ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ハンドルを握って あれこれ

2018-01-26 22:02:58 | 時事
 結婚してすぐに普通免許を取得した。
当時、東京の某区では車通勤が黙認されていた。
 電車とバスを使うと1時間以上かかったが、
高速道路を利用すると40分もかからずに、
勤務校まで行けた。
 なので、毎日ハンドルを握った。

 運転が日常だったので、上達も早かった。
ハンドルを握ることに、抵抗がなくなり、
運転の楽しさを知った。

 なので休日を利用して、よくドライブした。
それだけでなく、長期休みには車で家族旅行をした。
 何回か、北海道の実家まで途中フェリーを利用し、
マイカーで行った。
 ついでに、北海道内や東北を観光したこともあった。
朝霧の中を、十和田湖までの奥入瀬渓谷を
車で走った。
 その時の美しさは、今も心に残っている。

 だが、年令と共に、お酒の機会も増えた。
車通勤も厳しく規制された。
 もっぱら、運転は月1、2回の、
休日ゴルフだけになった。
 旅行も、電車の利用に変わった。

 さて、伊達に来てからのことになる。
ここからは、若干生々しい話になるが、お許し頂きたい。

 地方はどこも同じだろうが、伊達も車社会である。
我が家の周りを見ても、各家に駐車スペースがあり、
中には家族の人数分の車が止まっている家もある。

 驚くことに、我が家の横にあるゴミステーションまで、
車でゴミ袋を持参する方も少なくない。

 ハンドルを握る人も、老若男女と様々で、
中には、苦手でも、仕方なく運転している方もいるようだ。

 駐車ラインを無視した自家用車を、
スーパーの駐車場でよく見かける。
 また、優先車線なのに「お先にどうぞ」と進入車へ走行を譲る車、
ウインカーを点けないまま、急に右左折をする車など珍しくない。
 つい最近、市内でも、店舗の出入口に乗用車が突入した。
やはり、アクセルとブレーキを間違えたらしい。

 「どうかハンドルを握ることをおやめ下さい。」
そう言いたいが、生活に欠かせない方も多いようで、
なかなか難しい問題である。

 そんな訳で、首都圏を走っていた頃よりも、
気の抜けない運転を強いられている。

 ところがである。ずっとゴールドだった私が、
今はブルー免許に変わってしまった。

 交通事故の多い北海道である。
取り締まりが厳しくて当然である。
 案の定、2度も違反キップを切られてしまった。

 1度は、伊達に移住する直前である。
自宅がほぼ完成し、最終確認を済ませた帰路だった。
 新千歳空港へレンタカーを走らせていた。
若干予定より遅れていた。
 高速道を降りて、苫小牧から一般道を走り始めてまもなく、
パトカーが追ってきた。

 「ちょっとスピードが出てましたね。」
「空港まで、急いでいるんですが・・・。」
「すぐ終わります。後ろのパトカーまで・・。」
 結局10数キロオーバーで、反則金が課せられた。

 若干のイライラはあったが、
急いでいたのは確かだったので、納得して応じた
 それでも、出発時刻に間に合わせようと、
空港ビル内を小走りした時には、不愉快さがつのった。
 「スピードを出しすぎた。今後は法令遵守で!」
などの反省心は全くなかった。

 次の違反は、ちょっとした語り草になる。
その日は、時には「プチ贅沢を」と、
家内と二人で、1泊2ラウンドのゴルフに出掛けた。

 我が家から1時間半程、高速道を走り、
残り30分、一般道を行けばゴルフ場だった。

 一般道に出てまもなく、
軽乗用車と普通トラックについて走ることになった。
 家内の実家へ行く際に何回か利用した道だった。
走り慣れていた。

 プレイ時間までに余裕があったので、
前の2台につかず離れず進んだ。

 しばらく行くと、道路脇に停車していたパトカーが、
突然赤色灯を点けて、追いかけてきた。
 「前の車、停車しなさい。」 
くり返し叫ばれた。
 訳も分からず、道路脇に車を止めた。

 パトカーから、中年の警官が降りてきた。
ウインドをさげると、警官は胸を張って言った。
「スピードの出し過ぎ。後ろのパトカーまで来て。」
「エッ! スピード違反ですか。それ程、出してませんよ。」
「いいから、降りて。向こうで説明するから。」

 しぶしぶパトカーまで行くと、
その警官は、赤色灯の付け根にあるレンズを指さした。
 「これ、性能のいい測定器。これで計ったから間違いない。
さあ、後ろの席に乗って、乗って。」
 なかば強引に、後部座席に座らされた。

 パトカーの運転席にいた若い警官が、
記録が印字された紙片を示した。
「66キロを測定しました。16キロオーバーです。」
「エッ、ここは50キロ制限だったの。」
 すると、再び中年の警官が言った。
「そうだよ。さあ、ここに、拇印をおして。」

 私は、しぶしぶ速度違反を認め、
反則金支払いの用紙を受け取った。
 しかし、どうしても釈然としない。

 パトカーを降りかけて、二人に尋ねた。
「こんな時の苦情って、どこに電話すればいいの。」
「エッ、苦情。どんな苦情?」
中年警官が、聞き返した。
 
 私は、意地悪く言った。
「電話番号を教えて下さい。そこで話しますから。」
「それより、何が苦情なんだ。」
「今は、言いたくない。」
 私は、そう言ってパトカーを降りた。
 
 すかさず、二人もパトカーを降り、
歩道の私に迫った。

 「いいですか。私の前に2台も車が走っていました。
なのに、その2台を見過ごして、私を捕まえた。
 それでいいのか。ただ、それを訊きたいだけ。」
そう言い捨てて、愛車に戻ろうとした。

 すると、中年警官は私の腕をつかんだ。
「その説明なら、現場に戻ってしましょう。
もう一度、パトカーに乗って」
 「私は、もうスピード違反を認めたんだから、
もういいんです。戻りません。」
 警官の手を、ふりほどいた。

 車で待っていた家内が、異変に気づいて降りてきた。
中年警官は、くり返した。
 「いや、是非説明したい。車に乗って!」
「もういいです。」

 私は、立ちふさがっている警官を、
押しのけようとした。
 すると、警官はやや大き目の声で言った。
「奥さん、見ましたよね。公務執行妨害だ。」
 「そんな馬鹿な。なに言ってるんだ。」
私は、あきれ果て、その場を離れようとした。
 そうはさせないと、警官は
「現場に戻って。」とくり返した。
私は、「もういい。」をくり返した。

 そこに仲裁役のように、若い警官が割って入った。
そして、私と家内を引き連れ、中年警官と距離を置いた。

 そこで、この警官が私たちに言ったことが凄い。
「落ち着いてください。すみません。
あの警察官は、古いタイプの警察官なので・・。」

 私も家内も、唖然とした。
それまでのイライラや怒りが、
一気にどこかへ飛んでいってしまった。

「わかりました。後はよろしくお願いします。」
そう言い残し、私と家内は愛車に乗り込んだ。

 その場を離れたバックミラーに、
何やら話し合う2人の警官の立ち姿があった。
 
 その日のゴルフは、時々「古いタイプの警察官」が頭をよぎり、
笑いをこらえながらのプレイになった。
 


  伊達も極寒 凍てつく『大雄寺』 

 
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禅語『日々是好日』らしき

2018-01-20 20:40:50 | 思い
 愛読書に「ほっとする禅語70」がある。
そこで最初に紹介されている禅語が、
『日々是好日』(にちにちこれこうじつ)だ。

 この本では、「どんな日もいい日だと言えますか」の添え書きの後に、
こんな解説が載っている。

 『朝、カーテンを開けたら、
どんよりと重く雲がかかって雨がシトシト。
肌寒く、出掛けるのがおっくうになるような天気の日。
しかも午後の予定はハローワーク。
こんな天気じゃ自転車が使えないから歩いていかなきゃ。
明日はカードの支払いがあるから、お金の算段もしなくては。
あら?ストッキングが伝線している!

 こんな日に「日々是好日」なんて言ってられますか?

 しかし「日々是好日」は、
どんな日でも毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。

 ムカつく日も悲しい日も、雨の日も風の日も、
その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、
かけがえのない日になる。
新鮮な気持ちで目ざめたら、
雨も楽しもう、寒さも味わおう、
ハローワークも出逢いの場だ、
お金の算段も当てがあるだけ幸せだ。

 ほのぼのとして幸せな字面ですが、
なかなか難問です。』

 また、ある資料で、達磨寺の副住職・広瀬大輔氏は、こう述べていた。
 
 『好日の好は好悪の好ではありません。
「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、
「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」
と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。

 禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、
まだ来ぬ明日に期待したりしません。

 目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、
ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、
それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。』

 つい先日、女子スピードスケートの小平奈緒さんが、
平昌オリンピックへの意気込みを語った新聞記事を見た。

 彼女は、インドのガンジーの言葉を引用し、心境を述べていた。
その言葉とは、
『明日死ぬかのように生きよ 永遠に生きるかのように学べ』
である。

 初めて聞いた言葉だったが、背筋が突然伸びた。
広瀬副住職が言う『この一瞬を精一杯に生きる』ことの意味は、
これだと思った。
 同時に、私のようなものには、あまりにも高いハードルだと感じた。
だから、日々是好日は、『なかなか難問』に違いないのだ。

 しかし、日々是好日は、
『その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、
かけがえのない日になる』とも教えている。
 ハードルを上げず、「それならば!」と、
10年前に、年賀状にこんな詩を添えた。


     日々是好日

 休日の朝に
 つかの間の散歩を楽しむこと
   路傍の花たちが目を奪い
   凪の海に耳を澄まし
   時には
   つり人のクーラーボックスをのぞき込む
   復路は決まって少しだけ活気づく

 そしてやがて

 橘吉の湯吞に
 ぬるめのお茶を味わうこと
   青空の日差しが窓を開け放ち
   陽水やさだの曲に心を止め
   時には
   あの日のあの時を回顧する
   四季は決まって少しだけ安らか


 さて、最近の私は、
その時々をどう味わって過ごしているのだろう。
 『日々是好日』らしきことを探してみた。

 ▼目覚めを促す時計音に起こされ、
カーテン越しに外をうかがう。
 天気予報通り、深夜に積雪があった。

 通勤や登校の時間までにと、支度を急ぐ。 
まずは、自宅玄関から歩道までの雪を除ける。
 そして、自宅前歩道の新雪を、
雪かきシャベルで花壇方向へ移し、放り上げる。

 あたりは、明るさを増し、夜明けが近い。
次第に体は温まり、背中が汗ばみ始める。

 冬の日常である雪かきが、ようやく折り返しを迎えた時、
いつもの時間に、愛犬と一緒の女性が、
少し離れた十字路を横切る。
 それに気づかず、シャベルを動かす私に、
彼女は、少し大きめの声を出す。
 「おはようございます。」

 それでも、もくもくと雪かきを続ける私。
「もうぅ・・おはよう、ございます!」
 やっと気づいた私は、シャベルを止め、声の方を見る。

 キラキラと光を増す雪道を背に、
足の短いワンちゃんと顔馴染みの笑顔があった。
「あっ、おはようございます。散歩、いってらっしゃい。」
「はーい!」

 ちょっとの間、散歩の後ろ姿を見送り、
再び、シャベルを持ち上げ、
残り半分の雪かき作業に息を弾ませる。
 最後は、マイカーに積もった雪を下ろして、終わり。

 長靴を脱ぎ、早々食卓に座る。
グレープジュースを片手に、
大好きなアイボックスの天然酵母食パンに蜂蜜をのせ、頬ばる。
 「Oさんの奥さん、今朝もワンちゃんと一緒に散歩に行ったよ。
おはようございますって、声かけてくれた。」
 「あら、そうだったの。」

 どこにでもありそうな朝の時間だ。
どうやら、今日は1日中雪模様らしい。
 それでも、こんな朝の日は、ずうっと心が軽い。

 ② 新年を迎えてから、伊達は雪が少ない。
口々に「おかしな冬ですね。」と言いあう程だ。
 つい先日も一夜で7,8センチの降雪があったが、
日中の暖かさで、2日程で消えてしまった。

 さて、強い風の日を除いてのことだが、
数センチも新雪が積もると、車の騒音等も消え、町中が静かになる。
 私はそう感じている。
それは、勝手な思い込みではなく、
確かに新雪には静音効果があると聞いた憶えがある。

 そんな静寂の雪の日は、
テレビのにぎやかなバラエティーなど似合わない。
 それより、自室にこもり、
少しずつ小遣いを貯めて買ったミニコンポのスイッチを入れる。

 ここ数年、くり返し聴きたくなる歌が2曲ある。
いずれも松任谷由実のラブソングだ。  
 
 1つは、徳永英明の『VOCALIST6』にある
「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」だ。

 歌い出しはこうだ。
『夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
ずっと手をふり続けていたいひと』
 旋律もさることながら、
私はこの歌詞の描写力に心奪われる。
 
 きっと多くを語ることなどない二人だろう。
静かに温め合っている控え目な想いが、にじんでくる。

 そんな二人に、歌声はエールを送る。
『傷ついた日々は 彼に出逢うための
そうよ 運命が用意してくれた
大切なレッスン』
 「そんなことがあったんだ!」とジーンとくる。

 もう1つは、井上陽水の『UNITED COVER2』にある
「リフレインが叫んでる」だ。

 この曲は失恋の歌で、
『すりきれたカセットを久しぶりにかけてみる
昔気づかなかった
リフレインが悲しげに叫んでる』と、
歌の中程にある歌詞が、タイトルと重なる。

 加えて、歌詞の至るところに、
『どうしてどうして・・・ったのだろう』と後悔が、
リフレインされている。

 詩のドラマ性と合わせて、
リフレインの効果が、悲哀や失望を切々と伝えてくる。 

 私は、そんな歌を聴きながら、
肘かけ椅子にもたれかかり、窓の外を見る。
ゆっくりと雪が舞い降りてくる。
 冬の風景は、決まって水墨画色をしている。
その上、私の人生は、『青春、朱夏、白秋、玄冬』の終わり、
もう色を失っている。
 それでも、ボリュームを少し上げたスピーカーから、
鮮やかな色彩が流れてくる。
 すると、当然のように、今日も心は弾んでしまう。
 



   春は まだまだ先なのに
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ランチ あれこれ

2018-01-12 22:04:54 | 
 ▼ まずは、中学生の時の弁当である。
来る日も来る日も、おかずが煮豆とちくわの煮物だった。
 きっと今日は違うおかずだろうと期待して蓋をあける。
やっぱり煮豆とちくわの煮物。
 それでも、食欲には勝てず、空にして持ち帰った。

 次第に、疑問が広がった。
なぜ、同じおかずなのだろう。
 当時我が家は、貧しかった。
だから、これしかおかずに入れられないのだろう。
 そう考え、煮豆とちくわの煮物で我慢した。

 しかし、あまりにも長く続いた。
我慢も限界になった。
 若干怒りを抑えて、母に言った。
「いつもいつも煮豆とちくわの煮物だよ。
たまには、違うおかずにしてよ。」
 「だって、あんた、煮豆もちくわの煮たのも、
大好きって言ったでしょう。」

 確かに、そんなことを言った憶えがあった。
「そう言ったかも、でも・・・。」
 母は、少し不快な顔をしていた。

 今も、煮豆やちくわが食卓に上ると思い出す。
ランチに関する最初のエピソードかも知れない。

 ▼ 教職に就いてからのランチは、学校給食だった。
教員は早食いだと言われる。
 「それは、職業病です」と、よく私は言った。

 少しでも早く食べ終え、食の細い子を促したり、
お代わりの給仕をしたりする。
 その上、できれは連絡帳に目を通したり、
ノートの添削、テストの採点をしたりしたいのだ。

 だから、担任時代の私は、
給食をゆっくり味わったことがなかった。
 でも、年々給食が良くなり、
美味しくなっていったことだけは実感した。

 パン食一辺倒だった献立も、
米飯食や麺類などバリエーションが豊富になった。
 いち早く旬の果物が出ることも増えた。
パエリアやポルシチなどは、給食で初めて口にした。

 ▼ 校長として着任したS区は、
全べての小中学校に栄養士がいた。
 だから、学校独自の献立が可能だった。
さらに給食は充実した。

 ところが、『Oー157』が流行してからは、
校長に「検食」が義務づけられた。
 私は、出来立ての給食を、
学校で1番早く食べる役回りになった。
 言わば『お毒味役』なのである。
私が食べて、異常がないことを確認してから、
全校児童への配食が始まるのだ。

 それも仕事と思って、割り切っていたが、
それまでと違って、
美味しいと諸手を挙げてられなくなった。

 ▼ それはさておき、言うまでもないことだが、
安心、安全な給食を毎日提供することは、
学校の重要な役割だった。

 予定していた給食が作れず、
子どもを空腹のままにすることなど、
決してあってはいけないことだ。
 ところが、そんな危機を、2度経験した。

 ▼ 1つ目は、明らかな調理ミスだった。 
その日のメイン献立は、煮物だった。
 3つの大鍋で、低・中・高学年に分けて具材を煮て、
味付けを始めた。
 中学年の鍋を担当した調理師が、何を勘違いしたのか、
砂糖と間違って、大量の塩を投入してしまったのだ。

 栄養士が、顔色を変えて校長室に来た。
「今から作り直しは無理です。
校長先生、どうしますか。」
 このような事態を想定したことはなかった。
でも、こんな時、校長には即断即決が求められた。
 1分間ほどの静寂があった。

 「2つの鍋のものを、全校で分けましょう。
それでは、量が足りないでしょうから、
今からでも調達できるものはないかな。」

 校長室を飛び出した栄養士は、
すぐに出入り業者に電話をかけた。
 何軒か問い合わせた末だった。
「校長先生、ゆで卵なら人数分何とかできます。」
「それでいい!」

 ▼ 2つ目は、作業の油断が招いた。
調理室の脇には、小さなエレベーターがある。
 人を乗せるものではなく、
出来上がった給食と食器等を、
それぞれの教室階へ運ぶためのものだ。

 その日も順調に調理作業が進み、
エレベーターを使って各階へ、給食を上げる作業に移った。
 1番はじめに4階の高学年用を運び上げた。
少しの時間をおいて、ガタンという音と一緒に、
エレベーターが急停止した。

 原因はすぐに予想できた。 
エレベーター内で、何かが荷崩れしたのだ。
 その荷が、内部のどこかにはさまり、停止したようだ。
幸い汁物がこぼれている気配はなかった。
 
 エレベーターの上下ボタンをいくら押しても、全く動かない。
調理主任が顔色を変えて、校長室へ飛び込んできた。
 「4階以外は、階段を使って運びます。
校長先生、4階の給食はどうしますか。」
 主任は、経験したことない事態に、
常軌を逸した表情だった。

 私は、何の確信もなかったが、ゆっくりと言った。
「大丈夫だよ。何とかなるよ。
まずは、エレベータの点検業者に連絡して、
できれば、来てもらってください。」
 「でも、業者はどんなに早くても1時間はかかります。
それじゃ、給食時間が終わってしまいます。」
 「いいから、まずは連絡をしてごらん。」

 私の強い口調に折れて、主任は電話した。
事態の緊急性を理解した業者は、
その日の作業員の行動予定を調べた。
 すると同じ区内の学校で点検作業をしている社員がいた。
直ちに連絡を取り、10分後には駆けつけてくれた。

 彼は、事故の様子をすぐに把握し、
最上階の天井裏に潜り込んだ。
 そして、エレベーターを真上からのぞき込み、
手動でゆっくり1階の調理室まで下ろした。

 その後、もう1度積み直しをし、
給食は、無事4階まで上げられた。
 高学年は、20分ほど遅れて食べ始めることができた。

 ▼ 学校を離れてから、
1年間は教育アドバイザーとして研修室勤務となった。
 ランチは、給食でなくなった。
スタッフ6人の中には、
弁当やコンビニ物を持参する者もいたが、
多くは私と同じで、美味しいランチを求めて、
お店を歩き回った。

 ある日の昼休み、スタッフの1人が提案した。
「狭くて汚いんだけど、安くて美味しい店を見つけました。
そこへ行きませんか。」

 半信半疑で、案内してもらった。
ビックリした。
 カウンターの前に、椅子が7つだけ並んでいた。
しかし、奥の席に行くには、
座っている方に立ってもらわないと行けなかった。
 カウンター越しのこれまた狭い厨房には、
老夫婦が立ち働いていた。

 ランチは曜日ごとにワンメニューで、
その日は麻婆豆腐定食だった。
 店に入る時、外扉の脇にあったカゴに、
10数個の豆腐と長ネギがあった。
 その訳が分かったが、
食材が無造作に外に置かれていることに驚いた。

 しかし、それにしても店内は古くて汚い。
その壁の一角に、どこかのテレビ番組でやっていた
汚いけど美味しい店の『認定証』が貼ってあった。

 出てきた麻婆豆腐定食は、確かにいい味だった。
だが、隣の定食とは、まったく違う器に盛られていた。

 私たちが食べ始めると、客が途絶えた。
するとご主人は、ゆっくりと厨房を出て、
私たちの後ろにあるトイレに入って行った。

 狭い店である。
小用を済ましているのが分かった。
 それを聞きながらのランチだった。
「参った。」と思いながら、500円を払い店を出た。

 「あの店いいね。安いし、美味しい。また行こう。」
「そうしよう!」
 そんな感想を聞きながら、
私はどうしても同意できなかった。





  久しぶりの雪化粧 だて歴史の杜公園 
   
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心に きざんで・・・

2018-01-05 21:34:43 | 時事
 平成30年(2018年)の新年を迎えた。
元日、伊達は1日雨が降り続いた。
 すっかり雪が消えてしまった。
春と間違って、庭の宿根草が芽を出したりしないか、
ふと心配したりしている。

 さて、昨年の年の瀬、
私が愛読する朝日新聞の2つのコラムに、
連日、心が揺れた。

 『折々のことば』の鷲田清一さんも、
『天声人語』の執筆者も、
この1年の総括として、想いを記したのだろう。

 そんな受け止め方と同時に、2つのことを心にきざんだ。


  その1

 まず、27日『折々のことば』である。

中野翠さんは『この世は落語』に記した。
 『「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけないような風潮がある…どうにも不快なんです』。

 次にコラムの解説が続く。
『落語のいいところは、…「存在を楽しく許している」ところ。
ものごとには表と裏、底と天井、さらには抜け穴すらあって…、
損得より大事な物差しがあることを教えてくれる』


 そして、28日『天声人語』である。

まず初めに、福沢諭吉が、
子ども達に渡した桃太郎の教訓が紹介されている。
 『英雄のはずの桃太郎が、
もしかしたら強盗殺人犯かもしれない』と言うのだ。

 そのような事例等通して、コラムはこう結ぶ。
『相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。
ものごとの複雑さも分かる。
 …自分にとって正義でも、
別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。
 忘れてはいけない視点であろう。
身近な人との関係でも、歴史や国際関係を考えるときも。』


 さらに、29日『折々のことば』が続く。

お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎が、
年老いた大家さんと手をつないで、散歩に出た。
 その時、『年だからもう転べないのです 
矢部さんはいいわね まだまだ何度でも転べて』

 しかし、コラムは力説する。
『やり直しできるのは若者の特権。
 なのに、一度躓いて無能との烙印を押されればそこで終わり。
やり直しを許してくれない社会はむごい。』


 ※『「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけない』。
 『別の人からすれば理不尽な振るまい』。
そして『やり直しをゆるしてくれない』。
 確かにそんな風潮が蔓延している現代と言える。

 だから、『損得より大事な物差し』が重要なのだと思う。
おそらくその物差しは、『相手の側に立ってみ』ることができる、
『何度でも転べて…やり直しができる』ものだと思う。

 格差が広がり、生きにくさばかりが目につく。
なぜか、胸が詰まることをよく目の当たりにする。
 だからこそ、誰もが、もっと「豊かに」、もっと「やわらかく」、
もっと「ゆったり」と生きることを大切にしたい。
 

 その2

 1つ目は、29日『天声人語』である。

 12月11日に起きた、
新幹線のぞみの台車が破断寸前だった事故を取り上げ、
『無責任体制の同乗はご免こうむりたい。』とコラムは結んでいる。

 さて冒頭、
『衆人環視のなかで、誰からも止められないまま犯罪が行われる。
…そんな事態が時折起きるのを説明する概念』として、
「責任感の拡散」という言葉を紹介している。

 『どうも人間は、「自分がしなくても誰かが手を貸すだろう」と
考えがちな生き物らしい。
人が大勢いるのに誰も何もしないのではなく、
人が大勢いるから何もしない、という見方である』
と、説明している


 2つ目は、30日『天声人語』である。

 冒頭に、故・宮沢喜一さんが、
部下の役人に語った言葉を紹介し、こう述べている。

『「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。
… 20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。
平和を当たり前だと思っていたからだろう。
いまは違う。』

 コラムは続く。
『この1年、戦争の2文字がちらつく…。
北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている…。
不幸なのは「小さなロケットマン」などど挑発をし返すような人物が、
米国大統領だということだ。』

 そして、最後にこう強調する。
『不可解なのは、万が一の時、
…被害想定すら政府が示さないことだ。
どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている。
間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。
切にそう願う。』


 ※ 誰しも、読後の重たさは半端でないだろう。
私も同じだ。
 第一線のジャーナリストが、『切にそう願う』と書くまで、
危機は迫っている。
 
 昨年9月15日朝7時過ぎ、Jアラートが鳴った。
ジョギング中のスマホも鳴った。
 逃げるところも、隠れるところもない。
そのまま走り続けた。
 でも、「まるで戦時中の空襲警報みたい・・!」
不快と不安を強くした。

 政府からは、北朝鮮への抗議声明はあったものの、
国民をこんな国際情勢下に置いていることの政治責任や、
謝罪の弁など一切ない。

 『天声人語』にあった
『自分がしなくても誰かが』と言った『責任感の拡散』、
『どこかひとごとのような奇妙な危機意識』の言葉が、
胸に刺さる。

 せめて、『自分がしなくても』や『ひとごと』にするのは、
止めにしたい。心にきざんだ。


   *   *   *   *   *   *


 ◎引用したコラムを添付する。

 ① 27日『折々のことば』
いまは「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけないような風潮があるけれど、
私はそれがどうにも不快なんです
中野 翠
  落語のいいところは、損得と関係なしに
「存在を楽しく許している」ところ。
  ものごとには表と裏、底と天井、
 さらには抜け穴すらあって、
 それを覗かせながら笑いに転化させる落語は、
 心の機微の分かるオトナになるための格好の教材。
  損得より大事な物差しがあることを教えてくれると
 コラムニストは言う。  『この世は落語』から。


 ② 28日『天声人語』
 福沢諭吉は毎朝の食事の後、
幼い子どもたちを書斎に呼び、教訓を書いて渡していた。
ある日の教えは、桃太郎についてだった。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、
たからをとりにゆくといへり、けしかならぬことならうや」

▼鬼ヶ島にある宝は、鬼の所有物である。
それを理由もなく取り上げるとすれば、
むしろ桃太郎は盗人ともいうべき悪者であると福沢は書いた。
子どもたちはどんな顔をしただろう。
英雄のはずの桃太郎が、もしかしたら強盗殺人犯かもしれないのだ

▼まるで福沢の発想を前に進めたかのようである。
桃太郎の故郷を任ずる岡山県で、
鬼の側から考える授業があると
先日の本紙夕刊(東京本社版など)が伝えている

▼退治された鬼に、もしも子どもがいたらどうだろう。
「鬼太郎」というキャラクターを作り、中学生に投げかける。
それでも桃太郎は退治をしたのかどうか、議論が発展する。
そもそも鬼退治を思い立ったのは
「鬼を悪者と決めつけてしまったから」
という意見も出たという

▼相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。
ものごとの複雑さも分かる。
今年引退した最年長棋士、加藤一二三さんも、
それを肝に銘じていたのかもしれない。
対局中に相手の側に回り込み、盤面を眺めることがよくあった

▼自分にとって正義でも、
別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。
忘れてはいけない視点であろう。
身近な人との関係でも、そして歴史や国際関係を考えるときも。


 ③ 29日『折々のことば』

年だからもう転べないのです 矢部さんはいいわね
まだまだ何度でも転べて
                矢部太郎の大家さん
  お笑いコンビ・カラテカのボケ役は、
 おっとり上品な物腰の大家さんと仲良し。
  手をつないで散歩に出た時、
 年老いた彼女が覚束ない足どりを詫びてこう言った。

  年がいくと悔いがあってももうやり直せない。
 やり直しできるのは若者の特権。
  なのに、一度躓いて無能との烙印を押されればそこで終わり。
 やり直しを許してくれない社会はむごい。
               矢部の漫画『大家さんと僕』から。

 ④ 29日『天声人語』
 社会心理学の本を読んでいて
「責任感の拡散」という言葉を目にした。
衆人環視のなかで、誰からも止められないまま犯罪が行われる。
通報すらなされずに。
そんな事態が時折起きるのを説明する概念である

▼どうも人間は、
「自分がしなくても誰かが手を貸すだろう」
と考えがちな生き物らしい。
人が大勢いるのに誰も何もしないのではなく、
人が大勢いるから何もしない、という見方である
(岡本浩一著『社会心理学ショート・ショート』)

▼そんな心理が働いたのかもしれない。
今月11日、新幹線のぞみの台車が破断寸前にまで陥った。
車内にいた乗務員や保守点検担当者ら11人全員が、
音やにおいなどの異常を感じていたが、
停止の判断に至らなかった

▼東京の司令員ともやり取りしていたが、
お互いに判断を譲り合った。
車内の担当者は、どの駅で停止すべきか
東京が決めてくれると考えた。
東京側は、必要なら車内から
はっきり意思表示があるだろうと思っていた。
連絡の聞き漏らしもあり、そのまま3時間走り続けた

▼野球で言えば、みすみすポテンヒットを許すようなものだ。
大声を出し、迷ったら自分が前に出て球を捕る。
そんな当たり前のことができなかった。
もしも脱線していたらと思うと背筋が寒くなる

▼国鉄時代には下駄代わりの気軽な交通手段として
「下駄電」と呼ばれる電車があった。
旅行、出張、そして帰省の足として、
新幹線も今や下駄電なみの身近さだろう。
無責任体制の同乗はご免こうむりたい。


 ⑤ 30日『天声人語』
 「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。
多くの大臣を経験した故・宮沢喜一さんが折にふれ、
部下の役員たちに語っていた言葉である。
20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。
平和を当たり前だと思っていたからだろう。
いまは違う。

▼起きるはずがないと思っても、戦争は起きる。
宮沢さんは、そう言いたかったのだろう。
言葉の重みを感じるのは、
この1年、戦争の2文字がちらつくようになったからだ。
北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている

▼現在の危機は、長い年月の結果である。
不幸なのは「小さなロケットマン」などと
挑発をし返すような人物が、
米国大統領だということだ。
外交を担う国務省幹部の任命も遅れ、
機能の低下が危ぶまれている

▼先月の紙面で、
元米国国防長官ウィリアム・ペリーさんが
もどかしそうに語った。
「私が驚くのは、
実に多くの人が戦争がもたらす甚大な結果に
目を向けていないことです」。
もしも核戦争になれば、韓国は朝鮮戦争の10倍、
日本も第2次大戦並みの犠牲者が出るかもしれない。
だからもっと真剣に外交を、との訴えである

▼「国難」なる言葉で北朝鮮を前面に出した選挙があった。
不可解なのは、万が一の時、
人間の肉体がどれだけ破壊される危険があるのか、
被害想定すら政府が示さないことだ。
どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている

▼間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。
切にそう願う。





   三が日もフル操業 製糖工場
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