ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

私の『ドジ男』 『ダメ雄』から

2019-06-29 20:03:50 | あの頃
 月に数回、ゴルフを楽しんでいる。
何年キャリアを積んでも、スコアに改善は見られない。
 なのに家内は、着実に成長し、
徐々に私を脅かすまでになってきている。

 そのプレーのことだが、
ラウンドが終わっても、以前より様子をよく覚えている。

 「2ホール目の第2打は、
いいあたりでグリーンそばまで飛んだ。」
 「あのバンカーは1打で出たが、大き過ぎた。」
そんな風に、どのホールも振り返ることができるのだ。

 ところが、日常の暮らしはどうか。
年齢と共に、もの忘れが多くなっている。

 きっと私に限ったことではないと思うが、
今朝も、人の名前が思い出せない。
 家内に、「頭文字だけ教えて」と、ヒントを貰う。
そして、「ああ、Hさんだ」。
 こんな有り様だ。

 スマホに至っては、
いつもいつもその置き場が思い出せない。
 利用している時間より、
探している時間の方が、ずっとずっと長い。 
 
 「しっかりしろ!」。
私自身を叱責し、激励する日々である。

 そうは言いつつ、
まだ『うっかり・・』の範囲内と達観している。
「若い頃からの私のまま」と、
自身を慰め、笑い飛ばしている。

 さて、たびたびくり返してきた、
そんな私の『ドジ男』『ダメ雄』ぶりだが、
懐かしく2つほど思い出してみる。  


 ①
 担任時代のことだ。
若干老朽化が進んだ校舎の学校だった。
 トイレの悪臭、窓枠の腐食が際立っていた。

 職員室の床も緩やかに波打ち、歪んだ状態だった。
私の席の周辺も、少しくぼみがあった。

 机の脚2カ所には薄い板をかませ、安定させた。
しかし、キャスター付きの椅子は、くぼみに沿ってよく動いた。
 私が立ち上がると、ゆっくりと離れていくのだ。

 だから、会議などで起立して発言していると、
椅子は、ゆっくりと後方へ転がっていった。
 面倒でも、離れた椅子を引き寄せ、着席する。

 ある日、職員会議が混乱した。
その内容は、思い出せない。
 職員間で意見が食い違った。
次第に、ヒートアップしていった。

 徐々に、私もその空気に飲まれた。
ついに、私も挙手をした。
 発言のため立ち上がった。
いつもより時間をかけて、強い口調で考えを言った。

 その間、椅子はゆっくりと私から離れた。
周りの先生たちは、その椅子を目にしていたに違いない。
 でも、誰もそのことを忠告しなかった。
いつものことなのだ
 まして、次の事態など決して予想もしなかっただろう。

 いつもなら、発言が終わると後方を確認し、
椅子を引き寄せ着席する。
 だが、その時の私はいつもと違っていた。
口調の強さ通り、テンションが上がっていた。

 言い終わっても、冷静さを失ったままだった。
その勢いのまま、腰を下ろそうとしたのだ。
 椅子を引き寄せることが、頭から消えていた。

 座ろうとした途中で、突然気づいた。
「椅子は動いている。ないはずだ!」。
 もう腰が落ちていくのを止めることは、無理だった。
 
 床にお尻を強く打った。
同時に、ころがった椅子に背中と肘がぶつかった。
 椅子はその弾みで、後ろの机にぶつかり、大きな音をたてた。
そして、時が止まった。
 職員室は静まりかえった。

 私は、事態の急変をすぐに理解した。
「うかつだ!」。
 静寂の中、無言で立ち上がるのが恥ずかしくなった。

 私は、椅子を引き寄せながら、声を荒げた。
「教頭先生、だから、早く床を直してって言ったでしょう!」。

 実は、そんなことを1度も口にしたことがなかった。
なのに、強い語調後の失態である。
 だから、そんな法螺を私は吹いてしまった。

 教頭先生は、いい人だった。
突然の私の法螺に、穏やかに応じた。
 「そうでしたね。申し訳ない。怪我は、ない。どう?」
「ええ、大丈夫です。」

 教頭先生の一言が、私の面目を保ってくれた。
椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろした。

 その後、誰もそのことを話題にしなかった。
全く何事もなかったようだったが、
以来、私は、起立後の椅子の行方をすごく気にした。


 ②
 校長になってしばらくして、検食という制度が始まった。
出来上がった給食を、校長が真っ先に食べるのだ。
 それで異常がなければ、その日の給食に「ゴーサイン」を送る。
まさに校長自らが、『お毒味役』と言うわけである。

 実は、その制度の前から、
給食は副校長(教頭)先生と一緒に食べることにしていた。

 互いに、いつも時間に追われていた。
なので、給食を共にしながら、情報交換する機会とした。
 校長室の応接セットの椅子とテーブルを囲み、
少しだけゆっくりとした時間を過ごし、よく話し合った。

 それは、貴重な場だったので、
検食制度が始まっても、2人のその時間は続けた。

 さて、人事異動があり、
校内の雑務を担当する主事さんが一新した。
 今まで以上に、小まめに働く方々だった。
 
 それまでは、週に1回、それも私が出張で留守の時に、
校長室の掃除をしていた。
 だが、今度の主事さん達は毎日、
私が出勤する前には掃除を終わらせた。

 しかし、予定通りに行かない日もある。
校長室の掃除が終るより先に、私が出勤することがある。
 主事さんは、申し訳なさそうに、
急いで残りの場所に掃除機をかけるのだ。

 そんなことが何回かあって、気づいたことがあった。
それは、私が給食のたびに座る応接イスの周りのことだ。
 そこだけ、主事さんはいつも念入りに掃除機をかけるのだ。
 
 校長室の床は絨毯だった。
床のフロアーと違い、埃が目立たなかった。
 だから気にしていなかった。

 掃除機を動かす主事さんに、思い切って訊いた。
「そのイスの周りだけ、汚れがひどいんですか。」
 主事さんは、ハッとした顔のまま言った。
「大丈夫です。食べこぼしのパンくずとかですから。」
 恥ずかしさで、顔が赤くなった。
「すみません。迷惑かけて・・。」

 その後、食べこぼしに気をつけた。
でも、相変わらず主事さんは、
そのイスの周りだけ丁寧に掃除機をかけていた。




  秋蒔き小麦 もう少しで収穫か?
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軽夏を 切り取って

2019-06-22 19:46:13 | 北の湘南・伊達
 ①
 我が家は南に面しているのだが、少しだけ西を向いている。
だから、この時季の早朝は、2階北側の窓も朝日が差す。

 軽夏の伊達は、朝からいい天気が多い。
カーテンを開けると、北の窓にも明るい青空が広がる。
 朝日を受けながら、思わず窓を開けしばらく外を見る。
この地の東山連山が、豊かな緑色に包まれている。

 風もない。喧騒もない。
明るい日差しを浴びながら、ゆっくりと走り出す。
 10分も走ると、小高い農道に着く。

 今、畑は春キャベツとブロッコリーの収穫期だ。
そして、ジャガイモとカボチャの花が咲き始めた。

 少し離れたところに噴火湾が見える。
時折、その海面を朝霧がおおう。
 そのはるか先に、駒ヶ岳のさっそうとした勇姿がある。
走りながらも、両手を広げ、
大きく深呼吸をしてしまう。

 再び住宅街へと戻る。
香りに誘われて、顔を向ける。
 すると、手入れの行き届いた花壇に、
色とりどりの薔薇が、満開の時を迎えていた。
 
 荒い呼吸のままだが、
「綺麗だ!」
つい、声が出てしまう。

 先日まで、凜としたアヤメの立ち姿が
私のジョギング道を飾ってくれた。
 真っ白なツツジも、ルピナスの赤や紫も
道端で咲き誇っていた。
 なのに、もうその時季は終わった。

『季節の移ろいにあきらめることがあっても、
慣れるということはない。』
 ある小説のフレーズが、脳裏に浮かんだ。

 共感しながら、もう一度薔薇の香りを確かめる。
そして、そっとその場を走り抜けた。
  
 
 ②
 最後に勤務した学校の近くに、
『S酒場』という居酒屋があった。
 学区域内だが、先生方やPTA役員さんらと、
その暖簾をたびたびくぐった。

 『元祖「酎ハイ」の店』が看板だった。
そんなことより、その店の
「身欠ニシンの煮付け」と「ポテトサラダ」が、
大好きだった。

 仕事を終え、
8時過ぎに2階のいつものテーブルに着く。
 すると、馴染みの店員さんが笑顔で言う。
「今日は、まだありますよ。
両方とも用意しますね。」

 その二品があれば大満足だった。
それを肴に、生ビール2杯と吟醸酒1杯が、
私の定番だ。
 テーブルを囲んだ会話が弾むのに、十分だった。

 今も、時折『S酒場』と一緒に、二品を思い出す。
家内にリクエストし、食卓に載せてもらう。
 食べながら、当時が蘇り、つい酒が進むこともある。

 先日のことだ。
家内と一緒に、スーパーへ行った。
 いつもそうなのだが、
真っ先に、対面販売の魚売場に行く。

 この時季、私の最高の旬は、サクラマスだ。
渓流の女王「ヤマメ」が、海に出て回遊し、
大きく成長したものをサクラマスと言う。

 このサーモンピンクの切り身を、
ムニエルにする。
 バターとの相性が抜群だ。

 ところがこの日、陳列台に好物はなかった。
残念そうな私に、珍しく女店員さんが話しかけてきた。
 「今日の、お勧めはこれです。」

 言った先に並んでいたのは、
新鮮さが残ったままの身欠ニシンだった。

 『自家製』と立て札があった。
「ここの店で作ったんです。近海の鰊だから、
間違いありません。お買い得ですよ。」 

 見慣れている身欠ニシンとは違い、半生のようだった。
少しためらいがあったが、勧められるままに買い求めた。

 夕方、台所からは醤油のいい匂いがしてきた。
夕飯のおかずに、身欠ニシンの煮付けがあった。

 申し訳ないが、『S酒場』のそれを越えた。
実に美味だ。
 また1つ、この時季の絶品を見つけてしまった。


 ③
 自宅に花壇がある暮らしなど、都会では考えにくい。
なのにここには、
『ジューンベリー』の樹をシンボルツリーに配した花壇がある。

 草花になど感心のない私が、
「手間のかからない花壇にします」。
 業者のそんな勧めに従った。
造って貰ったのは、イングリッシュガーデン風のものだった。

 季節ごとに咲く花に、徐々に興味を持った。
やがて所々の雑草が気になり、抜き始めた。
 葉に害虫が着くと、殺虫剤を買いに走った。

 春になると芽を出し、伸びる宿根草だが、
年によってその勢いに違いがあった。
 そんなことも知らなかった。

 我が家の花壇も、その年々で微妙に様相が違う。
これまた楽しみになった。

 今年のこの時季、『アルケミラ』が特に力強い。
いつになくたくさんの花を咲かせている。

 その花は、菜の花を思わせるが、
それよりも緑がかった黄色で、小ぶりだ。
 その可憐な花が一斉に開花し、
今、花壇が華やでいる。
 
 そんなある朝、
園芸用のハサミを片手に花壇へ入った。
 切り花など、未経験だ。

 実は、曲がりなりにも、
我が家には小さな仏壇がある。
 位牌分けをしてもらった父と母に、
毎朝手を合わせるのを、日課の1つにしている。

 いつもは買い物ついてに仏花を求め、
それを供える。

 でも、この朝、
私はあの『アルケミラ』を仏花にと思い立った。
 両親に、この時季の花壇のお裾分けがしたくなったのだ。

 花壇で可憐に咲く黄色の花の茎にハサミを入れた。
1本2本・・と。
 7本程を片手に束ねて、かざしてみた。
はじめて切り花を摘んだ。
 朝の日差しによく似合って、清々しい。

「あらぁ、キレイね!」
きっと、母はそう言ってくれるに違いない。





   じゃがいも畑は 花盛り  
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まさかまさかの 展開

2019-06-15 20:54:51 | 北の湘南・伊達
 電話はいつだって突然に鳴り出す。
しかし、その相手が意外な場合、
「突然の電話だった。」
そんな言い方をするだろう。

 3月中旬だ。
まさに、突然の電話だった。
 「あの、伊達市社会福祉協議会のNと言うものです。」
若干オットリとした口調の女性からだ。
 「協議会で老人クラブ連合会の担当をしています。」

 家内は朗読ボランティアで、
社会福祉協議会と若干関わりがあった。
 しかし、私は全くつながりがない。
ましてや、老人クラブなど縁遠いものと思っていた。

 電話口で対応に戸惑っていると、彼女は切り出した。
「お願いがあって、お電話しました。
 来年度早々なんですが、
老人クラブ連合会の女性部で、講演会を計画しています。
 そこで、講師をしていただきたいのですが・・。」

 何かの間違いではないか。
聞き返した。
 「えっ、私にですか。」
「そうです。是非、お願いしたいのですが・・」

 それまでに、誰からも何の打診もなかった。
訳がわからないまま、尋ねた。
 「どんなお話を・・ですか?」
「最近、長生大学で講演をされたそうですが、
その時のような、楽しいお話が聞きたいんですが・・。」

 「楽しい話?・・・、そうですか・・。
それでテーマとかは・・。」
 「特に・・・・。あの時のお話を聞けなかった方々から、
是非にとの声がありまして・・・。」

 まさかまさかだ。
昨年12月に、市の長生大学で講演する機会に恵まれた。
 そのことが、こんな展開になるとは思いもしなかった。

 「皆さんのお役に立つような立派なお話なら、ちょっと無理・・。
でも、日々の暮らしの体験談でよければ・・。」

 彼女は、急に明るい声になった。
「5月下旬か6月上旬で、お願いできませんか。」
 「それは・・、いつだってサンデーですから私は・・。
大丈夫ですが・・。」

 そこからは、月日と講演時間、会場が決まるまで、
時間はそれ程要しなかった。
 そして、「では、よろしくお願いします。」
彼女のオットリとして電話の声は、
それで終わった。

 ところが、受話器を置いてから、
日に日に不安が増した。

 1つは、参加者だ。
老人クラブ連合会女性部としての講演会は、
今回が初めての企画だと言う。
 なので、出席者は30人から100人を予想しているらしい。
その参加規模は気にならなかった。

 しかし、全てが60歳以上の女性なのだ。
気になった。
 私にとって、初めて経験する参加者の顔ぶれなのだ。

 雰囲気が、想像できなかった。
教員や保護者など、教育関係者を対象にしたものとは、
大きくかけ離れていた。
 「これは、難しい!」

 もう開き直るしかなかった。
「出たとこ勝負!」
 それ以外に、方法が見つからなかった。

 そして、もう1つの不安は、
「長生大学の時のような」と言う依頼内容であった。

 実は、40歳代の頃だ。
ある年の夏休みに、教員対象の研修会で講師を務めた。
 同じようなテーマで、日にちを替えて2会場で行うことになった。

 「もしかしたら、同じ先生が参加したりするのでは・・。」
そう思い、2回目は骨子を変更しないまま、
内容を少し変えて講演に臨むことにした。

 1回目は、順調に進んだ。
しかし、数日おいての2回目は、気持ちに随分と違いがあった。
 手慣れた感じで、言葉だけが先行する話し方になってしまった。
当然、聞いている方の心まで届かないのだ。
 消化不良のまま、講演を終えた。

 今回は、同じ失敗を避けたかった。
そのため、同じような体験談でも、同じように日々の暮らしからでも、
骨子から練り直すことにした。
 そして、新鮮な思いで語れるようにと心がけた。

 さて、私なりの準備を整え、当日が来た。
午後1時半からの講演だ。
 会場は、自宅から車で5分のところだ。

 駐車場に停車して、会場の玄関を見た。
小雨模様の中、何人もの方が会場に入って行った。
 中には杖をついた方、家族の車で送ってもらった方もいた。

 私の話を聴くだけ、それだけに集まってくれている。
胸が詰まった。
 「私のできることは・・?
それは、用意してきた話に心を込めること!」
 改めて思いを確かめながら、会場に入った。

 ほぼ満席だった。
矢っ張り、同世代かそれ以上の女性ばかりだ。
 顔見知りが多いようで、
小声の会話からは、和やかさが伝わってきた。

 徐々に、雰囲気が理解できた。
「これはスローテンポで、話さなければ・・」
 そう気づいた。 

 用意してきた講演メモの上段に、
赤字で『スローテンポで』と書いてから、
話し始めた。

 途中、何カ所も省略しながら、話を進めることになった。
ゆっくりと、間をおいて話した。
 加えて、長生大学とは違う丁寧さで語りかけた。
すると、時間だけがどんどんと過ぎた。

 仕方ない。若干未消化のまま、次へ次へと進んだ。
そんなくり返しで、1時間半が過ぎてしまった。
 予定していたことの、6割しか話せなかった。

 申し訳ないと思いつつ、
最後を何とかまとめ、話し終えた。
 なのに、大きく長い拍手を頂いた。

 「もっと聴いていたかった。」
「すごく楽しかったです。ありがとうございます。」
 わざわざそんな声を残してくれた方々がいた。

 疲労感を忘れた。
だが、時間計算の甘さに悔いだけが、
いつまでも残った。
 
 ところが、それから数日後、
社会福祉協議会のNさんより丁寧なお礼の手紙が届いた。
 そこにこんな1文があった。

 『普段何気なく通り過ぎてしまう出来事や言葉にも、
たくさんの感動が詰まっているのだと実感し、
人との出逢いに感謝する大切さを教えていただきました。

 先生のお話に会員の皆さんも
笑い、共感し、多くの気付きがあったものと思います。

 心温まる素敵なお話を伺うことができ、
心より感謝申し上げます。』

 礼状だと分かっている。
それでも、私の思いを真っ直ぐにキャッチしてくれていた。
 嬉しさがこみ上げた。

 伊達に来て、7年が過ぎた。
まさかまさかの展開は、今後も続くのだろうか。




   自宅のアルケミラ 今が満開   
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旅先でRUN あれやこれや

2019-06-08 16:26:39 | ジョギング
 昨年3月のブログは、『旅先ジョギング』と題して、
由仁町「ユンニの湯」に宿泊した朝のジョギングと、
都心の皇居周辺を走った体験を書いた。

 そして最近だが、何回か『旅ラン』というテレビ番組を見た。
主に東京都内になるが、10キロ程度の行程を走りながら、
ランナーが道沿いで目に止まったものを紹介していた。

 私の旅先での体験も同じで、
いつもとは違うランニングコースが、
意外な新鮮さに触れさせてくれ、楽しいのだ。
 走ることにプラスアルファが加わる、
と言っていいのだろう。

 あるランナーが、
『旅先でRUNを勧める5つの理由』を上げていた。

 ① 「ただの観光」だけでは気づかない発見がある
 ② 「発見」にワクワクするから距離が気にならない
 ③ 普段走らない人ほど意外と走れる
 ④ 友だちと走ると旅の思い出が圧倒的に充実する
 ⑤ 「土地勘」が良くなる

 私の体験も『旅ラン』も5つの理由通りで、納得する。
さて、それ以外に旅先でのRUNに、
惹かれることはないだろうか。
 探してみた。2つ記す。

 ▼まだ道端に根雪が残る春先のことだ。
まもなく95歳を迎える義母を誘って、
1泊の予定で温泉に行った。

 いつもなら母が暮らしている同じ市内の、
奥地にある温泉ホテルに行く。
 しかし、今年は少しだけ遠出をした。
母の所から、車で1時間余りのところだ。

 広大な石狩平野のはずれ、小高い丘の中腹に、
その温泉宿舎はあった。

 夕暮れが迫っている頃だった。
その宿舎までのダラダラと続く、
やや傾斜のある坂道に愛車がさしかかった。

 その上り坂で、道路脇を1人2人、
時には5人程が縦に並んで走る人たちがいた。

 男性だけでなく、女性もいた。
ランニング用の小さなナップザックを背負ったランナーも。

 どの人も、1歩1歩ゆっくりと坂道を駆け上っていた。
その足どりには、疲労感が漂って見えた。 

 宿舎の広い駐車場まで進むと、
10数人のランナーが腰を下ろしていた。

 「雪融けを待って、今日、
ランニングサークルで走っているんだ。」
 そう思いつつ、母と家内、私の3人、
温泉施設の玄関を入った。

 しばらくしてから、入浴しにいった。
日帰り温泉を兼ねたお風呂は、予想以上に混んでいた。
 その更衣室に、ランナー姿の方がいた。
興味がわいた。
 思い切って尋ねてみた。

 「ここまでの坂道を走っていた方ですよね。」
「はい。」
 「どこからですか。」

 私の問いかけに、遠慮がちに答えてくれた。
「白石駅からです。」
 驚いた。

 私の知っている白石駅は、札幌にあるのだ。
半信半疑で、再び訊いた。
 「ここまで、どの位ですか。」
「60キロちょっとですね。」
 「そうですか。それは・・」。

 間違いなく札幌から走ってきたのだ。
もう私には、言葉がなかった。
 同時に、ゆっくりとした足どりで、
あの坂を上っていた訳が分かった。

 実は、あのダラダラとした、やや傾斜のきつい坂を、
上るのは無理だろうと思っていた。
 でも、一応ジョギングの準備だけはしてきていた。

 まさに触発された。
60キロを走っても、上りきった坂道だ。
 5キロの終わりに駆け上れない訳がない。
尻込みするのが、恥ずかしかった。

 翌朝、家内を誘って、宿舎から坂道を下り、
平坦な道をしばらく走り、2,5キロで折り返した。

 坂道からは、石狩平野に広がる雪融けの農地が、
大空の下どこまでも続いて見えた。
 
 二人して息を切らせながら、
その北の大地の田園に、時々目をやりながら、
坂道を上がり、そして上りきった。

 昨日のランナー達の10分の1にも満たない距離だ。
でも、坂道での出逢いがあったから、
だから走れた坂道だった。

 吐く息が白いのに気づいたのは、
5キロを走り終えてからだった。
 体が冷える前に、温泉に浸かった。
RUNを終えての『朝湯』、これがまたいい。
 札幌のランナー達に、感謝!


 ▼ 結婚してから伊達に移住するまでの約40年余り、
何度か転居はしたが、ずっと千葉市の海浜地区で暮らしていた。
 
 3年程前になる。
所用で、千葉へ行った。
 なので、あの頃の最寄り駅、
その隣駅にあるホテルに宿泊した。

 翌朝、旅先RUNに出た。
40年も暮らした近辺である。
 周辺の道の土地勘には自信があった。

 5キロのRUNを予定し、
事前にコースを設定し、その道を走り出した。

 見慣れないビルやマンションが建っていた。
建築中のものもあった。
 変わりゆく街の活気に、
今の暮らしとは随分と違うと感じながら、
朝の爽やかな風を切った。

 埋め立て地の平坦な道の途中で、
GPS機能の腕時計で走行距離を確認した。
 驚いた。
想定していた距離と、大きく違っていた。

 車ではよく通った道ばかりだ。
でも、走るのは初めてだった。
 その距離感には、すごいギャップがあった。

 思っていたほど走った距離が、長くないのだ。
所々でコースを変更し、距離をのばした。

 「5キロがこんなに長いとは・・」。
不思議な感覚と、いつもより疲れを感じながら、
ホテルまで戻った。

 「なぜだ?」。
今も納得できずにいる。
 確かに初めてのRUNコースだ。
歩いたこともない。
 だが、車ではよく通った道だ。
両脇の景色だって見慣れている。

 なのに、あの距離感の違いは、なんだ・・。
私を納得させるには、
もう一度あの道を走るしかないのでは・・・。

 『呆れる!』





  花菖蒲? アヤメ? どっち?    
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