③ せつなさに宥められ
風がない。木の葉も静か。
いつの間にか、西の空に浮かぶウロコ雲が、
あかね色に染まった。
そんな2階の窓辺に、自転車をこぎながら、
緩やかな坂道を上っていく、野良着姿の女性を見た。
「あぁ、寅さん映画のワンシーンのよう。」
秋の深まりを知らせる夕暮れ時、私の町の一コマ。
寅さん映画では、
しばしばその折々のこんな地方風景を映し出す。
どのシーンも日本の四季に溶け込み、美しい絵画のようだ。
それが、日常の喧騒で、ついギスギスしてしまう私を、
そっと宥めてくれた。
私を宥めたのは、それだけではない。
毎回くり広げる寅さんの恋の模様。
そこでのせつない恋も、その1つである。
第30作『花も嵐も寅次郎』で、
口数の少ない青年・三郎(沢田研二)に寅さんはこう言った。
『今度、あの子に会ったら
こんな話しよう、あんな話もしよう。
そう思ってね、家を出るんだ。
いざ、その子の前に座ると、全部忘れちゃうんだね。
で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。
そんでてめえの姿が情けなくって、こう
涙がこぼれそうになるんだよな。
女に惚れてる男の気持ちって
そんなもんだぞ。』
百戦錬磨の寅さんだから言える、
一途な男心に、つい同感し何故かテレてる私がいた。
そして、寅さんは、「男とは時としてこんなにも純情だ。」とも言う。
『台所で洗い物をしている。
その綺麗なうなじを、俺はみつめている。
針仕事をする。白魚のような綺麗な指先を
俺はジーッと見惚れる。
買い物なんかだって、ついていっちゃうよ。
八百屋で大根を値切っている
その美しい声音に思わず聞き惚れる。
夜は寝ない。
スヤスヤと可愛い寝息を立てるその美しい横顔を
ジィーッと見ているなぁ。
俺は寝ない。』
第34作『寅次郎真実一路』で、そう胸を張った寅さん。
どこかに置き忘れていた、
あの頃の淡い想いを、呼び戻された。
恋心に限らず、あの瑞々しさや初々しさを、
大切にしたいと気づいた。
そして、せつないとまで感じる、汚れのないあの感情を、
もう一度、盗み取りたいと、密かに思ったりもした。
それにしても、寅さんは常に失意の結末を迎える。
その時、第21作『寅次郎わが道をゆく』でこう息巻く。
『女にふられた時はじっと耐えて
ひと言も口を利かず、
黙って背中を見せて去るのが・・・
男というものじゃないか。』
一貫とした「男の美学」に、惚れ惚れする。
そして、歳39作『寅次郎物語』で、
甥・満男の問いにこう応じる。
『満男「伯父さん、人間てさ、人間は
何のために生きてんのかな?」
寅「難しいこと聞くな・・・何というかな
あぁ、生まれてきてよかったなって
思うことが何べんかあるんじゃない、
そのために、生きてんじゃねぇか。」』
寅さんが、「生まれてきたよかったな」と思えるのは、
恋の成就だろうか。
それよりもずっとずっと、
背中を見せて去ることが多かったはず。
それでも何べんかある「よかったな。」のために、生きていく。
くり返すせつなさをやり過ごし、
わずかな安らぎに、生きることの真理があると、私も思う。
だから、いつも寅さんの生きざまに、
私は勇気をもらった。
④ 手ほどきが 力に
第16作『葛飾立志篇』で寅さんは、
東京大学で考古学研究室の助手をしている礼子(樫山文枝)と
初めて出会った。
その時、喫茶店での二人のやり取りがこうだ。
『寅「姉ちゃんは、何のために勉強をしているんだい?」
礼子「さあ・・・」
寅「考えてみたことは、ねぇかい?」
礼子「そうですね・・・つまり」
寅「己れを知るためよ。」』
寅さんのこの答えは、旅先の墓所で和尚(大滝秀治)が、
「論語」について語った、その受け売りである。
しかし、20年も前になるだろうか。
「ゆとり教育」が強調された頃、
『教育は、自分探しの旅。』と、よく耳にした。
2つの共通した教育観に、一人心強さを覚え、
子ども達の前に立った。
また、歌人・俵万智さんの
“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”
が大ヒットした。
その頃の第40作『寅次郎サラダ記念日』で、
大学受験を控えた甥・満男の問いに、寅さんはこう応じている。
『満男「じゃ、何のために勉強するのかなぁ?」
寅「え、そう言う難しい事は聞くなって言ったろう。
つまり、あれだよ。ほら、
人間、長い間生きてりゃ、いろんな事にぶつかるだろう。
な、そんな時俺みてぇに勉強してない奴は、
この振ったサイコロの出た目で決めるとか、
その時の気分で決めるよりしょうがないな。
ところが、勉強した奴は自分の頭で、
キチンと筋道を立てて、
はて、こういう時はどうしたらいいかなぁと、
考える事ができるんだ。
だから、みんな大学に行くんじゃないか。
どうだろう。」』
皮肉とも受け止められそうな寅さんの考えだが、
学ぶことへの、期待感の大きさをヒシヒシと感じたのは、
私だけなのだろうか。
さて、寅さんにとって、手ほどきの真骨頂は、
何と言っても『愛』についてだろう。
第10作『寅次郎夢枕』では、
大学助教授の岡倉(米倉斉加年)を相手に力説する。
『いいか、恋なんてそんな生易しいもんじゃないんだぞ。
飯を食う時だって、ウンコする時だって、
いつもその人のことで頭がいっぱいよ。
何かこの胸の中が柔らかーくなるような気持ちでさ、
ちょっとした音でも
例えば千里先で針がポトンと落ちても
アーッとなるような、そんな優しい気持ちになって、
その人のためなら何でもしてやろうと、
命だって惜しくない。
寅ちゃん、私のために死んでくれる?って言われたら、
ありがとうと言ってすぐにでも死ねる。
それが恋っていうもんじゃないだろうか。』
物凄い剣幕である。私など、到底ついていけない。
それどころか、だた笑ってしまうだけ。
ところが、第36作『柴又より愛をこめて』では、
ロシア語辞書の編纂を仕事とする酒井(川谷拓三)に、
こう説くのだ。
『ほら、いい女がいたとするだろう。
男が、その女を見て
「あぁ、いい女だなぁ、この女を俺は大事にしてぇ。」
そう思うだろう。
それが愛ってもんじゃないか。』
ほのぼのとした言いぷりと、そのシンプルな想いが、
ジンワリと心に届いた。
言うまでもないことだが、それは「いい女」だけでない。
「人を愛するって、これだ。」
と、明るい気持ちになった。
結びに、寅さんはこんなエールを残している。
第45作『寅次郎の青春』で、甥・満男に。
『思っているだけで何もしないんじゃ、
愛してないのと同じなんだよ。
お前の気持ちを相手に通じさせなきゃ、
愛してんなら態度で示せよ。』
寅さん、貴方はずっとそうしていたね。
それは、ずっと私の憧れ、そして羨望。時に嫉妬でも。
だから、“寅さんが 好き。”
もうすぐ収穫の時 北限の『柿』
風がない。木の葉も静か。
いつの間にか、西の空に浮かぶウロコ雲が、
あかね色に染まった。
そんな2階の窓辺に、自転車をこぎながら、
緩やかな坂道を上っていく、野良着姿の女性を見た。
「あぁ、寅さん映画のワンシーンのよう。」
秋の深まりを知らせる夕暮れ時、私の町の一コマ。
寅さん映画では、
しばしばその折々のこんな地方風景を映し出す。
どのシーンも日本の四季に溶け込み、美しい絵画のようだ。
それが、日常の喧騒で、ついギスギスしてしまう私を、
そっと宥めてくれた。
私を宥めたのは、それだけではない。
毎回くり広げる寅さんの恋の模様。
そこでのせつない恋も、その1つである。
第30作『花も嵐も寅次郎』で、
口数の少ない青年・三郎(沢田研二)に寅さんはこう言った。
『今度、あの子に会ったら
こんな話しよう、あんな話もしよう。
そう思ってね、家を出るんだ。
いざ、その子の前に座ると、全部忘れちゃうんだね。
で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。
そんでてめえの姿が情けなくって、こう
涙がこぼれそうになるんだよな。
女に惚れてる男の気持ちって
そんなもんだぞ。』
百戦錬磨の寅さんだから言える、
一途な男心に、つい同感し何故かテレてる私がいた。
そして、寅さんは、「男とは時としてこんなにも純情だ。」とも言う。
『台所で洗い物をしている。
その綺麗なうなじを、俺はみつめている。
針仕事をする。白魚のような綺麗な指先を
俺はジーッと見惚れる。
買い物なんかだって、ついていっちゃうよ。
八百屋で大根を値切っている
その美しい声音に思わず聞き惚れる。
夜は寝ない。
スヤスヤと可愛い寝息を立てるその美しい横顔を
ジィーッと見ているなぁ。
俺は寝ない。』
第34作『寅次郎真実一路』で、そう胸を張った寅さん。
どこかに置き忘れていた、
あの頃の淡い想いを、呼び戻された。
恋心に限らず、あの瑞々しさや初々しさを、
大切にしたいと気づいた。
そして、せつないとまで感じる、汚れのないあの感情を、
もう一度、盗み取りたいと、密かに思ったりもした。
それにしても、寅さんは常に失意の結末を迎える。
その時、第21作『寅次郎わが道をゆく』でこう息巻く。
『女にふられた時はじっと耐えて
ひと言も口を利かず、
黙って背中を見せて去るのが・・・
男というものじゃないか。』
一貫とした「男の美学」に、惚れ惚れする。
そして、歳39作『寅次郎物語』で、
甥・満男の問いにこう応じる。
『満男「伯父さん、人間てさ、人間は
何のために生きてんのかな?」
寅「難しいこと聞くな・・・何というかな
あぁ、生まれてきてよかったなって
思うことが何べんかあるんじゃない、
そのために、生きてんじゃねぇか。」』
寅さんが、「生まれてきたよかったな」と思えるのは、
恋の成就だろうか。
それよりもずっとずっと、
背中を見せて去ることが多かったはず。
それでも何べんかある「よかったな。」のために、生きていく。
くり返すせつなさをやり過ごし、
わずかな安らぎに、生きることの真理があると、私も思う。
だから、いつも寅さんの生きざまに、
私は勇気をもらった。
④ 手ほどきが 力に
第16作『葛飾立志篇』で寅さんは、
東京大学で考古学研究室の助手をしている礼子(樫山文枝)と
初めて出会った。
その時、喫茶店での二人のやり取りがこうだ。
『寅「姉ちゃんは、何のために勉強をしているんだい?」
礼子「さあ・・・」
寅「考えてみたことは、ねぇかい?」
礼子「そうですね・・・つまり」
寅「己れを知るためよ。」』
寅さんのこの答えは、旅先の墓所で和尚(大滝秀治)が、
「論語」について語った、その受け売りである。
しかし、20年も前になるだろうか。
「ゆとり教育」が強調された頃、
『教育は、自分探しの旅。』と、よく耳にした。
2つの共通した教育観に、一人心強さを覚え、
子ども達の前に立った。
また、歌人・俵万智さんの
“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”
が大ヒットした。
その頃の第40作『寅次郎サラダ記念日』で、
大学受験を控えた甥・満男の問いに、寅さんはこう応じている。
『満男「じゃ、何のために勉強するのかなぁ?」
寅「え、そう言う難しい事は聞くなって言ったろう。
つまり、あれだよ。ほら、
人間、長い間生きてりゃ、いろんな事にぶつかるだろう。
な、そんな時俺みてぇに勉強してない奴は、
この振ったサイコロの出た目で決めるとか、
その時の気分で決めるよりしょうがないな。
ところが、勉強した奴は自分の頭で、
キチンと筋道を立てて、
はて、こういう時はどうしたらいいかなぁと、
考える事ができるんだ。
だから、みんな大学に行くんじゃないか。
どうだろう。」』
皮肉とも受け止められそうな寅さんの考えだが、
学ぶことへの、期待感の大きさをヒシヒシと感じたのは、
私だけなのだろうか。
さて、寅さんにとって、手ほどきの真骨頂は、
何と言っても『愛』についてだろう。
第10作『寅次郎夢枕』では、
大学助教授の岡倉(米倉斉加年)を相手に力説する。
『いいか、恋なんてそんな生易しいもんじゃないんだぞ。
飯を食う時だって、ウンコする時だって、
いつもその人のことで頭がいっぱいよ。
何かこの胸の中が柔らかーくなるような気持ちでさ、
ちょっとした音でも
例えば千里先で針がポトンと落ちても
アーッとなるような、そんな優しい気持ちになって、
その人のためなら何でもしてやろうと、
命だって惜しくない。
寅ちゃん、私のために死んでくれる?って言われたら、
ありがとうと言ってすぐにでも死ねる。
それが恋っていうもんじゃないだろうか。』
物凄い剣幕である。私など、到底ついていけない。
それどころか、だた笑ってしまうだけ。
ところが、第36作『柴又より愛をこめて』では、
ロシア語辞書の編纂を仕事とする酒井(川谷拓三)に、
こう説くのだ。
『ほら、いい女がいたとするだろう。
男が、その女を見て
「あぁ、いい女だなぁ、この女を俺は大事にしてぇ。」
そう思うだろう。
それが愛ってもんじゃないか。』
ほのぼのとした言いぷりと、そのシンプルな想いが、
ジンワリと心に届いた。
言うまでもないことだが、それは「いい女」だけでない。
「人を愛するって、これだ。」
と、明るい気持ちになった。
結びに、寅さんはこんなエールを残している。
第45作『寅次郎の青春』で、甥・満男に。
『思っているだけで何もしないんじゃ、
愛してないのと同じなんだよ。
お前の気持ちを相手に通じさせなきゃ、
愛してんなら態度で示せよ。』
寅さん、貴方はずっとそうしていたね。
それは、ずっと私の憧れ、そして羨望。時に嫉妬でも。
だから、“寅さんが 好き。”
もうすぐ収穫の時 北限の『柿』