ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

寅さんが 好き  <その2>

2016-09-30 22:02:31 | 映画
 ③ せつなさに宥められ

 風がない。木の葉も静か。
いつの間にか、西の空に浮かぶウロコ雲が、
あかね色に染まった。

 そんな2階の窓辺に、自転車をこぎながら、
緩やかな坂道を上っていく、野良着姿の女性を見た。
「あぁ、寅さん映画のワンシーンのよう。」
 秋の深まりを知らせる夕暮れ時、私の町の一コマ。

 寅さん映画では、
しばしばその折々のこんな地方風景を映し出す。
 どのシーンも日本の四季に溶け込み、美しい絵画のようだ。
それが、日常の喧騒で、ついギスギスしてしまう私を、
そっと宥めてくれた。
 
 私を宥めたのは、それだけではない。
毎回くり広げる寅さんの恋の模様。
そこでのせつない恋も、その1つである。

 第30作『花も嵐も寅次郎』で、
口数の少ない青年・三郎(沢田研二)に寅さんはこう言った。

 『今度、あの子に会ったら
こんな話しよう、あんな話もしよう。
そう思ってね、家を出るんだ。

いざ、その子の前に座ると、全部忘れちゃうんだね。
で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。

そんでてめえの姿が情けなくって、こう
涙がこぼれそうになるんだよな。

女に惚れてる男の気持ちって
そんなもんだぞ。』

 百戦錬磨の寅さんだから言える、
一途な男心に、つい同感し何故かテレてる私がいた。
 そして、寅さんは、「男とは時としてこんなにも純情だ。」とも言う。

 『台所で洗い物をしている。
その綺麗なうなじを、俺はみつめている。
針仕事をする。白魚のような綺麗な指先を
俺はジーッと見惚れる。

買い物なんかだって、ついていっちゃうよ。
八百屋で大根を値切っている
その美しい声音に思わず聞き惚れる。

夜は寝ない。
スヤスヤと可愛い寝息を立てるその美しい横顔を
ジィーッと見ているなぁ。
俺は寝ない。』

 第34作『寅次郎真実一路』で、そう胸を張った寅さん。

 どこかに置き忘れていた、
あの頃の淡い想いを、呼び戻された。
 恋心に限らず、あの瑞々しさや初々しさを、
大切にしたいと気づいた。

 そして、せつないとまで感じる、汚れのないあの感情を、
もう一度、盗み取りたいと、密かに思ったりもした。

 それにしても、寅さんは常に失意の結末を迎える。
その時、第21作『寅次郎わが道をゆく』でこう息巻く。

 『女にふられた時はじっと耐えて
ひと言も口を利かず、
黙って背中を見せて去るのが・・・
男というものじゃないか。』

 一貫とした「男の美学」に、惚れ惚れする。
そして、歳39作『寅次郎物語』で、
甥・満男の問いにこう応じる。

 『満男「伯父さん、人間てさ、人間は
何のために生きてんのかな?」

 寅「難しいこと聞くな・・・何というかな
あぁ、生まれてきてよかったなって
思うことが何べんかあるんじゃない、
そのために、生きてんじゃねぇか。」』

 寅さんが、「生まれてきたよかったな」と思えるのは、
恋の成就だろうか。
 それよりもずっとずっと、
背中を見せて去ることが多かったはず。
 それでも何べんかある「よかったな。」のために、生きていく。

 くり返すせつなさをやり過ごし、
わずかな安らぎに、生きることの真理があると、私も思う。

 だから、いつも寅さんの生きざまに、
私は勇気をもらった。


 ④ 手ほどきが 力に

 第16作『葛飾立志篇』で寅さんは、
東京大学で考古学研究室の助手をしている礼子(樫山文枝)と
初めて出会った。
 その時、喫茶店での二人のやり取りがこうだ。

 『寅「姉ちゃんは、何のために勉強をしているんだい?」
礼子「さあ・・・」
寅「考えてみたことは、ねぇかい?」
礼子「そうですね・・・つまり」
寅「己れを知るためよ。」』

 寅さんのこの答えは、旅先の墓所で和尚(大滝秀治)が、
「論語」について語った、その受け売りである。

 しかし、20年も前になるだろうか。
「ゆとり教育」が強調された頃、
 『教育は、自分探しの旅。』と、よく耳にした。

 2つの共通した教育観に、一人心強さを覚え、
子ども達の前に立った。

 また、歌人・俵万智さんの
“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”
が大ヒットした。
 その頃の第40作『寅次郎サラダ記念日』で、
大学受験を控えた甥・満男の問いに、寅さんはこう応じている。

 『満男「じゃ、何のために勉強するのかなぁ?」

寅「え、そう言う難しい事は聞くなって言ったろう。
つまり、あれだよ。ほら、

人間、長い間生きてりゃ、いろんな事にぶつかるだろう。
な、そんな時俺みてぇに勉強してない奴は、
この振ったサイコロの出た目で決めるとか、
その時の気分で決めるよりしょうがないな。

ところが、勉強した奴は自分の頭で、
キチンと筋道を立てて、
はて、こういう時はどうしたらいいかなぁと、
考える事ができるんだ。

だから、みんな大学に行くんじゃないか。
どうだろう。」』
 
 皮肉とも受け止められそうな寅さんの考えだが、
学ぶことへの、期待感の大きさをヒシヒシと感じたのは、
私だけなのだろうか。

 さて、寅さんにとって、手ほどきの真骨頂は、
何と言っても『愛』についてだろう。 

 第10作『寅次郎夢枕』では、
大学助教授の岡倉(米倉斉加年)を相手に力説する。

 『いいか、恋なんてそんな生易しいもんじゃないんだぞ。
飯を食う時だって、ウンコする時だって、
いつもその人のことで頭がいっぱいよ。

何かこの胸の中が柔らかーくなるような気持ちでさ、
ちょっとした音でも
例えば千里先で針がポトンと落ちても
アーッとなるような、そんな優しい気持ちになって、

その人のためなら何でもしてやろうと、
命だって惜しくない。

寅ちゃん、私のために死んでくれる?って言われたら、
ありがとうと言ってすぐにでも死ねる。
それが恋っていうもんじゃないだろうか。』

 物凄い剣幕である。私など、到底ついていけない。
それどころか、だた笑ってしまうだけ。

 ところが、第36作『柴又より愛をこめて』では、
ロシア語辞書の編纂を仕事とする酒井(川谷拓三)に、
こう説くのだ。

 『ほら、いい女がいたとするだろう。
男が、その女を見て
「あぁ、いい女だなぁ、この女を俺は大事にしてぇ。」
そう思うだろう。
それが愛ってもんじゃないか。』

 ほのぼのとした言いぷりと、そのシンプルな想いが、
ジンワリと心に届いた。
 言うまでもないことだが、それは「いい女」だけでない。
 「人を愛するって、これだ。」
と、明るい気持ちになった。

 結びに、寅さんはこんなエールを残している。
第45作『寅次郎の青春』で、甥・満男に。

 『思っているだけで何もしないんじゃ、
愛してないのと同じなんだよ。
お前の気持ちを相手に通じさせなきゃ、
愛してんなら態度で示せよ。』

 寅さん、貴方はずっとそうしていたね。
それは、ずっと私の憧れ、そして羨望。時に嫉妬でも。
 だから、“寅さんが 好き。”




  もうすぐ収穫の時 北限の『柿』
   
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寅さんが 好き  <その1>

2016-09-23 22:06:25 | 映画
 毎週火曜の夜、BSプレミアムで、
『男はつらいよ』シリーズが放映されている。

 第1作からではないが、この映画が話題になり始めた頃から、
封切りを楽しみにするようになった。

 知っての通り、喜劇である。
毎回、映画館では人目を気にせず、
誰よりも早く、大声で笑った。
 無条件で面白いと思える場面が、どのシリーズにもあった。

 そして、そのストーリーのいたるところで、
生きるとは、人とは、学ぶとは、愛するとはと問われ、
いつの間にか、監督・山田洋次ワールドに引き込まれた。

 今、再び、テレビでその映画を観ながら、
数々の名場面が、私の中で、また輝いている。


 ① 周りの人々が 好き

 ▼ 第8作『寅次郎恋歌』は、
森川信が最後のおいちゃん役だった。
 森川信のおいちゃんが好きだった。

 毎回、寅さんの言動に呆れ果て、「ばかだねぇ。」と、
温かみのあるため息をつくシーンが、強く心に残っている。

 この作には、おいちゃんのセリフで、そのおかしさの余り、
涙まで出てしまう、私の『笑いのツボ』がある。

 いつも通り、寅さんの行いにおいちゃんは、
呆れかえる場面での言葉だ。
「あー、いやだ、いやだ。俺はもう、横になるよ。
おい、まくら、さくら取って、
いや、さくら、まくらとってくれ、あぁ・・・」

 こう書きながら、今も笑いをこらえている。

 ▼ 同じ第8作だが、
寅さんは、さくらの義父である諏訪飈一郎と、
備中高梁で意気投合する。

 しかし、ある日、飈一郎からお説教され、
深く反省して柴又へと帰る。

 その説教が胸をうつ。
飈一郎役の志村喬の渋い語りもさることながら、
南吉童話のような、その言葉に、
私も、寅さんと同じ気持ちに導かれていった。

 『寅次郎君、
今、君は女房も子供もいないから身軽だと言ったね。
 あれはもう10年も昔のことだが、
私は信州の安曇野という所に旅をしたんだ。
 バスに乗り遅れて、田舎道を一人歩いている内に
日が暮れてしまってね、
暗い夜道を心細く歩いていると、
ポツンと一軒の農家が建っているんだ。

 リンドウの花が庭いっぱいに咲いていてね。
開け放した縁側から、
明かりのついた茶の間で家族が、
食事をしているのが見える。

 まだ食事に来ない子供がいるんだろう、
母親が大きな声で、その子供の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 私は、今でもその情景をありありと思い出すことができる。
庭一面に咲いたリンドウの花、
明々と明かりのついた茶の間。
にぎやかに食事をする家族達。

 私はその時、それが、
それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、
ふとそう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。

 人間は絶対に一人じゃ生きていけない。
逆らっちゃいかん。
 そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送ることになる。
分かるか、寅次郎君。』

▼ 第15作『寅次郎相合い傘』は、
浅丘ルリ子がリリー役で2回目のマドンナで登場する。

 物語は、エリート課長・兵頭が蒸発し、
寅さんと一緒に旅をするところから始まる。
 その時のお礼にと、
兵頭が最高級のマスクメロンをみやげにとら屋を訪ねる。

 そのメロンを、リリーさんが来たからと
食べることになった。
 たまたま寅さんは不在だったので、
おばちゃんが、寅さんの分を頭数に入れずに、
切り分けてしまった。

 そんな時に限って、寅さんは帰ってくるのだ。
そして、伝説の名シーンと言われる
『メロン騒動』が始まるのである。

 何度観ても飽きない。何度観ても笑ってしまう。
たかがメロン一切れのことだが、
この騒動は、どこの家庭でもありそうで。

 寅さんファミリーそれぞれが騒動に加わり、
対応する様に笑いが止まらない。
 とにかく、面白くて、おかしいやり取りがいい。

 高級メロンを目の前にした庶民の感覚を、
寅さんフェミリーが、見事な笑いに替えてくれたシーンだ。

▼ 第17作『寅次郎夕焼け小焼け』は、
全49作の中で一番好きな作品である。
 この映画だけで、多くを語れる気がする。
それだけ心動かされている。

 中でも、いつまでも心から離れないシーンがある。
寅さんと知り合いになった日本画の大家・池ノ内青観(宇野重吉)が、
かつての恋人・志乃(岡田嘉子)と、
志乃が暮らす・田舎町龍野で再会する。

 夕暮れ時、二人だけ、静寂の和室で対座する。
青観が、過去をふり返り、悔いると、
志乃は諭すような口調でゆっくりとこう言うのだ。

 「人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって、
ああすればよかったなあ、という後悔と、
もうひとつは、どうしてあんなことをしてしまったのだろう、
という後悔・・・」

 喜劇映画であることを忘れ、
人生という山も谷もある道中を歩んできた全ての人が、
共有する感情にふれる場面だと思う。

 いつ思い出しても、心がザワザワするのは私だけだろうか。


 ② 人柄が 好き

 ▼ 『言ってみりゃ、リリーも俺も同じ旅人さ
見知らぬ土地を旅している間にゃ
そりゃ人に言えねぇ苦労もあるのよ・・・・
例えば、夜汽車の中、少しばかりの客は
みんな寝てしまって、なぜか俺一人だけが
いつまでたっても眠れねぇ
真っ暗な窓ガラスにホッペタくっつけて
じっと外をみているとね、遠くに灯りがポツンポツン・・・
あー、あんな所にも人が暮らしているかあ・・・
汽車の汽笛がポーッ・・・ピーッ
そんな時、そんな時よ、ただわけもなく悲しくなって
涙がポロポロこぼれてきちゃうのよ』

 第11作『寅次郎忘れな草』での、寅さんである。
いつの間にか、しんみりとした切ない気持ちになってしまう。

 つい先日、寅さんを演じる渥美清さんが、
俳句を詠んでいたと知った。
『赤とんぼじっとしたまま明日はどうする』
トンボを見ながら、そうつぶやいているのが、
寅さんそのままな気がして、不思議だ。

 何となくもの悲しさを漂わせながら、
どんな物事をも、大事に大切にする寅さんの心。
 私は、そこに惹かれてしまう。

 ▼ 寅さんは、第42作『ぼくの伯父さん』で、
浪人生になった甥・満男にこう言った。

 『俺はな、学問つうもんがないから、
上手い事はいえねぇけれども
博がいつか俺にこう言ってくれたぞ。
自分を醜いと知った人間は
決してもう、醜くねぇって・・・』

 寅さんの心の内を垣間見ることができた、
そんな言葉のように思った。

 また、第6作『純情篇』では、
さくらとこんなやりとりがある。

 『寅「いや頭の方じゃ分かっているけどね、
気持ちの方が、そうついてきちゃくれないんだよ、ねぇ?
だから、これは俺のせいじゃねぇよ」

さくら「だって、その気持ちだって、
お兄ちゃんのものでしょう?」

寅「いや、そこが違うんだよ、早い話がだよ
俺は、もう二度とこの柴又へもどってこねぇと
そう思ってもだ、な、
気持ちの方は
そう考えちゃくれねぇんだよ、
アッと思うとまた俺はここへもどってきちゃうんだよ、
本当に困った話だよ』

 続いて、前出の第8作では、同じくさくらとやりとりがある。

 『寅「大丈夫だよ・・・俺だって、
他人(ひと)の奥さんに懸想するほどバカじゃねぇよ、
今だってよ、もう一人の俺によおく言いきかせたんだよ」

さくら「で、もう一人のお兄ちゃん、ちゃんと納得したの」

寅「やっとな」

さくら「そう、よかったね」』

 誰にでもある、想いとは裏腹な自分、
様々な葛藤、心の内の醜さ。
 それをサラッと言ってくれた寅さん。
寅さんは凄い。

 寅さんのそんな言葉に共感し、
想いを共有できたことが嬉しかった。
 満男だけでなく、私もさりげなく励まされた。

 映画を見終わって、元気に席を立ったのは、
決して私だけではなかったと思う。

                    (つづく)



  秋の味覚・栗 間もなく 
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共感すること

2014-11-13 17:07:36 | 映画
 その映画を観たのは、先週の金曜日だった。

 それから5日が過ぎ、昼食のために小さな食堂に入った。
 映画のワンシーンに似たテーブル席についた。
 最近はまっている醤油ラーメンを注文した。
 しばらくして、熱々のラーメンがテーブルに置かれた。

 辛くやるせない毎日、
だけど前を向き、歩もうとした彼と彼女そして弟。
三人で乾杯をする場面が思い出された。
ラーメンの湯気が、急に熱さを増した気がした。

その時突然、あるシーンがよぎり、
向かいの席でラーメンをすする家内に、
「彼女から、一緒にお墓参りに行こうって言われたとき、
どれだけ嬉しかっただろうね。」
と、私は胸をつまらせ、箸を止めた。
 食堂の方が、不思議そうな顔をして、何度も私を見ていた。

 映画を観ていた時、涙など全く浮かんでこなかった。
ただただ暗く重たいストーリーと映像に、
ついて行くのが精一杯だった。
きっと、映し出されたスクリーンは、
私のキャパを超えていたのだと思う。

ところが、
映画を見終わって、席を立ってから、
時間が経つにつれ、徐々に徐々に悲しみがこみ上げ
「あの時、達夫(主人公)は、
こんな思いであの繁華街を歩いていたんだ。」
「千夏(彼女)は、あんな立ち位置しかない現実の中で、
ああやって暮らすこと以外できないよ。」等々。
息が詰まりような切なさに襲われてた。
そして、その苦しみとやるせなさが深いだけに、
一瞬の嬉しさと安堵感は、
私の想像をはるかに越え、
あれから何日も過ぎたのに、
たびたびその衝動が、私を感涙へと誘った。

 最近、娯楽映画とホームドラマに取り囲まれ、
ハッピーエンドなストーリーに観慣れていたからか、
映画の悲劇性と優しさに魅せられた。

 聞くところによると、原作は23年前。
作者は41歳の若さで自ら命を絶ったと言う。
しかし、描かれた映画は、
全く色あせることなく、見事に現代を映し出し、
強いメッセージを私たちに託している。

 蛇足だが、綾野剛も池脇千鶴も菅田将暉もすごい役者だと思った。
また、この映画でモントリオール世界映画祭最優秀監督賞を
37歳の若さで受賞した呉美保監督もすごいと思った。

 この映画のチラシにある言葉を借りると
「男は彷徨っていた。生きる場所を探して―」
「女は諦めていた。生きる場所を探すことに―」

 そんな二人が、少しずつ距離を縮めていくのだが、
それでも現実はさらに過酷なものに。

 私自身の足下を見ると、類似した現実が数多くある。
過去には、過酷な現実の中で生活していた教え子を何人も見てきた。
そのような中で、私はただただ無力でしかなかった。
現実をチェンジする力も、言葉も私にはない。

 あるのは、彼らに共感することだけだった。
今もそれだけしかない。
あの悲しみや苦しみの一部分でも、
自分の悲しみや苦しみに、
せめてそれだけでもと思いつつ、
だけども、それがきっと無力から抜け出す力につながる
と、私は信じてきたし、これからもそう信じていく。

 この映画は、私にそんなことを気づかせてくれた。

 しかし、題名は、『そこのみにて光輝く』と言うのだけど。




唐松が橙色に染まった。まもなく落葉。


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