3日前の午後だ。
前ぶれもなく鼻炎が始まった。
花粉症の時に、くしゃみが止まらず、
その後、鼻の中の栓が壊れたかのように、
鼻みずが続くことがある。
それと全く同じ症状だった。
早々、買い置きしてあったアレルギー性鼻炎用の市販薬を服用した。
だが、治まる気配がない。
仕方なく、これまた買い置きの点鼻薬を入れてみた。
多少、くしゃみも鼻みずも頻度が減った。
横になると、症状がなくなることに気づいた。
いつもより、早くベットについた。
そして、一昨日。
目覚めて動き出すと同時に、くしゃみが始まった。
症状は、前日と同じ。
朝食をとりながらも、鼻みずが続く。
もう一度、買い置きの市販薬の引き出しを探した。
何年も前に服用した別の鼻炎用の薬があった。
半信半疑、その錠剤を飲んでみた。
同時に、点鼻薬も。
しばらくすると、鼻水が止まった。
だが、それも3時間と持たない。
再び鼻みずが出始め、
ティシューペーパーの箱を抱えて、日中を過ごす。
夕食後、もう1度、朝と同じ錠剤を飲んだ。
ピタリと症状が治まり、ホッとする。
そして、昨日だ。
今度は、くしゃみや鼻みずではなく、頭痛で目が覚めた。
ベットを離れる前に検温が習慣になっている。
いつもよりやや高めだった。
しかし、鼻炎の症状は消えていた。
いつも通り朝食を済ませても頭痛は続いていた。
でも、金曜日である。
ブログを書こうと机に向かう。
思考力も根気もなく、ただぼうっと。
昨日までの鼻炎が影響しているかもと、
午前を休養に切り替えた。
すると、ベットで熟睡。
昼食で、家内におこされ、念のために検温。
なんと37、3度。
私にしては、高熱。
BA.5は、風邪症状に似ていると言う。
コロナを疑った。
その後も熟睡また熟睡。
不安だけが膨らんだ。
幸い、今朝は、平熱。
で体調は『イマイチ』でも、
こうしてノートパソコンに向かうことができた。
さて、今日のテーマだ。
たった一人の孫は、もう小学2年になった。
そこで進級祝いを兼ねて、絵本を何冊か送った。
その1冊は、
文・つちやゆきお、絵・たけべもといちろうの
『かわいそうなぞう』である。
まずは、ウィキペディアに載っているあらすじを紹介する。
* * * * *
第二次世界大戦が激しくなり、
東京市にある上野動物園では空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、
殺処分を決定する。
ライオンやクマが殺され、
残すはゾウのジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。
ゾウに毒の入った餌を与えるが、
ゾウたちは餌を吐き出してしまい、
その後は毒餌を食べないために殺すことができない。
毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針が折れてしまうため、
餌や水を与えるのを止めて餓死するのを待つことにする。
ゾウたちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、
ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。
* * * * *
これは戦時下の実話をものとにしていると聞いた。
それもあって、心が大きく揺さぶられる絵本である。
担任していた教室には、必ずこの絵本を置いていた。
子供らは、いつでもそれを手にすることができた。
休み時間や放課後に、真剣な表情で読んでいた子が何人もいた。
忘れられないことがある。
2年生を担任していた時だった。
「先生、この本、みんなに読んであげて」と、
持ってきた子がいた。
「どうして」
私が尋ねると、その子は真剣な表情で、
「だって、かわいそうなぞうのこと、
みんなに教えてあげたいの」。
実は、この絵本を読み聞かせる自信がなかった。
でも、真剣さに押され、私は約束した。
そして、「帰りの会」の時間をつかって、
全員の前で、絵本を片手に読み聞かせを始めた。
どの子も,絵本に釘付けになった。
そして、遂にやせ細った象が芸当をする場面まで進んだ。
案の定、私は読むことができなくなってしまった。
声がつまり、涙が流れた。
子供らは、そんな私に気づき、じっとしていた。
その時のために用意していたタオルで、
顔を拭き、大きく息を整え、その場面を読んだ。
それからも、何度も何度も声を詰まらせ、子供らはさらに静まり
私は、やっと最後まで読み終えた。
読み聞かせが終わると、
必ず大きな拍手が返ってきた。
その日だけは、どの子も拍手を忘れ、しばらく沈んでいた。
以来、声に出して「かわいそうなぞう」を読んだことはなかった。
いや、声に出して読めないことが分かった。
追記になるが、同じように声に出しては読めない作品がもう1つある。
大川悦生・作『おかあさんの木』である。
これも、戦時下から始まる物語だ。
ウィキペディアに載っているあらすじを転記しておく。
* * * * *
今から数十年前、ある家に「おかあさん」と七人の息子が暮らしていた。
やがて日中戦争を皮切りに日本が戦争に入ると自分の息子たちは次々に召集され、
戦地へ赴いていった。
おかあさんは息子が出征する度に裏の空き地に桐を植え、
息子が不在の間、代わりとなる桐に語りかけて息子たちを励まし続けた。
初めは出征をするからには手柄を立てるようにと願っていたおかあさんも、
一郎が中国大陸で戦死し、遺骨となって戻って来たことをきっかけに、
次第に手柄を立てるより無事に戻ってくることを願うようになっていった。
召集をかけられた全ての息子たちは、戦争が終わっても誰一人戻らず、
戦死または行方不明になっていた。
おかあさんは次第に体が衰えていったが、
それでも息子たちの帰って来るのを心待ちにして、
自分が植えた七本の桐の木に絶えず語りかけた。
しばらく経って軍人たちが次々に帰還する中、
ビルマで行方不明になっていた五郎が
片足を引きずった状態で家に戻ってきた時には、
おかあさんは「五郎」と名づけた桐の木に凭れかかったまま息絶えていた。
収穫の日を待つ 雨に濡れた麦
前ぶれもなく鼻炎が始まった。
花粉症の時に、くしゃみが止まらず、
その後、鼻の中の栓が壊れたかのように、
鼻みずが続くことがある。
それと全く同じ症状だった。
早々、買い置きしてあったアレルギー性鼻炎用の市販薬を服用した。
だが、治まる気配がない。
仕方なく、これまた買い置きの点鼻薬を入れてみた。
多少、くしゃみも鼻みずも頻度が減った。
横になると、症状がなくなることに気づいた。
いつもより、早くベットについた。
そして、一昨日。
目覚めて動き出すと同時に、くしゃみが始まった。
症状は、前日と同じ。
朝食をとりながらも、鼻みずが続く。
もう一度、買い置きの市販薬の引き出しを探した。
何年も前に服用した別の鼻炎用の薬があった。
半信半疑、その錠剤を飲んでみた。
同時に、点鼻薬も。
しばらくすると、鼻水が止まった。
だが、それも3時間と持たない。
再び鼻みずが出始め、
ティシューペーパーの箱を抱えて、日中を過ごす。
夕食後、もう1度、朝と同じ錠剤を飲んだ。
ピタリと症状が治まり、ホッとする。
そして、昨日だ。
今度は、くしゃみや鼻みずではなく、頭痛で目が覚めた。
ベットを離れる前に検温が習慣になっている。
いつもよりやや高めだった。
しかし、鼻炎の症状は消えていた。
いつも通り朝食を済ませても頭痛は続いていた。
でも、金曜日である。
ブログを書こうと机に向かう。
思考力も根気もなく、ただぼうっと。
昨日までの鼻炎が影響しているかもと、
午前を休養に切り替えた。
すると、ベットで熟睡。
昼食で、家内におこされ、念のために検温。
なんと37、3度。
私にしては、高熱。
BA.5は、風邪症状に似ていると言う。
コロナを疑った。
その後も熟睡また熟睡。
不安だけが膨らんだ。
幸い、今朝は、平熱。
で体調は『イマイチ』でも、
こうしてノートパソコンに向かうことができた。
さて、今日のテーマだ。
たった一人の孫は、もう小学2年になった。
そこで進級祝いを兼ねて、絵本を何冊か送った。
その1冊は、
文・つちやゆきお、絵・たけべもといちろうの
『かわいそうなぞう』である。
まずは、ウィキペディアに載っているあらすじを紹介する。
* * * * *
第二次世界大戦が激しくなり、
東京市にある上野動物園では空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、
殺処分を決定する。
ライオンやクマが殺され、
残すはゾウのジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。
ゾウに毒の入った餌を与えるが、
ゾウたちは餌を吐き出してしまい、
その後は毒餌を食べないために殺すことができない。
毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針が折れてしまうため、
餌や水を与えるのを止めて餓死するのを待つことにする。
ゾウたちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、
ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。
* * * * *
これは戦時下の実話をものとにしていると聞いた。
それもあって、心が大きく揺さぶられる絵本である。
担任していた教室には、必ずこの絵本を置いていた。
子供らは、いつでもそれを手にすることができた。
休み時間や放課後に、真剣な表情で読んでいた子が何人もいた。
忘れられないことがある。
2年生を担任していた時だった。
「先生、この本、みんなに読んであげて」と、
持ってきた子がいた。
「どうして」
私が尋ねると、その子は真剣な表情で、
「だって、かわいそうなぞうのこと、
みんなに教えてあげたいの」。
実は、この絵本を読み聞かせる自信がなかった。
でも、真剣さに押され、私は約束した。
そして、「帰りの会」の時間をつかって、
全員の前で、絵本を片手に読み聞かせを始めた。
どの子も,絵本に釘付けになった。
そして、遂にやせ細った象が芸当をする場面まで進んだ。
案の定、私は読むことができなくなってしまった。
声がつまり、涙が流れた。
子供らは、そんな私に気づき、じっとしていた。
その時のために用意していたタオルで、
顔を拭き、大きく息を整え、その場面を読んだ。
それからも、何度も何度も声を詰まらせ、子供らはさらに静まり
私は、やっと最後まで読み終えた。
読み聞かせが終わると、
必ず大きな拍手が返ってきた。
その日だけは、どの子も拍手を忘れ、しばらく沈んでいた。
以来、声に出して「かわいそうなぞう」を読んだことはなかった。
いや、声に出して読めないことが分かった。
追記になるが、同じように声に出しては読めない作品がもう1つある。
大川悦生・作『おかあさんの木』である。
これも、戦時下から始まる物語だ。
ウィキペディアに載っているあらすじを転記しておく。
* * * * *
今から数十年前、ある家に「おかあさん」と七人の息子が暮らしていた。
やがて日中戦争を皮切りに日本が戦争に入ると自分の息子たちは次々に召集され、
戦地へ赴いていった。
おかあさんは息子が出征する度に裏の空き地に桐を植え、
息子が不在の間、代わりとなる桐に語りかけて息子たちを励まし続けた。
初めは出征をするからには手柄を立てるようにと願っていたおかあさんも、
一郎が中国大陸で戦死し、遺骨となって戻って来たことをきっかけに、
次第に手柄を立てるより無事に戻ってくることを願うようになっていった。
召集をかけられた全ての息子たちは、戦争が終わっても誰一人戻らず、
戦死または行方不明になっていた。
おかあさんは次第に体が衰えていったが、
それでも息子たちの帰って来るのを心待ちにして、
自分が植えた七本の桐の木に絶えず語りかけた。
しばらく経って軍人たちが次々に帰還する中、
ビルマで行方不明になっていた五郎が
片足を引きずった状態で家に戻ってきた時には、
おかあさんは「五郎」と名づけた桐の木に凭れかかったまま息絶えていた。
収穫の日を待つ 雨に濡れた麦