ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

続・晴れたり曇ったり <3話>

2022-05-14 13:47:43 | 北海道・伊達
 ① 毎年のことだが、宿根草の庭に、
次々といろんな新芽が顔を出した。
 これまた、毎年だが、先の尖ったその芽が、
一日一日背を伸ばし、去年と同じ容姿になっていく。
 自宅に居ながら、「春 到来!」を実感する一コマである。

 それに加え、2年前からになるが、
新しい「春 到来」が登場した。

 朝食を済ませ、窓越しに見た庭から、
雀の鳴き声がする。
 新芽の緑色が、徐々に広がりつつある庭で、
3羽がゆっくりと動き回っていた。
 
 そのうちの2羽の動きに目がいく。
あきらかに小雀なのだ。
 動きも心許ない。

 親らしいのが飛び立ち、我が家の物置屋根に止まった。
そして、しきりに鳴いた。
 「ここまで飛んでおいで」と、言っているよう・・。

 1羽の小雀が、私の車のボンネットで一度止まり、
その後、物置屋根まで羽を忙しくばたつかせながら、
親雀の近くまでたどり着いた。
 
 次に、親雀はもう1羽からよく見える位置まで移動し、
そこで再び、しきりに鳴き続けた。
 しばらくして、庭の小雀は羽をばたつかせた。
やっと車のボンネットまで飛んだ。
 変わらず親雀は休みなく鳴き、小雀も鳴き声で応じ、
ついに物置屋根へ向かって羽ばたいた。

 途中から、その様子を見始めた家内も一緒に、
小雀の動きに固唾を飲んだ。

 屋根のひさしまでもう少しだった。
だが、小雀は失速し、物置脇の通路にゆっくりと舞い降りた。
 
 春のドラマはここから・・・。
次の瞬間、今度は屋根にいた小雀が、通路まで舞い降りてきた。
 そして、すぐに物置の外壁沿いに、
羽をばたつかせながら屋根まで飛び上がった。
 下の小雀にだろう。
屋根に着くと何度も何度も鳴いた。

 しばらく間があったが、
通路の小雀が、飛び立った。
 先の小雀と同じような早さで羽を動かした。
物置の外壁沿いに、これまた同じような経路で、
屋根を目指した。
 やっとひさしまでたどり着くと、
そこには先の小雀が待っていた。 

 2羽は、チュンチュンと鳴き交わしたようだったが、
すぐに屋根の上を小さく飛びはねた。
 その後は、同時にもう1度通路まで降り、
さっきよりも簡単そうに屋根まで飛び上がった。

 気づくと、親雀はやや離れたテレビのアンテナに止まり、
静かに2羽の方を向いていた。

 雀は、民家の軒下でも、
わずかな隙間があれば巣をつくるらしい。
 2年前から、この季節になると、
お隣さんの屋根付近に、よく数羽の雀の姿がある。
 きっとそこで子育てをしているのだろう。
その巣立ちの時を、今年も見させてもらった。

 さて、数日後のあの小雀だが、遙か先の電線にいた。
成長の早さに、つい目を細めてしまう。


 ② 5月5日はこどもの日だ。
私たちには、まったく無縁な祝日になってしまったが、
この日くらいは、かしわ餅でもと、
⒉人で伊達の銘菓店へ立ち寄った。

 レジ近くの棚に、いつもより多いかしわ餅といっしょに、
北海道のご当地銘菓である「べこ餅」も並んでいた。

 「かしわ餅とべこ餅を2つずつ」。
私の希望通りに、家内は店員さんに注文した。

 この店には、年に数回は来る。
だから、3,4人の店員さんだが、
なんとなくなじみの顔だった。

 ベテラン店員の1人が、やけに明るい表情で注文を受け、
早々に4つの餅をパック詰めし、支払いレジへ進んだ。

 私はその場からやや離れ、店の出入り口付近で、
家内の会計を待った。

 やや時間がかかっていたので、振り向いてレジを見た。
その店員さんはレジから離れ、
家内と立ち話をしていた。

 時折、その目が私を見ているようだった。
ちょっと気になり、⒉人に近づいた。

 「走っているご主人、かっこよかったです」。
突然、早口で私に向かって言った。
 訳がわからず、家内に説明を求めた。

 数日前の朝、店員さんは車を運転し、
信号待ちしていた。
 その交差点を、私と家内が朝ラン姿で走り過ぎたらしいのだ。 
 
 「2人で一緒に、子ども達が通学する前の道を、
走っているなんて、すごいなあって驚きまして・・・」。

 私たちの後から、次々と来店者があった。
注文を待つ方もいた。なのに、構わず、
 「すいすいと走っていて・・・、
ご主人、かっこよかった。」
と、また繰り返す有様。

 「それは、それは」
と、返すのか精一杯だった。
 年齢を忘れ、私は照れていた。

 それを知られないよう、早々に店から退散し、
急いで車に乗り込み、アクセルを踏んだ。


 ③ 視力の老化が気にかかり、眼科医を受診した。
すると、白内障に加え緑内障の点眼薬まで処方された。

 それから、1ヶ月が過ぎ、薬の効果を診るため、
再び予約通院をした。

 眼科の受診は、どこの医院も同じだろうが、
医師の診断前に、いくつも検査がある。

 薄暗い部屋で検査機器を挟んで、スタッフと向き合う。
指示通りレンズをのぞくと、
「まばたきをしないで、動きません」などと言われる。
 これも、2度目になると慣れたもんだ。

 その後、医師による検査があり、
診断の結果は、
「お薬の効果で、改善が見られます。
このまま毎日、欠かさず続けてくだい」だった。

 だから、2ヶ月分の処方箋を頂き、
「一安心!」な筈だが、
意に反し、私の気持ちは沈んでいた。

 実は、診断結果を聞きに、
医師の待つ診察室に入った時のことだ。

 医師と対面する私との間には、
検査用機器のテーブルが設置されていた。
 その手前に、患者用の椅子がある。

 診察室に呼ばれた私は、その椅子に座ればいいのだ。
それだけのことだ。
 前回は、そうした。

 ところが、今回は、手慣れた感じの看護師が、私を待っていた。
私の名前を確認した後、ゆっくりとていねいな口調で言った。
 「椅子の背もたれが横を向いてます。
横を向いて座ってから、
体を先生のいる検査器械の方へ動かしてください」。

 椅子の向きには気づいていた。
親切な言い方にやや不快な思いがしたが、
指示通りに座り、ゆっくりと向きをかえた。

 すると、私の動きに合わせ、看護師は丸みのある声で続けた。
「そうです。そうです、横向きです」。
 次に、「向きを先生の方へ、そうそう・・・」。
そして、ついに「それでいいです」。

 医師と向き合った時には、もう不快感を超えていた。
敬老精神には感謝する。
 でも、その恩恵を受けるほど老けていないと思っていた。
なのに、手慣れた看護師には、
それを求めているように見えたのだろうか。
 
 眼科受診後は、車の運転はできない。
自宅まで20分余り、ずっとうつむいて歩いた。


  

  八重桜の下は小学校の通学路だ
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だての人名録 〔2〕

2015-09-25 22:11:32 | 北海道・伊達
 先週のブログで『だての人名録 〔1〕』として、
「1、ワケあり」、「2、私の分だけど」、「3、麹いるかい」の題で、
3人の方を紹介した。
 今週は、その続きを記す。
大好きな伊達で、こんな人とエピソードに出会った。


 4、ナンもないしょ

 伊達に落ち着いてすぐ、毎朝6時スタートで、
家内とジョギングを始めた。
 『伊達デビュー』である。
 出会った人には、こちらから必ず「おはようございます。」
と、挨拶することにした。

 千葉に在住していた最後の1、2年は、
月数回、スロージョギングを楽しんでいた。
しかし、朝の挨拶など、心がけなかった。
 通勤の慌ただしい足取りの方とすれ違うことはあっても、
散歩やジョギングの方と出会うことは、まれだった。
 ましてや出会っても、顔を向けることなどなかった。

 ところが、伊達では、毎朝数人の方と、必ず出会った。
そのすべての人と、挨拶を交わした。

 その中の1人に、ノルディックウォーキングと言うらしいが、
両手に専用のストックを持ち、一定のリズムで歩く女性がいた。

 私より、5つ6つ年上だろうか。
上背があり、その背筋をキリッと伸ばし、
一歩一歩踏みしめる足取りが、健康的で清々しさがあった。

 挨拶を交わしながら、すれ違う毎日を繰り返して、
3か月ほどが過ぎた頃だった。
 いつも通り、ゆっくりと走る私たちに気づくと、立ち止り、
「ねえ、そんなに毎朝走って、どうするの。」
と、声をかけてきた。

 私も家内も、その声掛けに驚き、足を止めた。
「特に……。」と、口ごもる家内に、
「亡くなった主人もよく走ってて、
いろんなマラソン大会に出てたもんだから。」
 「そうでしたか。」
「ごめんなさい。止めてしまって。」
「いいえ。」

 その日以来、時々立ち止まり、
二言三言と言葉を交わした。
 やがて、「お茶でもいかかですか。」と話が進み、
我が家に顔を出してくれるようになった。

 彼女は、ご主人を亡くされてから、毎日が寂しいこと、
そして、思いもしなかった別れへの悔やみを口にし、
それをくり返し話した。
 そして、「また来ますね。」と席を立った。
 伊達で知り合った数少ない知人である。
私にとっても家内にとっても、嬉しい来客だった。

 1年程前になるだろうか。
週1回、デイサービスに行き始めたとのことだった。

 「体はどこも悪くないの。でも、お父ちゃんが亡くなってからは、
ずっと寂しくて、私は心が傷んでいるの。
だから、デイサービスに行くことにした。」
と言う。
 年寄りばかりだけど、
一日みんなでいると、少し元気になるらしい。

 伊達の周辺には、様々な高齢者施設がある。
養護老人ホーム、特養老人ホーム、グループホーム、
デイサービスセンター、そしてケアハウス等々。
 私にはまだまだ先の先のことと思いながらも、
デイサービスでの一日には、関心があり、
彼女の話には、熱心に耳を傾けた。

 彼女が行っている施設は、1階がデイサービスで、
その上層階は、養護老人ホームとケアハウスになっていた。
 私がよく行く日帰り温泉への通り道沿いにあった。
噴火湾の大海原に面した、海辺の小高い丘の上に、
リゾートホテルを思わせる6階建てがそれだった。

 私は、意気込んで言った。
「あそこはいいでしょう。晴れた日など、
噴火湾の海がどこまでも広がり、キラキラと綺麗で。
あんな景色を毎日見ていられたら、最高ですよね。」

 すると、彼女は急に困り顔になり、
「海だけだよ。ナンもないしょ。」
「だから、いいんじゃないですか。」
「やだ、そんなの。寂しいだけ。」

 「大都会での暮らしが、私の感性の中心なんだ。」
と、改めて思った。
 『マダマダだ。』と、額に手をおいた。


5、勿体ないから

 今年度の伊達市政執行方針で、菊谷市長さんは、
『将来に希望のもてる伊達市を創るために』として、
その第1に、「健康産業の創造」を上げている。
その対象は、「食」「住居」「スポーツ」「文化」「医療」だと言う。
 私は、『健康』という着眼点の素晴らしさに敬意と共に、
注目をしている。

 その一貫なのだろうか。
伊達市は、私が住みはじめた3年前の4月に、
『だて歴史の杜公園』内に、総合体育館を新築した。
素晴らしい施設である。

 そして、昨年4月、その体育館の横に、
温水プールとトレーニング室がオープンした。

 金づちの私に、温水プールは無縁だが、
新しく生まれ変わったトレーニング室は、大いに活用できそうだった。
 オープンしてすぐに、のぞいてみると、
多くの高齢者が、8台のランニングマシンや
10台のコードレスバイクを使い、汗を流していた。

 予想以上の盛況だったようで、
『1年で温水プールとトレーニング室の利用者が10万人を越えた』
と、今年4月、新聞の地元記事にあった。
 
 秋の終わりから春まで、好天の日を除いて、
私は、体育館のランニングコースやトレーニング室のランニングマシンを使い、
野外でのジョギング替わりに汗を流した。
 多いときで週2回、人の少ない午後3時頃をねらった。
 
 半年前のことになる。
 45分間、ランニングマシンで走り、大汗をかいた。
他の機器を使うため、Tシャツを着替えにロッカー室へ行った。
 そこで、汗を拭っていた時、
見慣れない同年齢の方が、額に汗を浮かべて戻ってきた。

 私を見るなり、
「定期券、持ってるの。」
と、訊いてきた。
 伊達に来てからは、こんな急な問いかけにも、大夫慣れた。

「いや、回数券です。」
「そうか。」
しばらく、沈黙があった。
 この温水プールとトレーニング室は、
利用料が一緒で、1回300円だった。
 しかも、回数券は3000円で11回、
定期券は6000円で3ヶ月何回でも利用できた。

 「それで、週どのくらい来るの。」
再び訊いてきた。
「そうですね、週1回か2回です。」

 「じゃ、回数券がいいか。俺さ、定期券買ったんだよ。
それでさ、、なんか勿体ないから、毎日来てるんだ。
損しないようにって、時々午前と午後の2回も来る日がある。
もう、疲れちゃって。」
「それは、頑張り過ぎですよ。」
「そうか、体、壊しちゃうな。今度は、回数券にするわ。」
  話しながら着替えを済ませ、
「じゃ、また。」とロッカー室を後にした。

 「エッ、勿体ない。1日2回も。」
「誰か、止めてやらないと。」、
『カナワナイ』と、額に手をおいた。


 6、どうして来るの

 2ヶ月程前になるだろうか。新聞の広告欄に、
『井上陽水コンサート「UNITED COVER2」』の記載があった。

 それに気づいた家内が、声を張り上げた。
「これ見てみて、ウソみたい。」
と、新聞を指差した。

 何をそんなに驚いているんだと、新聞をのぞき込んだ。
自分の目を疑りたかった。
ちょっとした夢の一コマを見ているようだった。

 新聞広告は、陽水コンサートのチケット販売の案内だった。
 11月、北海道の2会場でコンサートがある。
9日が小樽市民会館だ。
 そして、もう1つが、なんと、
わが町の『だてカルチャーセンター大ホール』なのだ。

 人口3万6千人の町の、収容1000人余りの会場で、
井上陽水がコンサートをする。
 目を疑って、当然である。夢のようなことだ。

 1970年代、井上陽水の『氷の世界』が大ヒットした。
 毎週日曜日の午前、共働きの我が家では、
育児に追われながらも、1週間分の掃除と洗濯をした。
 その時間、いつもFM放送から流れていたのが陽水の歌だった。
私は、すっかりファンになった。

 ニューミュージックと言われていた。
エネルギッシュで新時代を思わせる曲調、
そして同世代だったからか、その歌詞に共感した。

 この年になっても、いつでも、好きな歌手の一番は井上陽水だった。
 初めて陽水のコンサートに行ったのは、
ファンになって10年以上が過ぎてからだった。
大袈裟ではなく、帰り道は、感動で、夢遊病者状態だった。

 伊達に行ったら、もう聴く機会がなくなる。
そう思って、移住の数ヶ月前、
タイミングよく千葉公演があり、前から3列目の席を取り、
間近でその歌声に酔った。十分満足した。

 なのに、その本物の陽水が伊達に来る。
チケット2枚を手に入れるのに躍起になった。
 無事、チケットをゲットした。

 それにしても、多少の温度差はあるが、
伊達でも沢山の音楽好きが、このコンサートに驚いた。
 ブログを見ると、
「陽水さんが、伊達で公演なんて、信じられない。」
「コンサート当日は、大変な賑わいに。お祭り騒ぎだ。」
の書き込みが踊っていた。

 そして、
「それにしても、何故、陽水は
この町でコンサートをするの。不思議だ。」
との記載までもが。
 私も、同じ疑問を、くり返し家内に言い続けていた。

 つい先日、ひざの治療から戻った家内が、接骨院の先生も、
「どうして陽水は、伊達に来ることになったんだろうね。
信じたいけど、まだ信じられないなあ。」
だって。

 私だけではなく、きっと伊達の陽水ファンはみんな、
同じように、半信半疑の心境で、11月11日を迎えるのだと思う。

 そうか、私もちょっとだけ、この土地の人になったかも。
『ソレデイイ。』と、額に手をおいた。





  ナナカマドの実が真っ赤 綺麗
 
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