ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

さり気ない 出会いから

2022-01-29 13:54:47 | 素晴らしい人
 ▼ 『光の春』。
この時季を表現するのだろうが、
なんて素敵な日本語なんだ。

 一日一日、陽が長くなる。
それだけで春を感じるのは、きっと私だけではない。
 「冬の峠までもう少し・・!」。
そう思えるだけで、今までとは違う気持ちになる。

 加えて、ここ数日、当地は穏やかな天候が続いている。
特に朝は、風もなく低い雲に覆われることも少ない。
 7時頃、自宅前の歩道まで出てみると、
東山付近の空が次第に赤く染まり、
静けさに包まれた町に、
夜明けを告げているようで、素晴らしい。

 「いい町に、住んでいる!」。
氷点下の冷たい外気を頬に感じながらも
しばらくたたずみ、そう実感する。

 もう10年以上も前になるが、
リタイア後の先を、この地にした。
 それまで全く縁もなく、知人友人も1人もいなかった。
ただただ私の直感だけで、ここを終の棲家に決めた。
 
 朝日で明るさを増す東山の尾根を見ながら、
「間違ってなかった」と、独り胸を張る。

 最近、この町で出会った、
さり気ない小さな出来事を、2つ記す。

 ▼ 人口3万数千のコンパクトシティーだ。
美味しいお店も、もうおおよそ見当がついている。
 でも、まだ、行ってない店が数軒あった。

 その中の1店だが、
特段、興味があった訳ではない。
 国道沿いにあっていつも車を運転しながら、
横目で見ていた。
 いつかは行ってみようと思いつつ、月日が過ぎた。

 「オミクロンが怖いけど、ちょっと外食を」と、
思いついたのが、その店だった。

 ファミリーレストランと銘打った店は、
住まいが兼用の建物のようだった。
 ドアを開けると、落ち着きが感じられた。
ケバケバしさがなく、ゆっくりできそうな雰囲気だった。

 椅子席と小上がり席があった。
椅子席を選んだ。
 早々、オリジナルのグラスに氷の入ったお水と、
メニューが届いた。

 セットメニューの全てに、その写真があった。
ファミリー向けらしく、定食はご飯と味噌汁だった。

 私はハンバーグとエビフライの定食、
家内はしょうが焼き定食を、注文することにした。
 
 人当たりのよさそうな若々しい女性が、
注文を受けてくれた。
 些細なことだが、その応対が店の好感度を上げた。

 彼女は、持参した伝票に、
私たちの注文を記録し、明るい声で言った。

 「ハンバーグとエビフライの定食と、
しょうが焼き定食ですね。
 ありがとうございます。
ご用意します」。
 その後、私たちに深々と一礼し、厨房へ急いだ。

 それだけだが、最近の多くの店とは明らかに違った。
注文の品を反すうした後、
「・・・で、大丈夫ですか」に慣れていた。

 聞き流してよさそうだが、
「ありがとうございます。用意します。」とその後の一礼に、
妙に明るい気持ちになっていた。
 その後の食事への期待が、自然と膨らんだ。

 ▼ 朝夕に1錠ずつ服用する薬のために、
2ヶ月ごとに、通院している。

 1時間近く待たされ、診察室へ入る。
そこで、
「では、同じように薬を続けてください」と言われ、
処方箋を持って、調剤薬局へ行く。
 そこで、8週間分の薬を受け取り、終了である。

 通院なのだから、
定まった時間が淡々と流れるだけである。
 何かを期待する場でないのは、当たり前のこと。

 だがら、つい先日も、同様のパターンで薬局まで進んだ。
そこで、受付に処方箋を渡していた時だった。
 
 突然、私の背後から、白髪の女性が走り寄った。
「すみません。私の薬の数が違ってるんです」。
 調剤室へ向かって、大声で言った。

 私への対応を中断し、店長らしい薬剤師さんが、
「Tさん、お願いします」と、調剤室へ言った。

 すぐにTさんが、カウンターに進みでて、
その女性に対応を始めた。
 やや遅れて、女性のご主人もそれに加わった。

 私は、薬局の長いすで薬を待ちながら、
無関心を装いつつ、推移をうかがった。
 
 女性は、2日前にこの薬局で薬を貰った。
そして、昨日一日、ご主人と一緒に、何回も薬の数を確認した。
 どの錠剤も漢方薬も、間違いなく2週間分が足りなかった。

 持参した薬の入った袋の表記を、Tさんに見せながら、
2人は、薬の不足を懸命に訴えた。

 予告なしの老夫婦の来店だ。
そして、性急な訴えである。
 なのにTさんは、すぐに応じた。

 「薬をお渡ししたのは、2日前でしたね。
息子さんもご一緒でしたよね」。

 2人がうなずくのを確認した後、
Tさんは、やや耳が遠い2人を知ってか、
大きめな声で続けた。

 「家に薬がたくさん残っているから減らしてほしいって、
息子さんが言ったでしょう。
 それで、全部の薬を2週間分少なくしたのよ。
その時、お2人もそれでいいって」。 

 そこまで聞くと、老夫婦は、顔を見合わせた。
そして、Tさんに言った。
 「ごめんなさい。思い出しました。そうでした」。
丸い背中をさらに丸くし、2人は小さく頭を下げた。

 「よかった。安心しましたね!」。
そう言い終わると、Tさんはすぐに調剤室へ入り、
次の仕事を始めてた。

 一部始終を聞きながら、
私は、変哲のない通院場面での、
さり気ないやりとりに、小さな温もりを覚えていた。




     快晴の冬空に ナナカマドの赤
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慣らされたくない日々 ~その周辺で

2022-01-22 12:14:02 | 時事
 ▼ 現職の頃から、楽しみにしていたが、
今年も1月15日の朝日新聞『天声人語』に、
「現代学生百人一首」の記述があった。

 今年、この欄で取り上げた秀作は、全てがコロナがらみ。
現代学生の胸中に、切なくなった。

 ・文化祭二年連続オンライン慣らされていくこの空気感
                     (高2石川胡桃)
 ・家の中授業を受ける弟の背後を通る私は忍者
                     (高2小塚萌愛)
 ・リモートで授業はじまり映る部屋勉強よりも掃除頑張る
                     (高1黒木薫里)
 ・ピカピカに磨いたフルート出番なく涙にぬれたコロナ禍の夏
                     (高1武田衣未)
 ・『外出自粛』自粛疲れのストレスを戦闘ゲームにぶつける私
                     (中1星夏穂)
 ・二回目のワクチン接種終わったよ単身赴任の父への切符
                     (高3田代桃)
 ・次はいつ会えるのかしらと泣く祖母の手も握れずにガラスと会話
                     (高2大場美言)
 ・視線落ち口にはマスク会話なく耳にはイヤホンまるで三猿
                     (高1永康滉子)
 ・十年後再会しても気づくかなマスク顔しか知らない友達
                     (高2上山愛裕)
 ・アクリル板マスク消毒ディスタンス慣れたくなかったこんな生活
                     (高2樋口壱之介)

 ▼ 2年前、北海道では「さっぽろ雪まつり」の頃から、
コロナが騒がれはじめた。
 そして、私の場合は、顧問をしている研究会が
3月に創立60周年祝賀会を予定していたが、急遽中止になった。
 コロナの怖さを実感した最初だった。

 現代学生百人一首にあるが『慣れたくなかったこんな生活』の、
収束が見通せないまま、
オミクロン株という新たな波が、すごい勢いで押し寄せている。
 
 振り返ると、IPS細胞の山中先生は、
「このコロナとの戦いは、マラソンのようなものになります」
と、長期戦を強調していた。
 そうは言っても、こんなに長いマラソンになるとは・・。

 最近強く思う。
どれだけ続いても、こんな日々に慣らされたくない。
 一日でも早く、世界中がここから脱出することを願う。
だから、今日も懲りずに、外出から戻ると、
真っ先に手洗いを入念にする。

 ▼ 東京まで足を伸ばすことはためらわれた。
せめて札幌までならばと、
12月初旬、ホテルを予約し1泊2日で出かけた。

 主な目的は、ショッピング。
私のセーター、家内のダウンコート、
それに、口元がかけ始めた2人の湯飲み茶碗など。
 2年も我慢したのだから、
少し値が張ってもいいじゃないかと・・。

 行ってみて、驚いたことを2つ体験した。

 デパートと地下街を巡り、歩き疲れてしまった。
スタバで休憩することにし、大きなウインドー近くの席に座った。

 コーヒーを片手に、ガラス越しに行き交う人の波を見た。
コロナ禍で初めて接する、都会の喧噪だった。

 人通りの賑やかさが懐かしく、
しばらくウインドーの向こうを見続けた。
 当然なことだが、どの人もマスクをしていた。

 その顔、顔を目で追いながら、ハッとした。
マスクの形や色に違いはあったが、
みんな、不織布マスクだった。

 気にかけて見直しても、
布製やウレタン製をしている人は、
1人も見つけられなかった。

 列車の中でも、札幌駅に着いてからも、
私たちは、ずっと布マスクだった。
 病院以外では、布製に違和感がなかった。

 私も家内も、バックに入れていた不織布マスクを取り出し、
急ぎ交換した。
 コロナへの警戒感の違いを実感する。

 ▼ もう一つは、ホテルの料金だ。
札幌には、学校共済組合のホテルがある。
 一般のホテルより安いので、そこを予約した。

 フロントで手続きをしていると、
2人とも居住地を証明するものの提示を求められた。
 「どうみん割」というコロナ割が始まっていた。

 宿泊料金が1万円以上なら5千円が、
それ以下なら2千円が割引になるというのだ。
 その日は朝食付きで5千円の部屋をお願いしてあった。
なので、3千円で宿泊できることになった。

 しかも、2日間限定だが、
1人2千円のクーポン券まで頂いた。
 つまりは、実質4千円の割引だ。
朝食付き千円で、ツインの部屋に泊まれたのだ。

 「思ってもみない低料金!」。
喜んでいいはずだが、なぜか心が重い。

 コロナで疲弊する旅行業界と地域の活性化策なのだろう。
でも、本来なら私が支払うべき料金の補填先はどこ・・?

 目先のことで済まされない重圧が、
いつまでもついてきた。

 ▼ 『寒い冬に外で体を動かそう』。
昨年末、そんなキャッチフレーズで、
自治会の私の地域が、「子ども冬まつり」を会員に呼びかけた。

 実は、昨年はコロナでできなかった催しだった。
今年はどうしようかと、私も参加して何度か話し合った。

 役員に子育て真っ最中のお父さんが2人、新たに加わった。
2人は、口をそろえて言った。

 「コロナでかわいそうな想いをいっぱいしてるんですよ。
その子たちを、少しでも喜ばせたい。
 頑張って、やってあげたいです」。

 感染対策に万全を期して、開催することにし、
参加者と大人の実行委員を募った。
 子どもと大人が、約40人手を上げた。

 感染防止を考えると、
これ以上は望まない参加数だった。

 オミクロン株で、開催は中止になったが、
『・・その子たちを、少しでも喜ばせたい』
に共感があった。
 その手応えが、無性に心強かった。
 



     荒々しい山容に 快晴の冬
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12月25日の 子猫

2022-01-15 14:09:20 | あの頃
 愛猫・ネアルコが逝ってから、もう6年半になる。
「あんな悲しい想いをするのは、もう懲り懲り!」。
 だから、どんな猫にも目を止めようとしなかった。

 だが、月日はそんな感情も徐々に薄めさせる。
最近は、テレビに映る愛らしい仕草や表情の子猫を見ると、
気持ちがなごみ、つい笑顔にもなる。

 とうとう先日、家内に言ってみた。
「・・・、猫、飼わない?」。
 即答だった。
「いらない!」。
 めげずに二の矢を発するほど強い意志も信念もなかった。

 それ以上に、今から猫を飼うことに、いつもためらいがある。
ネアルコと同じなら、20年先までを考えなければならない。
 その頃には、2人とも自分の身の回りのことで、
精いっぱいになっているのではなかろうか。
 90歳の年寄りに、飼い猫などは「大変なことになる」に違いない。

 今は、「高齢者でも猫と一緒の暮らしができるように!」と、
支援するNPO法人による仕組みがあるらしい。
 しかし、そこまで踏み込む気持ちにはなれない。
やはり、猫を飼うにはそれなりのタイミングや、
きっかけが必要なのではなかろうか。

 もう25年も前になるが、その年の12月25日に、
生まれたばかりの子猫を飼うことになった校長先生がいた。

 その日は、2学期の終業式だった。
登校してくる子供の声が、
いつになく校門のあたりでやけに賑やかだった。
 教頭の私は、職員室を飛び出し、校門へ急いだ。

 門扉のそばで、20人程の子が何かを囲んでいた。
私はその輪をかき分けた。
 そこに、段ボールの小箱があった。

 箱の中にはバスタオルが敷いてあり、
その上に生まれて間もない子猫がかがんでいた。
 そばには、少しの子猫用キャットフードと、
「この子を助けてください」と、記された紙片があった。

 私が、箱を抱え上げると、子猫はか細い声で鳴いた。
 「先生、どうするのこの猫?」。
「誰か、飼ってくれる人がいるの?」。
 「これから、飼ってくれる人を探すんだよね?」。
「この猫、学校のペットにするの?」。
 子供たちは箱を抱えて職員室へむかう私を囲み、
質問攻めにした。

 「心配しないでいいよ。
助けてあげられるよう、何とかするから・・。
 大丈夫だよ。さあ、教室へ行きましょう」。

 私は、興味津々の子供たちを教室へ行かせ、
職員室へと向かった。
 子猫はか細く何度も何度も鳴いていた。
愛らしさが、切なかった。

 職員室の前で、
校長先生が心配そうに私を待っていた。
 箱の中をのぞくと、
子猫はタイミングよく「にゃー」と鳴いた。
 「なにこれ! かわいい!」
校長先生の第一声だった。

 そして、私に訊いた。
「教頭さん、どうするの? この猫」。
 小声で冷静に言った。
「捨て猫ですから、
保健所に連絡して引き取ってもらいます」。

 「引き取られた後は、どうなるの?」
子供のような校長先生の質問に呆れて、
「飼手がいなければ、処分するすることになるんでしょうね」。
 
 終業式が終わり、保健所との連絡がつくまでの間、
子猫のいる段ボール箱は校長室で預かることになった。

 では、保健所に電話しようとした矢先だった。
校長室に呼ばれた。

 「教頭さんの家には猫がいたね。」
私の返事を待たずに、次から次と質問が飛んできた。
 餌はどうするのか。
飼うのに必要な道具は何か。
 餌や道具は、どこで買うのか。
どんなことに注意して飼えばいいのか。
 トイレはすぐできるようになるのか。
校長先生の問いには、熱がこもっていた。

 思い切って、私は訊いた。
「猫の飼い方を知って、どうなさるんですか?」。
 校長先生は、顔中を笑顔にして、
「かわいいんだよ、この猫。
飼おうかと思ってさ」。

 「ここでですか?」。
私は、驚きの声になっていた。
 「違う違う。我が家でだよ」。

 私は急に手のひらを返した。
子猫を保健所に引き渡すためらいから解かれた。
 嬉しかった。
「それはいいですね。
この子猫を置いていった方も喜びます」。

 そして、勤務時間を終えてすぐ、
校長先生からお金を預かり、
近所のペットショップへ走った。
 猫の飼育に必要な物を一式買いそろえた。

 そして、急ぎ一度自宅に帰り、
マイカーで学校にまい戻った。
 校長先生と子猫、飼育道具を乗せ、
校長先生宅へ送った。

 その日から、子猫は校長先生の猫になった。
クリスマスの日にやってきたので、
『サンタ』と名付けられた。

 丁度、奥様は、友達と旅行中だった。
それは、子猫にも校長先生にも幸いしたらしい。
 反対するかも知れない人が留守の間に、
子猫は住人になってしまったのだ。

 数日して、校長先生が出勤している間に、
奥様は旅行から帰宅した。
 自宅に、子猫がいることに驚いた。
同時に、そのかわいらしさについ表情がゆるんだ。

 校長先生が戻ると、
奥様は、
「猫のトイレは、居間に置かないでくださいね!」
とだけ言ったそうだ。




   洞爺湖畔の冬に
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初 春 の 朝

2022-01-08 12:24:02 | 思い
 松飾りのない、喪中のお正月だ。
本来ならおせち料理も控えるべき。

 ところが、姉が勤める温泉旅館の系列である
ミシュラン1つ星の和風レストランが、
何年かぶりに、おせちの予約販売をした。
 「寂しいお正月だけど、少しくらいは賑やかに」と、
姉が、そのおせちを奮発してくれた。

 大晦日の午後、宅配が届き、
元旦を、その三段重ねとお雑煮で迎えることに・・。
 
 そして、初春の朝、目覚めてみると、
外は深夜に降ったのだろう数センチの新雪で薄化粧していた。
 高級おせちは後回しに、 
急ぎ、初日の出前から雪かきに外へ・・。

 「新年の始まり」を意識したからなのか、
やけに新雪が柔らかく、いつも以上に真っ白に見えた。

 雪はね用スコップで、その雪を道路脇へそっと押し集めながら、
教育エッセイ『優しくなければ』に載せた一文を思い出していた。

  *     *     *     *     *

      私 だ け の

 一昼夜続いた猛吹雪が、すっかり晴れわたったある朝。
空はまさに真っ青、雲一つない快晴。
 地上は新雪で全ての物が白一色におおわれていました。

 小学生だった私は、ランドセルを背負って、
通学の道を急いでいました。
 目が痛くなるような明るい陽射しが雪に反射し、
前日までのあの重たい鉛色の雲と、
強い風と横殴りに降りしきる冷たい粉雪など
まったくなかったかのような気持ちのいい朝でした。
 私は、すでに雪かきが済んでいるあぜ道ほどのところを、
ゴムの長靴で歩いて行きました。

 何故、どんな理由でそうしたのか、
今もその動機についてはうまく説明ができません。
 私は通学の道をはずれ、
小学校の裏山にある高台へと一人歩きだしました。
 その高台にひろがる広い平地の新雪に、
私は膝までつかりながら、一歩また一歩と歩を進めました。
 時々振り返ると、そこには誰のでもない
私だけの足跡が一本の道になって残っているのでした。
 どこを見渡しても誰もいない真っ平らな雪野原。
そこにいるのは私だけ。
 そして、足跡だけが……。

 私は、嬉しかったのです。
あたりがやけに輝いて見えました。
 誰もいないことに不安などなにも感じませんでした。

 「よし、もっと行こう。もっと進もう。」

 ゴムの長靴の中には雪がいっぱい入り、
毛糸の靴下までぬれてしまいましたが、
私は額に汗を浮かべながら前へ前へと歩きました。
 どこまで行っても残るのは私の足跡だけ。
誰にもじゃまされない私だけの雪野原でした。

 その日、私は学校を無断欠席しました。

 後で両親からも担任からもひどく叱られましたが、
「どうしてそんなことをしたのか」。
 尋ねられても、私はただ下を向いているだけでした。

  *     *     *     *     * 

 このエッセイの題を『私だけの』としたが、
文中にも、「・・だけ」という言葉がくりかえし出てくる。
 『そこにいるのは私だけ』
『残るのは私の足跡だけ』
 『私だけの雪野原』
その上、余分だが、文末には『下を向いているだけ』と。

 強調する程のことでもないが、『私だけの』と言っても、
オリジナリティー(独自性)とは無縁な少年期だ。
 従って、雪野原を独り占めできた『私だけの』である。

 今、振り返ると、
新雪が降り積もった雪原は、静寂に包まれていたはずだ。
 そこを「もっと、もっと」と、
少年は膝までの雪を蹴って進んだのだ。

 いつまでもいつまでも、その雪野原を独り占めしていたかった・・。
だから、「私だけの」と言ったそんな欲が、音のない白だけの野っ原に、
もっと前へもっと先へと、私を連れて行ったのだと思う。

 「どうしてそんなことを・・」と尋ねられても、
当時の私に説明できる訳がない。 
 
 進んでは立ち止まり、
そこで振り返っては、また自分の足跡の続きを確かめる少年。
 上気した表情で、心を弾ませ、
1人占めした雪野原に、体中が熱いもので満ちていたに違いない。

 雪かきを済ませ、
ようやく豪華伊勢エビ入りのお重を3つ並べた。 
 元旦だけはと、今年も熱燗を用意。
いつもより控え目に、「初春に乾杯」。

 手の込んだおせちに、箸がすすんだ。
熱燗も2本目に・・。

 タイミングよく、庭にできた除雪の山に、
粉雪がそっと積もり始めていた。
 毎年待ち望む、穏やかな元旦のワンカットだ。
ささやかな幸福感が流れた。

 ふと、あの少年のその後に想いが馳せた。
あれからもずっとずっと、
『私だけの』を追いかけていた。
 泣いたり笑ったりしながら、
気概だけはいつも「もっと、もっと」と・・。

 しかし、言うまでもない。
少年は、もう初老になった。

 つい、うつむき掛けた私に、
そっと現れた雪雲の切れ間の陽光が、
「まだ、まだ追いかけて!」と励ましていた。

 2本目の熱燗を飲み干した私は、
「よし、もう1本!」と、酒ビンにむかった。


 

    厳寒の中 活気づく製糖工場
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