を併用する場合は、
その旨を主治医または薬剤師にお伝えください。』
同じ文面が、3種類の漢方薬の注意事項にあった。
副作用の予感がした。
薬への知識など全くない。
しかし、何か分かることはないかと、
ネットの検索に挑戦した。
これは、ずぶの素人の見立てである。
間違いも多分にあるだろう。
漢方薬の併用が原因で、
『偽性アルドステロン病』があることが分かった。
その症状の1つとして、血圧上昇があった。
症状は、服用から数週間、あるいは数年で出る人、
全くそのような症状のない人など様々なようである。
私の血圧上昇が、これに当たるかどうか、
半信半疑だった。
私の知り得た理解では、
その薬を止めることによって改善されるのである。
私は自己責任で、
3種類の漢方薬の服用を止めることにした。
4日から数週間で改善が見られるはずである。
毎日、血圧計を探しまわり、測定した。
相変わらず高い日が続いた。
服用を止めて10日、若干下がったように思えた。
そして、2週間後、高い数値がなくなった。
胸をなで下ろした。
1ヶ月後、服用を止めて初めて、
担当医の診察を受けた。
「血圧が上がっていたので、漢方薬を止めてみたんです。
すると、正常値に戻ったんです。」
「そうですか。それじゃ、漢方薬は止めましょう。
稀に、そうなる人がいるんです。」
これまた、即答された。
「先生、血圧がすごく上がって、私、驚いたんですよ。」
ちょっと強い口調で、言いたかった。
でも、いまだ右腕は治っていない。
完治までには、きっとまだ1年はかかるだろう。
担当医には、今後もお世話になる。
私は、何も言わずに、診察室を後にした。
患者は、医師の前ではやはり弱者なのだと思った。
≪2≫
まもなく40才と言う頃である。
働きざかりのはずなのに、一日中疲労感があった。
早く床についても、翌朝疲れが抜けていなかった。
同僚達にそんな弱音を漏らすと、
いいお医者さんがいると紹介された。
個人の開業医なのに、その内科医院には、
最新の医療検査機器がそろっていた。
院長先生は、時間をかけて、
私の状態を聞き取ってくれた。
そして、
「とにかく体の上から下まで、すべて調べてみましょう。」
と、言ってくれた。
血液検査、尿と便の検査、
レントゲンにバリューム検査と、
まさに、大がかりな人間ドックが、
4、5回に分けて行われた。
私は、仕事の都合をつけながら、その検査を受けた。
検査の途中で、十二指腸に潰瘍が見つかり、
それが体調不良の要因だろうとのことだった。
それでも、予定通り検査は続けられ、
最後の検査となった。
それが、大腸にバリュームを入れるものだった。
私には、はじめての検査だった。
院長先生が、私のお尻にバリュームを入れようとした。
「どうしたんですか。これは。」
院長先生の声は、ことのほか大きかった。
私は、お尻を出して横になったまま、
「実は、若い頃から痔が悪くて、2回ほど手術をしました。
うまくいかなくて、そのままに。」
「そうですか。じゃ、それは後で。」
検査は、そのまま続けられ、無事に終わった。
着替えの済んだ私を、院長先生は診察室に呼んだ。
「少しお金がかかりますが、この紹介状をもって、
この病院へ行ってください。
この先生なら、きっと治してくれます。」
思いがけないことだった。
「先生、私は もう治らないと諦めています。
この痔の痛みとは、一生、付き合っていくつもりですから、
もう、いいんです。」
「あのね、あのような症状を見て、
医者としてそうですかと、放っておくわけにいきますか。
この先生でもダメな時は、諦めるしかないけど。」
私は、強引とも思えるが、
気持ちのこもった院長先生の言葉に動かされた。
紹介された病院を訪ねることにした。
痔の専門医であるその病院には、
老若男女が日本全国から来ていた。
長い時間待たされたが、そのベテラン医師は、
紹介状と私のお尻を見てから、
「ベットが空き次第、手術をしましょう。」
と言ってくれた。
手術と入院に、3週間はかかるとのことだったので、
私は、夏休みを利用して、
人生で3度目の痔の手術を受けた。
後で知ったが、
痔の専門医としては、日本で屈指の名医であった。
退院後、最後の診察で、その医師は私にこう言った。
「きっと10年は大丈夫でしょう。
実は、私は大腸ガンを患っています。
でも、後10年は頑張って生きています。
また悪くなったら、その時はもう一度手術をしてあげます。
安心して下さい。」
優しい声が、胸に響いた。
あれから、30年になる。
私は、痔の痛みを知らずに今日もいる。
ただただ、感謝である。
医師の鑑が、二人いた。
ブルーの花が美しい山野草・エゾエンゴサク
1月下旬、年1回の健康診断に行った。
以前、定期検診でガンが見つかり、
その後の治療によって完治した知人がいた。
それを知ってからは、
欠かさずに健診は受けることにしている。
毎年のことである。慣れた手順で検査が進んだ。
ところが、思わぬ検査で驚かされた。
血圧であった。
若い頃は、低血圧気味で、その後は年令と共に、
徐々に上昇傾向にはあった。
しかし、本来食事は薄味で、
塩分の少ない物を好んだ。
その上、ここ数年は、朝のジョギングと散歩等で、
決して運動不足などと、
言わせない暮らしである。
親兄弟に高血圧を患った者はなく、
子ども達も無縁である。
それなのに、
今まで見たことのない高い数値であった。
担当の方が、再測定をしたが同じだった。
その後の内科医による問診では、
ただただ首を傾げる私に、
「隠れ高血圧と言うのもありますから。
年令も年令ですから。」
淡々とした医師の口調とは裏腹に、
私は穏やかになれなかった。
10日後、健診結果が郵送されてきた。
案の定、高血圧の再検査となっていた。
どう考えても、不思議である。
腑に落ちないのである。
何かの間違いではないか。
とりあえず、ドラッグストアにある血圧計を、
初めて利用させてもらった。
総合体育館に常設してある血圧計にも、
チャレンジした。
1週間、毎日測定したが、
その数値は高いままだった。
週に4,5日続けてきたジョギングも、
危険なのではないだろうか。
不安だけがつのった。
とにかく、再検査よりも先に、
私なりに血圧上昇の原因を探ってみようと思った。
ここ1,2年の暮らしをふり返った。
変化したことはなにか。
それは何よりも、右腕の尺骨神経マヒである。
手術をしてから、まもなく2年になる。
あれからずっと、毎日欠かさず薬を飲み続けている。
痛み止めの錠剤と、
マヒと痺れを緩和する3種類の漢方薬である。
「本当に、感心するね。」と家内は言うが、
飲み忘れの残薬など一つも出さずに、
この2年間、私はその薬を飲み続けてきた。
一度、担当医に副作用の心配を尋ねたが、
「それは大丈夫。」と即答された。
それを、私は鵜呑みにしてきた。
ところが、毎回診察後、処方箋を持って行く薬局で、
薬剤師さんが、いつも
「飲んでいて、お変わりはありませんか。」
と、訊いてくることをふと思い出し、
急に違和感を覚えた。
改めて、毎回いただくその薬の説明書きを、
探し出し、読んでみた。
『他の漢方薬を併用する場合は、
その旨を主治医または薬剤師にお伝えください。』
同じ文面が、3種類の漢方薬の注意事項にあった。
副作用の予感がした。
薬への知識など全くない。
しかし、何か分かることはないかと、
ネットの検索に挑戦した。
これは、ずぶの素人の見立てである。
間違いも多分にあるだろう。
漢方薬の併用が原因で、
『偽性アルドステロン病』があることが分かった。
その症状の1つとして、血圧上昇があった。
症状は、服用から数週間、あるいは数年で出る人、
全くそのような症状のない人など様々なようである。
私の血圧上昇が、これに当たるかどうか、
半信半疑だった。
私の知り得た理解では、
その薬を止めることによって改善されるのである。
私は自己責任で、
3種類の漢方薬の服用を止めることにした。
4日から数週間で改善が見られるはずである。
毎日、血圧計を探しまわり、測定した。
相変わらず高い日が続いた。
服用を止めて10日、若干下がったように思えた。
そして、2週間後、高い数値がなくなった。
胸をなで下ろした。
1ヶ月後、服用を止めて初めて、
担当医の診察を受けた。
「血圧が上がっていたので、漢方薬を止めてみたんです。
すると、正常値に戻ったんです。」
「そうですか。それじゃ、漢方薬は止めましょう。
稀に、そうなる人がいるんです。」
これまた、即答された。
「先生、血圧がすごく上がって、私、驚いたんですよ。」
ちょっと強い口調で、言いたかった。
でも、いまだ右腕は治っていない。
完治までには、きっとまだ1年はかかるだろう。
担当医には、今後もお世話になる。
私は、何も言わずに、診察室を後にした。
患者は、医師の前ではやはり弱者なのだと思った。
≪2≫
まもなく40才と言う頃である。
働きざかりのはずなのに、一日中疲労感があった。
早く床についても、翌朝疲れが抜けていなかった。
同僚達にそんな弱音を漏らすと、
いいお医者さんがいると紹介された。
個人の開業医なのに、その内科医院には、
最新の医療検査機器がそろっていた。
院長先生は、時間をかけて、
私の状態を聞き取ってくれた。
そして、
「とにかく体の上から下まで、すべて調べてみましょう。」
と、言ってくれた。
血液検査、尿と便の検査、
レントゲンにバリューム検査と、
まさに、大がかりな人間ドックが、
4、5回に分けて行われた。
私は、仕事の都合をつけながら、その検査を受けた。
検査の途中で、十二指腸に潰瘍が見つかり、
それが体調不良の要因だろうとのことだった。
それでも、予定通り検査は続けられ、
最後の検査となった。
それが、大腸にバリュームを入れるものだった。
私には、はじめての検査だった。
院長先生が、私のお尻にバリュームを入れようとした。
「どうしたんですか。これは。」
院長先生の声は、ことのほか大きかった。
私は、お尻を出して横になったまま、
「実は、若い頃から痔が悪くて、2回ほど手術をしました。
うまくいかなくて、そのままに。」
「そうですか。じゃ、それは後で。」
検査は、そのまま続けられ、無事に終わった。
着替えの済んだ私を、院長先生は診察室に呼んだ。
「少しお金がかかりますが、この紹介状をもって、
この病院へ行ってください。
この先生なら、きっと治してくれます。」
思いがけないことだった。
「先生、私は もう治らないと諦めています。
この痔の痛みとは、一生、付き合っていくつもりですから、
もう、いいんです。」
「あのね、あのような症状を見て、
医者としてそうですかと、放っておくわけにいきますか。
この先生でもダメな時は、諦めるしかないけど。」
私は、強引とも思えるが、
気持ちのこもった院長先生の言葉に動かされた。
紹介された病院を訪ねることにした。
痔の専門医であるその病院には、
老若男女が日本全国から来ていた。
長い時間待たされたが、そのベテラン医師は、
紹介状と私のお尻を見てから、
「ベットが空き次第、手術をしましょう。」
と言ってくれた。
手術と入院に、3週間はかかるとのことだったので、
私は、夏休みを利用して、
人生で3度目の痔の手術を受けた。
後で知ったが、
痔の専門医としては、日本で屈指の名医であった。
退院後、最後の診察で、その医師は私にこう言った。
「きっと10年は大丈夫でしょう。
実は、私は大腸ガンを患っています。
でも、後10年は頑張って生きています。
また悪くなったら、その時はもう一度手術をしてあげます。
安心して下さい。」
優しい声が、胸に響いた。
あれから、30年になる。
私は、痔の痛みを知らずに今日もいる。
ただただ、感謝である。
医師の鑑が、二人いた。
ブルーの花が美しい山野草・エゾエンゴサク