ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

9度目の 春

2021-04-24 14:13:28 | 北の湘南・伊達
 伊達に居を構えて、9度目の春である。
この季節の1コマをスケッチしてみる。

 ▼ 年齢なのだろうか。
夜遅くまで、おきていられない。
 10時を待たずに、布団に入る。
そして、本を開いても、10分も持たずに寝入る始末だ。

 だからなのか、目覚めが早い。
一度、眠りから覚めると、「二度寝」などなかなかできない。

 3週間程前になるだろうか。
いつもよりさらに早い時間に、目ざめた。
 カーテンの隙間が、明るい。

 時間を確かめると、
4時半を回ったばかりだった。
 なのに、外にはもう光りがある。
その驚きが、さらにハッキリとした目覚めを誘った。

 もう一度眠ろうとしてみても、
どうにもならない。

 家内に気づかれないよう、そっと寝室を出た。
そして、2階の自室のカーテンを開いた。
 その窓からは、緩い下りの『嘉右衛門坂通り』が見える。

 すっかり雪が解け、道は乾いていた。
次第に明るさを増す空には、一片の雲も浮かんでいない。
 この時季の当地の朝らしく、風もない。
その景色は、穏やかな一日の始まりを告げているよう。

 寝起き姿のまま、しばらく窓辺から、
その坂を見ていた。

 すると、ゆっくりと坂を下る2つの後ろ姿が、
私の視界に入ってきた。

 この時間の外は、まだまだ冷えるのだろう。
2人とも、ニット帽に冬用の黒の上下服だった。

 男性は、やや足を引きずり、
女性の腰は、少し前かがみになっていた。

 何やら会話が弾んでいるようで、
歩みを1歩1歩進めながら、しばしば相手に顔を向け、
時には、笑みを浮かべているような、愉しげな背中だった。

 私の視線など気づく訳もない。
早朝も早朝、人も車も通らない日の出前の坂道。
 そこを、2人だけの足取りが下って行く。

 窓辺からの全景を独り占め、いや二人占めするような映像に、
心で、布施明の『マイウエイ』が流れていた。 

 ▼ 以前から名前だけは知っていた奥さんだった。
昨夏から、朝のアヤメ川散策路でよく出会い、
挨拶を交わすようになった。
 
 「朝、よくエゾリスを見るんです。
すごいですよ。先日は、ここで5匹が遊んでいたんです。
 それを、スマホの動画で撮ったんです。見ますか?」。

 ある日、奥さんのそんな熱い勢いに押され、
家内と2人でスマホを覗いた。

 川幅が1メートル程のアヤメ川を行ったり来たりする5匹が、
映っていた。

 「かわいいでしょう。
これを見てから、もうエゾリスの虜です。
 毎朝、エゾリスを探して、
ここを歩いているんです。」

 それからは、散策路で出会うと、
「エゾリス、いましたか?」が、
私からの挨拶替わりになった。

 「ほら、その木の高い枝に」。
奥さんがすかざず、指さす方で、
エゾリスが動き回っているを度々見た。

 いつも変わらない。
エゾリスへの熱さが、いつも伝わってきた。

 そして、つい先日のことだ。
その奥さんが、エゾリス以外のことを散策路で言いだした。
 初めてのことだった。

 「すぐそこで、エゾノリュウキンカが咲いていましたよ。」
アヤメ川沿いで、その花を見たことがなかった。
 急に興味がわいた。
「それはどこですか?」

 奥さんは、わざわざその黄色の花が見える木道まで
私たちを案内してくれた。

 トクサが群生する一帯のわずかな隙間に、
あの黄色のエゾノリュウキンカがあった

 「私も2日前に初めて気がついたんです。
綺麗ですよね。ずうっと見ていたくなります。」
 奥さんは、エゾリス同様、
その虜になりそうな口ぶりだった。

 その時、つい私の遊び心が動いた。
春の陽気に免じてほしい。

 花を見ながら、いつも以上に明るく言った。
「この花は、きれいな水の所じゃないと育たないそうですね。」
 ここまでは、良かった。

 その次だ。
3年程前、教えられて、落胆したことをそのまま、
この奥さんにストレートに言い放った。
 「食べると、美味しいそうですよ!」。

 一瞬、間があった。
「えっ!、食べるんですか。」
 奥さんは、驚きの表情のまま、私を見た。

 「そうです。別名はヤチブキと言って、
昔から食べていたんですって!」。
 「ヤチブキですか。聞いたことがあります。
これがそのヤチブキ・・・。こんなに綺麗なのに・・。」

 「私もそれを知ったとき、ショックでした。」
「そうです。ショックです。」
 奥さんの表情は曇ったままだった。

 失望するのを承知で言いだしたことだ。
少し罪作りだったかも・・・。
 でも、そんなことを言えるのも、
春を9度も迎えたからかな・・・。




   道路脇で咲き誇る 『春』    
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『 冬 花 火 』 ・ そ の 後

2021-04-17 15:34:55 | 素晴らしい人
 昨年1月末、若い頃からずっと『憧れの人』だったA氏が逝った。
その知らせが届いた日、伊達で1件だけの酒屋に出向き、
沢山の銘柄から、道内酒蔵の『冬花火』を買い求めた。

 「冬の花火はひときわ美しく、
華やかにひろがり、さっと消えていく。」
 一升瓶のラベルにあった言葉を、くり返し声にしながら、
粉雪が舞う深夜まで眠れずに過ごした。

 翌日、千葉県内のご自宅へ、
奥様(画家)宛で、供花を送った。

 数日が過ぎ、息子さんからお礼の電話があった。
「父とは、どんな関係だったのでしょうか。」
 一通りの挨拶の後、そんな問いがあった。

 「奥様は、私の事を知っているはず・・。
なのに・・。その質問・・?」。
 若干の違和感があった。

 簡単にA氏との関わりを伝えた後、
「お母さんは、どうしてますか。」
 思い切って、訊いてみた。

 「母もガンで、闘病生活をしてまして・・。」
丁度いい言葉も、心の籠もった励ましも言えなかった。
 ただただ会話を濁した。
 
 最後に、
 「父は、何もかも捨てなかった人だったので、
これからしばらくは、アトリエの整理が残っています。」
 口調の端々に、何となくA氏を感じながら、電話を終えた。

 そして、6月、2人の息子さん連名の小包と
「ご挨拶」の一葉が届いた。
 転記する。

  *    *    *    * 

 ご挨拶

このたびは父「A」の永眠に際して
お心遣いをいただき 誠にありがとうございました
その後 母「J」も三月に後を追うように旅立ちました
今 世の中も大きく変わろうとしています
心の整理がつくのは 少し時間がかかりそうです
幸いにも私たちには
父と母が遺してくれた作品が在ります
その一つひとつに向き合い
二人の感性に触れることが
私たちの今後の道しるべになると思っています

長い間 父「A」とお付き合いいただき
ありがとうございました
御礼のご挨拶と代えさせていただきます

  *    *    *    *

 『長い間 父「A」とお付き合いいただき』が、
心に刺さった。
 「もう彼とはおしまい!」。
そんな決別の最後通告を受けたようで、
息子さんの想いを、汲み取ろうとも思わなかった。

 しかし、先月のことだ。
一枚の葉書が、届いた。

 A氏のサイン入り墨絵には、2人の顔が描かれ、
「どっちもどっち』の文字が踊っていた。
 そして、『二人展』と描かれたその案内状には、
息子さん2人からのこんなメッセージがあった。

『父が亡くなり一年が過ぎ、母の命日も近づいています。
 遺された作品を通して、二人を偲ぶ回顧展を開きます。
 大変な世の中が続いています。もし、お気持ちが許せば、
 足を運んでいただけますと幸いです。』

 4月上旬の11日間、東京銀座のギャラリーで開催する
と、記されていた。
 A氏がグループ展などでよく利用していた画廊だ。

 何が何でも、飛んででも、行きたかった。
そして、息子さんらと同様、
『その一つひとつに向き合い
二人の感性に触れ』たかった。
 彼の想いの一端でいいから、再会したいと思った。

 しかし、今、それは絶対に叶わない。
せめてその想いを、彼を知る方に託したかった。
 同時に、こうして再びA氏に胸躍っている私に気づいた。

 「何かできることを探したい!」。
思いついたのは、会場に花を届けること。

 「でも・・、回顧展に花を贈ってよいものか」。
迷った末に、会場であるギャラリーへ電話し、相談した。
 言葉遣いの丁寧な女性が応じてくれた。

 「それは、きっとお喜びになられると思います。」
女性は、そう言いながら、注文先の花屋まで教えてくれた。

 そして、鼻声につまりながら、こう私に言った。
「お二人には、いつもいつも大変よくしてもらいました。
私も悲しいです。」

 突然、胸がいっぱいになった。
誰にでも気配りの出来るA氏だった。
 改めて、それを思い知らされた。
彼を惜しむ電話の向こうの声が、涙を誘った。

 きっと、『二人展』は、
春の陽が注ぐ都心の一角で、A氏らしく、
そっと人々を迎えていたに違いない。

 もう、結びにする。
彼が登場した私のエッセイを思い出した。
 その駄文に、『ほろ酔いしての 五・七・五』と言いながら、
A氏から、一句を頂いていた。                
 
  *    *    *    * 
  
    親を見て育つ 

 それは、私の第一子が誕生した時でした。
孫の顔を一目見ようと北海道から父が、
単身上京してきた時のことです。

 「わざわざお父さんが来られたから」
と、酒好きの父を知って、
当時の同僚達が酒席を設けてくれました。

 しばらくして少し口先も滑らかになってきた頃合いを見計らって、
同僚の一人が
「ところでお父さん、塚原先生は小さい頃どんな子だったのですか。」
と、切り出したではありませんか。

 その時私は、決して自慢できる幼少時代ではなかった私の恥部が
さらされることに身を固くし、
若干顔を赤らめた父の言葉を待ちました。

 ところが、
「ワシは五人の子に飯を食わせるのに精一杯で、
この子がどんな子だったかよく知らないんだよ。」
と言ったのです。

 あえてそうして私をかばってくれた父に、
その時、熱いものを感じたのですが、
しばらくして
『いや、あの言葉はそのまま、その通りなのではないか。』
と考えを改めたのでした。

 しかし、そんな父であっても、
私は間違いなくその父の姿をいつも見ていたし、
有り様は違っても今も父を目標にしていると、
私はその時強く思ったのでした。
 まさに、子は親を見て育つのでは……。

  *    *    *    *

 春燈や子を持って知る 子の恩と
                
                       合  掌



 『ザゼンソウ』と言うらしい 「なるほど!」    
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さくら 桜 ~ あれこれ

2021-04-03 15:03:02 | あの頃
 ▼ 各地から桜の便りが聞こえてくる。
テレビで満開の様子が中継され、
つい見入ってしまう。

 画面に映る綺麗な桜が、
あの時のあのことを呼び戻してくれる。
 誰も、みな同じではなかろうか。

 それは、魅了する華やかさもあるが、
やはり満開の桜は、春到来の象徴である。
 そのインパクトが強いから、
桜は、私たちの心に留まり続けるのだと思う。

 ▼ まずは、私に刻まれていることから、2つを記す。

 あの頃、都内の多くの小学校では、
毎週月曜日の朝に、校庭に全校児童を集めて朝会が行われていた。

 校長になって、初めての全校朝会のことだ。
前の週に始業式・入学式は無事に終え、
いよいよ学校は、この週から本格始動となる。
 新任校長としては、
この朝会でのいわゆる『講話』が、仕事はじめと言えるものだった。

 どんな話をしようか、前日まで迷った。
そして、校庭で満開を迎えていた桜を取り上げることにした。

 以前に、このブログに載せたが、その日の話を、再現する。

   *     *     *     *     *

 すっかり春になりました。
今年は、いつもより春の訪れが遅かったようですが、
それでも、ここにきて暖かい日が続いています。

 見てごらん。校庭の横にある5本の桜の木も、
今が盛りとばかりに満開です。
 この時季が、春の一番美しい時ではないでしょうか。

 今日は、桜についてお話します。
どんな花も、空に向かって、つまり上を向いて花が咲きます。
 ところが、桜の花だけは、その木の下にいる私たちの方、
つまり下を向いて咲きます。
 だから、木の下から見ても、一段ときれいなんです。

 この桜ですが、15、6の種類があるそうです。
校庭の桜をはじめ、今咲いているのは、
ソメイヨシノという種類です。

 これは、江戸時代の終わり頃、
江戸の染井町の植木屋さんがその苗を売り出したので、
この名がついたと言われています。

 枝々についた桜の花が、その木をおおい隠すほどすごく、
その上、満開の花が散るときは、
まさに花吹雪という言葉があるように、一気で、
その様がいさぎいいのです。
 それが、江戸の人々の気質によく合っていて、大人気となり、
たちまちの内に、江戸中に植えられたということです。

 桜は、水はけのよい場所を好みます。
水気の多い沼や川の畔では、堤の上に植えると、
よく育ち、花の色もよいのです。

 桜の名所と言われる、千鳥ヶ淵や上野公園の桜の木が、
大きく、花も美しいのは、
水はけのよい丘の上にあるからなのです。

 同じ桜の花でも、春、早く咲くのと遅く咲くのとがあります。
彼岸桜は寒い年でも、
関東では2月の終わりには咲く、早咲き桜です。

 遅く咲くのは、八重桜で、4月中旬から下旬に咲きます。
八重桜の本当の名は、里桜と言います。
 里桜は、伊豆半島に自然に生えていたもので、
それが全国に広められたものだそうです。

 日本からアメリカのワシントンに贈られ、
今では、毎年桜祭りでアメリカ中の名物になっているのは、
この里桜だそうです。

 今日は、桜のいろいろについて、お話しました。
   
  *    *    *    *     *
 
 5分間程度だったが、
時に校庭の横で咲き誇る5本の満開の桜を見ながら、
朝礼台から私は精一杯、子ども達へ話しかけた。

 そして、程よい緊張感の中で、
私の話を興味津々の目で聞く子ども達がいた。
 その姿は桜以上にまぶしく、
今も思い浮かべることができる。

 ▼ もう5年も前になるが、
当時92歳だった義母と一緒に、
3人で、弘前城公園の桜を見に行った。

 「開通した北海道新幹線に乗りたい。」
義母のそんな願いもあり、
新青森駅からはレンタカーで足を伸ばした。

 お花見の旅行なんて、初めての経験だった。

 若干、タイミングを逸したが、
広い城内のいたるとこにあった垂れ桜だけは、
まだまだ見ごろだった。

 1台きりの人力車を呼び止め、義母と家内を乗せ、
見て回った。
 
 途中、お城の大きな堀に近づくと、
舞い降りた花びらがその水面一面を被っていた。
 桜色の『花筏』に、
3人とも時間も言葉も忘れてしまった。
 「一期一会」の美しさだった。

 桜と一緒に、親孝行の真似事をしていることに、
満たされていた。

 ▼ それにしても、当地の桜はまだ1ヶ月も先のことだ。
気門別川沿いの並木も、歴史の杜公園の木々も、
開花が待ち遠しい。
 だが、それ以上に、今年こそと思う桜がある。

 伊達カントリー倶楽部の14番ミドルホールだ。
ここには、レギュラーティーから100ヤード位のど真ん中に、
大きな木が一本、枝を広げて立っている。  

 ドライバーでしっかり打つと、
ボールはその木の頭上を越えてフェアウエーに落ちる。
 しかし、少しでも打ち損ねると、
細い幹や枝に当たり、真下にポトリと落下するのだ。

 木を避けて、左右へ打つと、
ラフどころか、斜面やバンカーへ飛んでいくことになるのだ。
 とにかく、やっかいな大木なのだ。

 3年前になる。
ラウンドを始めると、コースのあちこちで、
満開の桜が目に入った。
 なのに、いつもと同じく余裕なく、
一途にボールを追っていた。

 ところが、後半の折り返し、
14番ホールのティーグランドに立った時だ。
 ドライバーを握ったまま、呆然と前方を見続けた。

 真ん中のあの大きな木が、
その枝を全部隠した桜色に被われていたのだ。
 その上、両サイドを囲む高い木立も、
ずっと奥まで満開の桜が連なっていた。
 ミドルホールの全景が桜さくらなのだ。

 いっこうに上達しないが、ゴルフキャリアは長くなった。
様々なコースで、クラブを振った。
 しかし、ラウンド中に、
こんなすごい桜は、初めてだった。

 いくつのスコアーでカップインしたのかは忘れた。
長いことその場にいたのだから、
きっと「ダボ」か「トリ」だったに違いない。

 昨年は、あいにくコロナで機を逸した。
今年は、大木がまるごと桜色の頭上を、
見事なドライバーショットで攻略したい。
 そして、胸を張って、桜色のフェアーウエーを進みたい。
後1ヶ月、その日が待ち遠しい。


  

   池のほとりに エゾノリュウキンカ
                  ※次回のブログ更新は4月17日(土)の予定です。
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