結婚してすぐに普通免許を取得した。
当時、東京の某区では車通勤が黙認されていた。
電車とバスを使うと1時間以上かかったが、
高速道路を利用すると40分もかからずに、
勤務校まで行けた。
なので、毎日ハンドルを握った。
運転が日常だったので、上達も早かった。
ハンドルを握ることに、抵抗がなくなり、
運転の楽しさを知った。
なので休日を利用して、よくドライブした。
それだけでなく、長期休みには車で家族旅行をした。
何回か、北海道の実家まで途中フェリーを利用し、
マイカーで行った。
ついでに、北海道内や東北を観光したこともあった。
朝霧の中を、十和田湖までの奥入瀬渓谷を
車で走った。
その時の美しさは、今も心に残っている。
だが、年令と共に、お酒の機会も増えた。
車通勤も厳しく規制された。
もっぱら、運転は月1、2回の、
休日ゴルフだけになった。
旅行も、電車の利用に変わった。
さて、伊達に来てからのことになる。
ここからは、若干生々しい話になるが、お許し頂きたい。
地方はどこも同じだろうが、伊達も車社会である。
我が家の周りを見ても、各家に駐車スペースがあり、
中には家族の人数分の車が止まっている家もある。
驚くことに、我が家の横にあるゴミステーションまで、
車でゴミ袋を持参する方も少なくない。
ハンドルを握る人も、老若男女と様々で、
中には、苦手でも、仕方なく運転している方もいるようだ。
駐車ラインを無視した自家用車を、
スーパーの駐車場でよく見かける。
また、優先車線なのに「お先にどうぞ」と進入車へ走行を譲る車、
ウインカーを点けないまま、急に右左折をする車など珍しくない。
つい最近、市内でも、店舗の出入口に乗用車が突入した。
やはり、アクセルとブレーキを間違えたらしい。
「どうかハンドルを握ることをおやめ下さい。」
そう言いたいが、生活に欠かせない方も多いようで、
なかなか難しい問題である。
そんな訳で、首都圏を走っていた頃よりも、
気の抜けない運転を強いられている。
ところがである。ずっとゴールドだった私が、
今はブルー免許に変わってしまった。
交通事故の多い北海道である。
取り締まりが厳しくて当然である。
案の定、2度も違反キップを切られてしまった。
1度は、伊達に移住する直前である。
自宅がほぼ完成し、最終確認を済ませた帰路だった。
新千歳空港へレンタカーを走らせていた。
若干予定より遅れていた。
高速道を降りて、苫小牧から一般道を走り始めてまもなく、
パトカーが追ってきた。
「ちょっとスピードが出てましたね。」
「空港まで、急いでいるんですが・・・。」
「すぐ終わります。後ろのパトカーまで・・。」
結局10数キロオーバーで、反則金が課せられた。
若干のイライラはあったが、
急いでいたのは確かだったので、納得して応じた
それでも、出発時刻に間に合わせようと、
空港ビル内を小走りした時には、不愉快さがつのった。
「スピードを出しすぎた。今後は法令遵守で!」
などの反省心は全くなかった。
次の違反は、ちょっとした語り草になる。
その日は、時には「プチ贅沢を」と、
家内と二人で、1泊2ラウンドのゴルフに出掛けた。
我が家から1時間半程、高速道を走り、
残り30分、一般道を行けばゴルフ場だった。
一般道に出てまもなく、
軽乗用車と普通トラックについて走ることになった。
家内の実家へ行く際に何回か利用した道だった。
走り慣れていた。
プレイ時間までに余裕があったので、
前の2台につかず離れず進んだ。
しばらく行くと、道路脇に停車していたパトカーが、
突然赤色灯を点けて、追いかけてきた。
「前の車、停車しなさい。」
くり返し叫ばれた。
訳も分からず、道路脇に車を止めた。
パトカーから、中年の警官が降りてきた。
ウインドをさげると、警官は胸を張って言った。
「スピードの出し過ぎ。後ろのパトカーまで来て。」
「エッ! スピード違反ですか。それ程、出してませんよ。」
「いいから、降りて。向こうで説明するから。」
しぶしぶパトカーまで行くと、
その警官は、赤色灯の付け根にあるレンズを指さした。
「これ、性能のいい測定器。これで計ったから間違いない。
さあ、後ろの席に乗って、乗って。」
なかば強引に、後部座席に座らされた。
パトカーの運転席にいた若い警官が、
記録が印字された紙片を示した。
「66キロを測定しました。16キロオーバーです。」
「エッ、ここは50キロ制限だったの。」
すると、再び中年の警官が言った。
「そうだよ。さあ、ここに、拇印をおして。」
私は、しぶしぶ速度違反を認め、
反則金支払いの用紙を受け取った。
しかし、どうしても釈然としない。
パトカーを降りかけて、二人に尋ねた。
「こんな時の苦情って、どこに電話すればいいの。」
「エッ、苦情。どんな苦情?」
中年警官が、聞き返した。
私は、意地悪く言った。
「電話番号を教えて下さい。そこで話しますから。」
「それより、何が苦情なんだ。」
「今は、言いたくない。」
私は、そう言ってパトカーを降りた。
すかさず、二人もパトカーを降り、
歩道の私に迫った。
「いいですか。私の前に2台も車が走っていました。
なのに、その2台を見過ごして、私を捕まえた。
それでいいのか。ただ、それを訊きたいだけ。」
そう言い捨てて、愛車に戻ろうとした。
すると、中年警官は私の腕をつかんだ。
「その説明なら、現場に戻ってしましょう。
もう一度、パトカーに乗って」
「私は、もうスピード違反を認めたんだから、
もういいんです。戻りません。」
警官の手を、ふりほどいた。
車で待っていた家内が、異変に気づいて降りてきた。
中年警官は、くり返した。
「いや、是非説明したい。車に乗って!」
「もういいです。」
私は、立ちふさがっている警官を、
押しのけようとした。
すると、警官はやや大き目の声で言った。
「奥さん、見ましたよね。公務執行妨害だ。」
「そんな馬鹿な。なに言ってるんだ。」
私は、あきれ果て、その場を離れようとした。
そうはさせないと、警官は
「現場に戻って。」とくり返した。
私は、「もういい。」をくり返した。
そこに仲裁役のように、若い警官が割って入った。
そして、私と家内を引き連れ、中年警官と距離を置いた。
そこで、この警官が私たちに言ったことが凄い。
「落ち着いてください。すみません。
あの警察官は、古いタイプの警察官なので・・。」
私も家内も、唖然とした。
それまでのイライラや怒りが、
一気にどこかへ飛んでいってしまった。
「わかりました。後はよろしくお願いします。」
そう言い残し、私と家内は愛車に乗り込んだ。
その場を離れたバックミラーに、
何やら話し合う2人の警官の立ち姿があった。
その日のゴルフは、時々「古いタイプの警察官」が頭をよぎり、
笑いをこらえながらのプレイになった。
伊達も極寒 凍てつく『大雄寺』
当時、東京の某区では車通勤が黙認されていた。
電車とバスを使うと1時間以上かかったが、
高速道路を利用すると40分もかからずに、
勤務校まで行けた。
なので、毎日ハンドルを握った。
運転が日常だったので、上達も早かった。
ハンドルを握ることに、抵抗がなくなり、
運転の楽しさを知った。
なので休日を利用して、よくドライブした。
それだけでなく、長期休みには車で家族旅行をした。
何回か、北海道の実家まで途中フェリーを利用し、
マイカーで行った。
ついでに、北海道内や東北を観光したこともあった。
朝霧の中を、十和田湖までの奥入瀬渓谷を
車で走った。
その時の美しさは、今も心に残っている。
だが、年令と共に、お酒の機会も増えた。
車通勤も厳しく規制された。
もっぱら、運転は月1、2回の、
休日ゴルフだけになった。
旅行も、電車の利用に変わった。
さて、伊達に来てからのことになる。
ここからは、若干生々しい話になるが、お許し頂きたい。
地方はどこも同じだろうが、伊達も車社会である。
我が家の周りを見ても、各家に駐車スペースがあり、
中には家族の人数分の車が止まっている家もある。
驚くことに、我が家の横にあるゴミステーションまで、
車でゴミ袋を持参する方も少なくない。
ハンドルを握る人も、老若男女と様々で、
中には、苦手でも、仕方なく運転している方もいるようだ。
駐車ラインを無視した自家用車を、
スーパーの駐車場でよく見かける。
また、優先車線なのに「お先にどうぞ」と進入車へ走行を譲る車、
ウインカーを点けないまま、急に右左折をする車など珍しくない。
つい最近、市内でも、店舗の出入口に乗用車が突入した。
やはり、アクセルとブレーキを間違えたらしい。
「どうかハンドルを握ることをおやめ下さい。」
そう言いたいが、生活に欠かせない方も多いようで、
なかなか難しい問題である。
そんな訳で、首都圏を走っていた頃よりも、
気の抜けない運転を強いられている。
ところがである。ずっとゴールドだった私が、
今はブルー免許に変わってしまった。
交通事故の多い北海道である。
取り締まりが厳しくて当然である。
案の定、2度も違反キップを切られてしまった。
1度は、伊達に移住する直前である。
自宅がほぼ完成し、最終確認を済ませた帰路だった。
新千歳空港へレンタカーを走らせていた。
若干予定より遅れていた。
高速道を降りて、苫小牧から一般道を走り始めてまもなく、
パトカーが追ってきた。
「ちょっとスピードが出てましたね。」
「空港まで、急いでいるんですが・・・。」
「すぐ終わります。後ろのパトカーまで・・。」
結局10数キロオーバーで、反則金が課せられた。
若干のイライラはあったが、
急いでいたのは確かだったので、納得して応じた
それでも、出発時刻に間に合わせようと、
空港ビル内を小走りした時には、不愉快さがつのった。
「スピードを出しすぎた。今後は法令遵守で!」
などの反省心は全くなかった。
次の違反は、ちょっとした語り草になる。
その日は、時には「プチ贅沢を」と、
家内と二人で、1泊2ラウンドのゴルフに出掛けた。
我が家から1時間半程、高速道を走り、
残り30分、一般道を行けばゴルフ場だった。
一般道に出てまもなく、
軽乗用車と普通トラックについて走ることになった。
家内の実家へ行く際に何回か利用した道だった。
走り慣れていた。
プレイ時間までに余裕があったので、
前の2台につかず離れず進んだ。
しばらく行くと、道路脇に停車していたパトカーが、
突然赤色灯を点けて、追いかけてきた。
「前の車、停車しなさい。」
くり返し叫ばれた。
訳も分からず、道路脇に車を止めた。
パトカーから、中年の警官が降りてきた。
ウインドをさげると、警官は胸を張って言った。
「スピードの出し過ぎ。後ろのパトカーまで来て。」
「エッ! スピード違反ですか。それ程、出してませんよ。」
「いいから、降りて。向こうで説明するから。」
しぶしぶパトカーまで行くと、
その警官は、赤色灯の付け根にあるレンズを指さした。
「これ、性能のいい測定器。これで計ったから間違いない。
さあ、後ろの席に乗って、乗って。」
なかば強引に、後部座席に座らされた。
パトカーの運転席にいた若い警官が、
記録が印字された紙片を示した。
「66キロを測定しました。16キロオーバーです。」
「エッ、ここは50キロ制限だったの。」
すると、再び中年の警官が言った。
「そうだよ。さあ、ここに、拇印をおして。」
私は、しぶしぶ速度違反を認め、
反則金支払いの用紙を受け取った。
しかし、どうしても釈然としない。
パトカーを降りかけて、二人に尋ねた。
「こんな時の苦情って、どこに電話すればいいの。」
「エッ、苦情。どんな苦情?」
中年警官が、聞き返した。
私は、意地悪く言った。
「電話番号を教えて下さい。そこで話しますから。」
「それより、何が苦情なんだ。」
「今は、言いたくない。」
私は、そう言ってパトカーを降りた。
すかさず、二人もパトカーを降り、
歩道の私に迫った。
「いいですか。私の前に2台も車が走っていました。
なのに、その2台を見過ごして、私を捕まえた。
それでいいのか。ただ、それを訊きたいだけ。」
そう言い捨てて、愛車に戻ろうとした。
すると、中年警官は私の腕をつかんだ。
「その説明なら、現場に戻ってしましょう。
もう一度、パトカーに乗って」
「私は、もうスピード違反を認めたんだから、
もういいんです。戻りません。」
警官の手を、ふりほどいた。
車で待っていた家内が、異変に気づいて降りてきた。
中年警官は、くり返した。
「いや、是非説明したい。車に乗って!」
「もういいです。」
私は、立ちふさがっている警官を、
押しのけようとした。
すると、警官はやや大き目の声で言った。
「奥さん、見ましたよね。公務執行妨害だ。」
「そんな馬鹿な。なに言ってるんだ。」
私は、あきれ果て、その場を離れようとした。
そうはさせないと、警官は
「現場に戻って。」とくり返した。
私は、「もういい。」をくり返した。
そこに仲裁役のように、若い警官が割って入った。
そして、私と家内を引き連れ、中年警官と距離を置いた。
そこで、この警官が私たちに言ったことが凄い。
「落ち着いてください。すみません。
あの警察官は、古いタイプの警察官なので・・。」
私も家内も、唖然とした。
それまでのイライラや怒りが、
一気にどこかへ飛んでいってしまった。
「わかりました。後はよろしくお願いします。」
そう言い残し、私と家内は愛車に乗り込んだ。
その場を離れたバックミラーに、
何やら話し合う2人の警官の立ち姿があった。
その日のゴルフは、時々「古いタイプの警察官」が頭をよぎり、
笑いをこらえながらのプレイになった。
伊達も極寒 凍てつく『大雄寺』