先週のブログで『だての人名録 〔1〕』として、
「1、ワケあり」、「2、私の分だけど」、「3、麹いるかい」の題で、
3人の方を紹介した。
今週は、その続きを記す。
大好きな伊達で、こんな人とエピソードに出会った。
4、ナンもないしょ
伊達に落ち着いてすぐ、毎朝6時スタートで、
家内とジョギングを始めた。
『伊達デビュー』である。
出会った人には、こちらから必ず「おはようございます。」
と、挨拶することにした。
千葉に在住していた最後の1、2年は、
月数回、スロージョギングを楽しんでいた。
しかし、朝の挨拶など、心がけなかった。
通勤の慌ただしい足取りの方とすれ違うことはあっても、
散歩やジョギングの方と出会うことは、まれだった。
ましてや出会っても、顔を向けることなどなかった。
ところが、伊達では、毎朝数人の方と、必ず出会った。
そのすべての人と、挨拶を交わした。
その中の1人に、ノルディックウォーキングと言うらしいが、
両手に専用のストックを持ち、一定のリズムで歩く女性がいた。
私より、5つ6つ年上だろうか。
上背があり、その背筋をキリッと伸ばし、
一歩一歩踏みしめる足取りが、健康的で清々しさがあった。
挨拶を交わしながら、すれ違う毎日を繰り返して、
3か月ほどが過ぎた頃だった。
いつも通り、ゆっくりと走る私たちに気づくと、立ち止り、
「ねえ、そんなに毎朝走って、どうするの。」
と、声をかけてきた。
私も家内も、その声掛けに驚き、足を止めた。
「特に……。」と、口ごもる家内に、
「亡くなった主人もよく走ってて、
いろんなマラソン大会に出てたもんだから。」
「そうでしたか。」
「ごめんなさい。止めてしまって。」
「いいえ。」
その日以来、時々立ち止まり、
二言三言と言葉を交わした。
やがて、「お茶でもいかかですか。」と話が進み、
我が家に顔を出してくれるようになった。
彼女は、ご主人を亡くされてから、毎日が寂しいこと、
そして、思いもしなかった別れへの悔やみを口にし、
それをくり返し話した。
そして、「また来ますね。」と席を立った。
伊達で知り合った数少ない知人である。
私にとっても家内にとっても、嬉しい来客だった。
1年程前になるだろうか。
週1回、デイサービスに行き始めたとのことだった。
「体はどこも悪くないの。でも、お父ちゃんが亡くなってからは、
ずっと寂しくて、私は心が傷んでいるの。
だから、デイサービスに行くことにした。」
と言う。
年寄りばかりだけど、
一日みんなでいると、少し元気になるらしい。
伊達の周辺には、様々な高齢者施設がある。
養護老人ホーム、特養老人ホーム、グループホーム、
デイサービスセンター、そしてケアハウス等々。
私にはまだまだ先の先のことと思いながらも、
デイサービスでの一日には、関心があり、
彼女の話には、熱心に耳を傾けた。
彼女が行っている施設は、1階がデイサービスで、
その上層階は、養護老人ホームとケアハウスになっていた。
私がよく行く日帰り温泉への通り道沿いにあった。
噴火湾の大海原に面した、海辺の小高い丘の上に、
リゾートホテルを思わせる6階建てがそれだった。
私は、意気込んで言った。
「あそこはいいでしょう。晴れた日など、
噴火湾の海がどこまでも広がり、キラキラと綺麗で。
あんな景色を毎日見ていられたら、最高ですよね。」
すると、彼女は急に困り顔になり、
「海だけだよ。ナンもないしょ。」
「だから、いいんじゃないですか。」
「やだ、そんなの。寂しいだけ。」
「大都会での暮らしが、私の感性の中心なんだ。」
と、改めて思った。
『マダマダだ。』と、額に手をおいた。
5、勿体ないから
今年度の伊達市政執行方針で、菊谷市長さんは、
『将来に希望のもてる伊達市を創るために』として、
その第1に、「健康産業の創造」を上げている。
その対象は、「食」「住居」「スポーツ」「文化」「医療」だと言う。
私は、『健康』という着眼点の素晴らしさに敬意と共に、
注目をしている。
その一貫なのだろうか。
伊達市は、私が住みはじめた3年前の4月に、
『だて歴史の杜公園』内に、総合体育館を新築した。
素晴らしい施設である。
そして、昨年4月、その体育館の横に、
温水プールとトレーニング室がオープンした。
金づちの私に、温水プールは無縁だが、
新しく生まれ変わったトレーニング室は、大いに活用できそうだった。
オープンしてすぐに、のぞいてみると、
多くの高齢者が、8台のランニングマシンや
10台のコードレスバイクを使い、汗を流していた。
予想以上の盛況だったようで、
『1年で温水プールとトレーニング室の利用者が10万人を越えた』
と、今年4月、新聞の地元記事にあった。
秋の終わりから春まで、好天の日を除いて、
私は、体育館のランニングコースやトレーニング室のランニングマシンを使い、
野外でのジョギング替わりに汗を流した。
多いときで週2回、人の少ない午後3時頃をねらった。
半年前のことになる。
45分間、ランニングマシンで走り、大汗をかいた。
他の機器を使うため、Tシャツを着替えにロッカー室へ行った。
そこで、汗を拭っていた時、
見慣れない同年齢の方が、額に汗を浮かべて戻ってきた。
私を見るなり、
「定期券、持ってるの。」
と、訊いてきた。
伊達に来てからは、こんな急な問いかけにも、大夫慣れた。
「いや、回数券です。」
「そうか。」
しばらく、沈黙があった。
この温水プールとトレーニング室は、
利用料が一緒で、1回300円だった。
しかも、回数券は3000円で11回、
定期券は6000円で3ヶ月何回でも利用できた。
「それで、週どのくらい来るの。」
再び訊いてきた。
「そうですね、週1回か2回です。」
「じゃ、回数券がいいか。俺さ、定期券買ったんだよ。
それでさ、、なんか勿体ないから、毎日来てるんだ。
損しないようにって、時々午前と午後の2回も来る日がある。
もう、疲れちゃって。」
「それは、頑張り過ぎですよ。」
「そうか、体、壊しちゃうな。今度は、回数券にするわ。」
話しながら着替えを済ませ、
「じゃ、また。」とロッカー室を後にした。
「エッ、勿体ない。1日2回も。」
「誰か、止めてやらないと。」、
『カナワナイ』と、額に手をおいた。
6、どうして来るの
2ヶ月程前になるだろうか。新聞の広告欄に、
『井上陽水コンサート「UNITED COVER2」』の記載があった。
それに気づいた家内が、声を張り上げた。
「これ見てみて、ウソみたい。」
と、新聞を指差した。
何をそんなに驚いているんだと、新聞をのぞき込んだ。
自分の目を疑りたかった。
ちょっとした夢の一コマを見ているようだった。
新聞広告は、陽水コンサートのチケット販売の案内だった。
11月、北海道の2会場でコンサートがある。
9日が小樽市民会館だ。
そして、もう1つが、なんと、
わが町の『だてカルチャーセンター大ホール』なのだ。
人口3万6千人の町の、収容1000人余りの会場で、
井上陽水がコンサートをする。
目を疑って、当然である。夢のようなことだ。
1970年代、井上陽水の『氷の世界』が大ヒットした。
毎週日曜日の午前、共働きの我が家では、
育児に追われながらも、1週間分の掃除と洗濯をした。
その時間、いつもFM放送から流れていたのが陽水の歌だった。
私は、すっかりファンになった。
ニューミュージックと言われていた。
エネルギッシュで新時代を思わせる曲調、
そして同世代だったからか、その歌詞に共感した。
この年になっても、いつでも、好きな歌手の一番は井上陽水だった。
初めて陽水のコンサートに行ったのは、
ファンになって10年以上が過ぎてからだった。
大袈裟ではなく、帰り道は、感動で、夢遊病者状態だった。
伊達に行ったら、もう聴く機会がなくなる。
そう思って、移住の数ヶ月前、
タイミングよく千葉公演があり、前から3列目の席を取り、
間近でその歌声に酔った。十分満足した。
なのに、その本物の陽水が伊達に来る。
チケット2枚を手に入れるのに躍起になった。
無事、チケットをゲットした。
それにしても、多少の温度差はあるが、
伊達でも沢山の音楽好きが、このコンサートに驚いた。
ブログを見ると、
「陽水さんが、伊達で公演なんて、信じられない。」
「コンサート当日は、大変な賑わいに。お祭り騒ぎだ。」
の書き込みが踊っていた。
そして、
「それにしても、何故、陽水は
この町でコンサートをするの。不思議だ。」
との記載までもが。
私も、同じ疑問を、くり返し家内に言い続けていた。
つい先日、ひざの治療から戻った家内が、接骨院の先生も、
「どうして陽水は、伊達に来ることになったんだろうね。
信じたいけど、まだ信じられないなあ。」
だって。
私だけではなく、きっと伊達の陽水ファンはみんな、
同じように、半信半疑の心境で、11月11日を迎えるのだと思う。
そうか、私もちょっとだけ、この土地の人になったかも。
『ソレデイイ。』と、額に手をおいた。

ナナカマドの実が真っ赤 綺麗
「1、ワケあり」、「2、私の分だけど」、「3、麹いるかい」の題で、
3人の方を紹介した。
今週は、その続きを記す。
大好きな伊達で、こんな人とエピソードに出会った。
4、ナンもないしょ
伊達に落ち着いてすぐ、毎朝6時スタートで、
家内とジョギングを始めた。
『伊達デビュー』である。
出会った人には、こちらから必ず「おはようございます。」
と、挨拶することにした。
千葉に在住していた最後の1、2年は、
月数回、スロージョギングを楽しんでいた。
しかし、朝の挨拶など、心がけなかった。
通勤の慌ただしい足取りの方とすれ違うことはあっても、
散歩やジョギングの方と出会うことは、まれだった。
ましてや出会っても、顔を向けることなどなかった。
ところが、伊達では、毎朝数人の方と、必ず出会った。
そのすべての人と、挨拶を交わした。
その中の1人に、ノルディックウォーキングと言うらしいが、
両手に専用のストックを持ち、一定のリズムで歩く女性がいた。
私より、5つ6つ年上だろうか。
上背があり、その背筋をキリッと伸ばし、
一歩一歩踏みしめる足取りが、健康的で清々しさがあった。
挨拶を交わしながら、すれ違う毎日を繰り返して、
3か月ほどが過ぎた頃だった。
いつも通り、ゆっくりと走る私たちに気づくと、立ち止り、
「ねえ、そんなに毎朝走って、どうするの。」
と、声をかけてきた。
私も家内も、その声掛けに驚き、足を止めた。
「特に……。」と、口ごもる家内に、
「亡くなった主人もよく走ってて、
いろんなマラソン大会に出てたもんだから。」
「そうでしたか。」
「ごめんなさい。止めてしまって。」
「いいえ。」
その日以来、時々立ち止まり、
二言三言と言葉を交わした。
やがて、「お茶でもいかかですか。」と話が進み、
我が家に顔を出してくれるようになった。
彼女は、ご主人を亡くされてから、毎日が寂しいこと、
そして、思いもしなかった別れへの悔やみを口にし、
それをくり返し話した。
そして、「また来ますね。」と席を立った。
伊達で知り合った数少ない知人である。
私にとっても家内にとっても、嬉しい来客だった。
1年程前になるだろうか。
週1回、デイサービスに行き始めたとのことだった。
「体はどこも悪くないの。でも、お父ちゃんが亡くなってからは、
ずっと寂しくて、私は心が傷んでいるの。
だから、デイサービスに行くことにした。」
と言う。
年寄りばかりだけど、
一日みんなでいると、少し元気になるらしい。
伊達の周辺には、様々な高齢者施設がある。
養護老人ホーム、特養老人ホーム、グループホーム、
デイサービスセンター、そしてケアハウス等々。
私にはまだまだ先の先のことと思いながらも、
デイサービスでの一日には、関心があり、
彼女の話には、熱心に耳を傾けた。
彼女が行っている施設は、1階がデイサービスで、
その上層階は、養護老人ホームとケアハウスになっていた。
私がよく行く日帰り温泉への通り道沿いにあった。
噴火湾の大海原に面した、海辺の小高い丘の上に、
リゾートホテルを思わせる6階建てがそれだった。
私は、意気込んで言った。
「あそこはいいでしょう。晴れた日など、
噴火湾の海がどこまでも広がり、キラキラと綺麗で。
あんな景色を毎日見ていられたら、最高ですよね。」
すると、彼女は急に困り顔になり、
「海だけだよ。ナンもないしょ。」
「だから、いいんじゃないですか。」
「やだ、そんなの。寂しいだけ。」
「大都会での暮らしが、私の感性の中心なんだ。」
と、改めて思った。
『マダマダだ。』と、額に手をおいた。
5、勿体ないから
今年度の伊達市政執行方針で、菊谷市長さんは、
『将来に希望のもてる伊達市を創るために』として、
その第1に、「健康産業の創造」を上げている。
その対象は、「食」「住居」「スポーツ」「文化」「医療」だと言う。
私は、『健康』という着眼点の素晴らしさに敬意と共に、
注目をしている。
その一貫なのだろうか。
伊達市は、私が住みはじめた3年前の4月に、
『だて歴史の杜公園』内に、総合体育館を新築した。
素晴らしい施設である。
そして、昨年4月、その体育館の横に、
温水プールとトレーニング室がオープンした。
金づちの私に、温水プールは無縁だが、
新しく生まれ変わったトレーニング室は、大いに活用できそうだった。
オープンしてすぐに、のぞいてみると、
多くの高齢者が、8台のランニングマシンや
10台のコードレスバイクを使い、汗を流していた。
予想以上の盛況だったようで、
『1年で温水プールとトレーニング室の利用者が10万人を越えた』
と、今年4月、新聞の地元記事にあった。
秋の終わりから春まで、好天の日を除いて、
私は、体育館のランニングコースやトレーニング室のランニングマシンを使い、
野外でのジョギング替わりに汗を流した。
多いときで週2回、人の少ない午後3時頃をねらった。
半年前のことになる。
45分間、ランニングマシンで走り、大汗をかいた。
他の機器を使うため、Tシャツを着替えにロッカー室へ行った。
そこで、汗を拭っていた時、
見慣れない同年齢の方が、額に汗を浮かべて戻ってきた。
私を見るなり、
「定期券、持ってるの。」
と、訊いてきた。
伊達に来てからは、こんな急な問いかけにも、大夫慣れた。
「いや、回数券です。」
「そうか。」
しばらく、沈黙があった。
この温水プールとトレーニング室は、
利用料が一緒で、1回300円だった。
しかも、回数券は3000円で11回、
定期券は6000円で3ヶ月何回でも利用できた。
「それで、週どのくらい来るの。」
再び訊いてきた。
「そうですね、週1回か2回です。」
「じゃ、回数券がいいか。俺さ、定期券買ったんだよ。
それでさ、、なんか勿体ないから、毎日来てるんだ。
損しないようにって、時々午前と午後の2回も来る日がある。
もう、疲れちゃって。」
「それは、頑張り過ぎですよ。」
「そうか、体、壊しちゃうな。今度は、回数券にするわ。」
話しながら着替えを済ませ、
「じゃ、また。」とロッカー室を後にした。
「エッ、勿体ない。1日2回も。」
「誰か、止めてやらないと。」、
『カナワナイ』と、額に手をおいた。
6、どうして来るの
2ヶ月程前になるだろうか。新聞の広告欄に、
『井上陽水コンサート「UNITED COVER2」』の記載があった。
それに気づいた家内が、声を張り上げた。
「これ見てみて、ウソみたい。」
と、新聞を指差した。
何をそんなに驚いているんだと、新聞をのぞき込んだ。
自分の目を疑りたかった。
ちょっとした夢の一コマを見ているようだった。
新聞広告は、陽水コンサートのチケット販売の案内だった。
11月、北海道の2会場でコンサートがある。
9日が小樽市民会館だ。
そして、もう1つが、なんと、
わが町の『だてカルチャーセンター大ホール』なのだ。
人口3万6千人の町の、収容1000人余りの会場で、
井上陽水がコンサートをする。
目を疑って、当然である。夢のようなことだ。
1970年代、井上陽水の『氷の世界』が大ヒットした。
毎週日曜日の午前、共働きの我が家では、
育児に追われながらも、1週間分の掃除と洗濯をした。
その時間、いつもFM放送から流れていたのが陽水の歌だった。
私は、すっかりファンになった。
ニューミュージックと言われていた。
エネルギッシュで新時代を思わせる曲調、
そして同世代だったからか、その歌詞に共感した。
この年になっても、いつでも、好きな歌手の一番は井上陽水だった。
初めて陽水のコンサートに行ったのは、
ファンになって10年以上が過ぎてからだった。
大袈裟ではなく、帰り道は、感動で、夢遊病者状態だった。
伊達に行ったら、もう聴く機会がなくなる。
そう思って、移住の数ヶ月前、
タイミングよく千葉公演があり、前から3列目の席を取り、
間近でその歌声に酔った。十分満足した。
なのに、その本物の陽水が伊達に来る。
チケット2枚を手に入れるのに躍起になった。
無事、チケットをゲットした。
それにしても、多少の温度差はあるが、
伊達でも沢山の音楽好きが、このコンサートに驚いた。
ブログを見ると、
「陽水さんが、伊達で公演なんて、信じられない。」
「コンサート当日は、大変な賑わいに。お祭り騒ぎだ。」
の書き込みが踊っていた。
そして、
「それにしても、何故、陽水は
この町でコンサートをするの。不思議だ。」
との記載までもが。
私も、同じ疑問を、くり返し家内に言い続けていた。
つい先日、ひざの治療から戻った家内が、接骨院の先生も、
「どうして陽水は、伊達に来ることになったんだろうね。
信じたいけど、まだ信じられないなあ。」
だって。
私だけではなく、きっと伊達の陽水ファンはみんな、
同じように、半信半疑の心境で、11月11日を迎えるのだと思う。
そうか、私もちょっとだけ、この土地の人になったかも。
『ソレデイイ。』と、額に手をおいた。

ナナカマドの実が真っ赤 綺麗