月に数回、ゴルフを楽しんでいる。
何年キャリアを積んでも、スコアに改善は見られない。
なのに家内は、着実に成長し、
徐々に私を脅かすまでになってきている。
そのプレーのことだが、
ラウンドが終わっても、以前より様子をよく覚えている。
「2ホール目の第2打は、
いいあたりでグリーンそばまで飛んだ。」
「あのバンカーは1打で出たが、大き過ぎた。」
そんな風に、どのホールも振り返ることができるのだ。
ところが、日常の暮らしはどうか。
年齢と共に、もの忘れが多くなっている。
きっと私に限ったことではないと思うが、
今朝も、人の名前が思い出せない。
家内に、「頭文字だけ教えて」と、ヒントを貰う。
そして、「ああ、Hさんだ」。
こんな有り様だ。
スマホに至っては、
いつもいつもその置き場が思い出せない。
利用している時間より、
探している時間の方が、ずっとずっと長い。
「しっかりしろ!」。
私自身を叱責し、激励する日々である。
そうは言いつつ、
まだ『うっかり・・』の範囲内と達観している。
「若い頃からの私のまま」と、
自身を慰め、笑い飛ばしている。
さて、たびたびくり返してきた、
そんな私の『ドジ男』『ダメ雄』ぶりだが、
懐かしく2つほど思い出してみる。
①
担任時代のことだ。
若干老朽化が進んだ校舎の学校だった。
トイレの悪臭、窓枠の腐食が際立っていた。
職員室の床も緩やかに波打ち、歪んだ状態だった。
私の席の周辺も、少しくぼみがあった。
机の脚2カ所には薄い板をかませ、安定させた。
しかし、キャスター付きの椅子は、くぼみに沿ってよく動いた。
私が立ち上がると、ゆっくりと離れていくのだ。
だから、会議などで起立して発言していると、
椅子は、ゆっくりと後方へ転がっていった。
面倒でも、離れた椅子を引き寄せ、着席する。
ある日、職員会議が混乱した。
その内容は、思い出せない。
職員間で意見が食い違った。
次第に、ヒートアップしていった。
徐々に、私もその空気に飲まれた。
ついに、私も挙手をした。
発言のため立ち上がった。
いつもより時間をかけて、強い口調で考えを言った。
その間、椅子はゆっくりと私から離れた。
周りの先生たちは、その椅子を目にしていたに違いない。
でも、誰もそのことを忠告しなかった。
いつものことなのだ
まして、次の事態など決して予想もしなかっただろう。
いつもなら、発言が終わると後方を確認し、
椅子を引き寄せ着席する。
だが、その時の私はいつもと違っていた。
口調の強さ通り、テンションが上がっていた。
言い終わっても、冷静さを失ったままだった。
その勢いのまま、腰を下ろそうとしたのだ。
椅子を引き寄せることが、頭から消えていた。
座ろうとした途中で、突然気づいた。
「椅子は動いている。ないはずだ!」。
もう腰が落ちていくのを止めることは、無理だった。
床にお尻を強く打った。
同時に、ころがった椅子に背中と肘がぶつかった。
椅子はその弾みで、後ろの机にぶつかり、大きな音をたてた。
そして、時が止まった。
職員室は静まりかえった。
私は、事態の急変をすぐに理解した。
「うかつだ!」。
静寂の中、無言で立ち上がるのが恥ずかしくなった。
私は、椅子を引き寄せながら、声を荒げた。
「教頭先生、だから、早く床を直してって言ったでしょう!」。
実は、そんなことを1度も口にしたことがなかった。
なのに、強い語調後の失態である。
だから、そんな法螺を私は吹いてしまった。
教頭先生は、いい人だった。
突然の私の法螺に、穏やかに応じた。
「そうでしたね。申し訳ない。怪我は、ない。どう?」
「ええ、大丈夫です。」
教頭先生の一言が、私の面目を保ってくれた。
椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろした。
その後、誰もそのことを話題にしなかった。
全く何事もなかったようだったが、
以来、私は、起立後の椅子の行方をすごく気にした。
②
校長になってしばらくして、検食という制度が始まった。
出来上がった給食を、校長が真っ先に食べるのだ。
それで異常がなければ、その日の給食に「ゴーサイン」を送る。
まさに校長自らが、『お毒味役』と言うわけである。
実は、その制度の前から、
給食は副校長(教頭)先生と一緒に食べることにしていた。
互いに、いつも時間に追われていた。
なので、給食を共にしながら、情報交換する機会とした。
校長室の応接セットの椅子とテーブルを囲み、
少しだけゆっくりとした時間を過ごし、よく話し合った。
それは、貴重な場だったので、
検食制度が始まっても、2人のその時間は続けた。
さて、人事異動があり、
校内の雑務を担当する主事さんが一新した。
今まで以上に、小まめに働く方々だった。
それまでは、週に1回、それも私が出張で留守の時に、
校長室の掃除をしていた。
だが、今度の主事さん達は毎日、
私が出勤する前には掃除を終わらせた。
しかし、予定通りに行かない日もある。
校長室の掃除が終るより先に、私が出勤することがある。
主事さんは、申し訳なさそうに、
急いで残りの場所に掃除機をかけるのだ。
そんなことが何回かあって、気づいたことがあった。
それは、私が給食のたびに座る応接イスの周りのことだ。
そこだけ、主事さんはいつも念入りに掃除機をかけるのだ。
校長室の床は絨毯だった。
床のフロアーと違い、埃が目立たなかった。
だから気にしていなかった。
掃除機を動かす主事さんに、思い切って訊いた。
「そのイスの周りだけ、汚れがひどいんですか。」
主事さんは、ハッとした顔のまま言った。
「大丈夫です。食べこぼしのパンくずとかですから。」
恥ずかしさで、顔が赤くなった。
「すみません。迷惑かけて・・。」
その後、食べこぼしに気をつけた。
でも、相変わらず主事さんは、
そのイスの周りだけ丁寧に掃除機をかけていた。
秋蒔き小麦 もう少しで収穫か?
何年キャリアを積んでも、スコアに改善は見られない。
なのに家内は、着実に成長し、
徐々に私を脅かすまでになってきている。
そのプレーのことだが、
ラウンドが終わっても、以前より様子をよく覚えている。
「2ホール目の第2打は、
いいあたりでグリーンそばまで飛んだ。」
「あのバンカーは1打で出たが、大き過ぎた。」
そんな風に、どのホールも振り返ることができるのだ。
ところが、日常の暮らしはどうか。
年齢と共に、もの忘れが多くなっている。
きっと私に限ったことではないと思うが、
今朝も、人の名前が思い出せない。
家内に、「頭文字だけ教えて」と、ヒントを貰う。
そして、「ああ、Hさんだ」。
こんな有り様だ。
スマホに至っては、
いつもいつもその置き場が思い出せない。
利用している時間より、
探している時間の方が、ずっとずっと長い。
「しっかりしろ!」。
私自身を叱責し、激励する日々である。
そうは言いつつ、
まだ『うっかり・・』の範囲内と達観している。
「若い頃からの私のまま」と、
自身を慰め、笑い飛ばしている。
さて、たびたびくり返してきた、
そんな私の『ドジ男』『ダメ雄』ぶりだが、
懐かしく2つほど思い出してみる。
①
担任時代のことだ。
若干老朽化が進んだ校舎の学校だった。
トイレの悪臭、窓枠の腐食が際立っていた。
職員室の床も緩やかに波打ち、歪んだ状態だった。
私の席の周辺も、少しくぼみがあった。
机の脚2カ所には薄い板をかませ、安定させた。
しかし、キャスター付きの椅子は、くぼみに沿ってよく動いた。
私が立ち上がると、ゆっくりと離れていくのだ。
だから、会議などで起立して発言していると、
椅子は、ゆっくりと後方へ転がっていった。
面倒でも、離れた椅子を引き寄せ、着席する。
ある日、職員会議が混乱した。
その内容は、思い出せない。
職員間で意見が食い違った。
次第に、ヒートアップしていった。
徐々に、私もその空気に飲まれた。
ついに、私も挙手をした。
発言のため立ち上がった。
いつもより時間をかけて、強い口調で考えを言った。
その間、椅子はゆっくりと私から離れた。
周りの先生たちは、その椅子を目にしていたに違いない。
でも、誰もそのことを忠告しなかった。
いつものことなのだ
まして、次の事態など決して予想もしなかっただろう。
いつもなら、発言が終わると後方を確認し、
椅子を引き寄せ着席する。
だが、その時の私はいつもと違っていた。
口調の強さ通り、テンションが上がっていた。
言い終わっても、冷静さを失ったままだった。
その勢いのまま、腰を下ろそうとしたのだ。
椅子を引き寄せることが、頭から消えていた。
座ろうとした途中で、突然気づいた。
「椅子は動いている。ないはずだ!」。
もう腰が落ちていくのを止めることは、無理だった。
床にお尻を強く打った。
同時に、ころがった椅子に背中と肘がぶつかった。
椅子はその弾みで、後ろの机にぶつかり、大きな音をたてた。
そして、時が止まった。
職員室は静まりかえった。
私は、事態の急変をすぐに理解した。
「うかつだ!」。
静寂の中、無言で立ち上がるのが恥ずかしくなった。
私は、椅子を引き寄せながら、声を荒げた。
「教頭先生、だから、早く床を直してって言ったでしょう!」。
実は、そんなことを1度も口にしたことがなかった。
なのに、強い語調後の失態である。
だから、そんな法螺を私は吹いてしまった。
教頭先生は、いい人だった。
突然の私の法螺に、穏やかに応じた。
「そうでしたね。申し訳ない。怪我は、ない。どう?」
「ええ、大丈夫です。」
教頭先生の一言が、私の面目を保ってくれた。
椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろした。
その後、誰もそのことを話題にしなかった。
全く何事もなかったようだったが、
以来、私は、起立後の椅子の行方をすごく気にした。
②
校長になってしばらくして、検食という制度が始まった。
出来上がった給食を、校長が真っ先に食べるのだ。
それで異常がなければ、その日の給食に「ゴーサイン」を送る。
まさに校長自らが、『お毒味役』と言うわけである。
実は、その制度の前から、
給食は副校長(教頭)先生と一緒に食べることにしていた。
互いに、いつも時間に追われていた。
なので、給食を共にしながら、情報交換する機会とした。
校長室の応接セットの椅子とテーブルを囲み、
少しだけゆっくりとした時間を過ごし、よく話し合った。
それは、貴重な場だったので、
検食制度が始まっても、2人のその時間は続けた。
さて、人事異動があり、
校内の雑務を担当する主事さんが一新した。
今まで以上に、小まめに働く方々だった。
それまでは、週に1回、それも私が出張で留守の時に、
校長室の掃除をしていた。
だが、今度の主事さん達は毎日、
私が出勤する前には掃除を終わらせた。
しかし、予定通りに行かない日もある。
校長室の掃除が終るより先に、私が出勤することがある。
主事さんは、申し訳なさそうに、
急いで残りの場所に掃除機をかけるのだ。
そんなことが何回かあって、気づいたことがあった。
それは、私が給食のたびに座る応接イスの周りのことだ。
そこだけ、主事さんはいつも念入りに掃除機をかけるのだ。
校長室の床は絨毯だった。
床のフロアーと違い、埃が目立たなかった。
だから気にしていなかった。
掃除機を動かす主事さんに、思い切って訊いた。
「そのイスの周りだけ、汚れがひどいんですか。」
主事さんは、ハッとした顔のまま言った。
「大丈夫です。食べこぼしのパンくずとかですから。」
恥ずかしさで、顔が赤くなった。
「すみません。迷惑かけて・・。」
その後、食べこぼしに気をつけた。
でも、相変わらず主事さんは、
そのイスの周りだけ丁寧に掃除機をかけていた。
秋蒔き小麦 もう少しで収穫か?