▼ コロナウイルスの変異によって、
10代以下の年齢にも感染が広がっているようだ。
各地の学校では、夏休み期間の延長や分散登校など、
対策が工夫されている。
伊達市内の学校は、
8月下旬から平常通り2学期が始った。
毎朝、我が家の前を数人の小学生が登校していく。
当地も緊急事態宣言下である。
しかし、同じ北海道内でも人口3万程度の小さな町だ。
感染者は、多い時でも1か月に数人だ。
でも、きっと小学校は通常の感染対策をとって、
2学期を迎えただろう。
そう思っていた矢先だ。
近所の子らが通う小学校が、
31日から当面の間、休校になった。
新聞や市ホームページによると、
3名の子どもと教職員が、感染したことが判明した。
なので、関係者のPCR検査の結果がでるまで休校するとのこと。
小さな町である。
口コミ情報は、一気に広まる。
私の耳には、こんな声が届いた。
「最初、子どもが1人感染していることが分かったの。
でも、家庭内で他に感染者はいないの。
それで、学校関係を調べたら、先生と子ども1人がコロナに・・。
どうやら、先生が札幌の結婚式で感染してきたらしいのよ。」
事実かどうか、確かなことはわからない。
しかし、コロナが足もとまで来ていることは、事実である。
だからと言って「PCR検査の結果がでるまで休校」とは・・・。
私の理解の範疇を超えている。
昨年3月、当時の安倍総理大臣が、
『全国の学校を一斉に休校』にしたことを思い出す。
当時は、今以上にコロナの正体が分からなかった。
だから、あのような乱暴な大なたを振るった。
釈然としないままだが、私も多少は理解できた。
しかし、子どもへの甚大なマイナス影響があった。
もう2度と、あのような施策は遠慮してもらいたい。
それが、コンセンサスになっていたのではなかろうか。
だから、多少のリスクはあっても、学校を開く。
そして、できるだけ安心して学校生活が送れるよう先生方は努力する。
それが、今の学校に課せられた務めだと思っていた。
さて、「PCR検査の結果がでるまでの休校」についてだ。
きっと校長は、保健所や教育委員会の指導・助言を受けて、
決断したのだと思う。
難しい判断だとは思う。
多くの児童に感染させないための苦渋の措置と想像する。
しかし、3人のコロナ感染者のために、
全校を閉じる。
そのことに、多くの子どもと保護者は、
「もしかしたら感染しているのでは・・」と、
大きな不安を抱いたのではないだろうか。
そして、「ただじっと家にいればいいの?」とも・・。
学校は、どんな休校の通知を保護者に届けたのだろう。
学校のホームページにも教委のそれにも、その掲示はない。
だから、私などの一市民が知る手段はない。
もし私が校長なら、今回の休校措置の通知を、
どんな文言にするだろうか。
まさか、「PCR検査の結果がでるまで休校にします」。
それだけでは、済ませないはずだが・・。
▼ 校長職だった時だ。
「迷走台風がどうやら首都圏を直撃するらしい!」。
そんな予報が数日前から出ていた。
前日には、早朝5時頃から10時頃までが、
暴風雨のピークになるようだと報道された。
ちょうど登校時間と重なった。
教委からは、「登校の安全を最優先に措置するように」と、
ファックスで通知が届いた。
当時、私の勤務する区では、
区立学校に対する登校時間の一斉変更措置の施策はなかった。
従って、各校の校長が個々に、
その判断をすることになっていた。
私は、前日から学校に宿泊することにした。
副校長が女性だったこともあり、
1人校長室のソファーで、一夜を過ごした。
夜が明けるにつれ、雨風が強くなった。
予報通りだった。
登校時間を変更する場合の連絡は、
学級ごとの緊急電話連絡網を使うことになっていた。
遅くとも6時までに判断し、
電話連絡を始めなければ手遅れになる。
子ども達が登校する8時前後の様子が、
なかなか予想できなかった。
共働きの家庭も少なくない地域だった。
突然の登校時間の変更があっても、
嵐の最中を子どもだけを置いて仕事に行くことになる保護者もいるだろう。
親も子も、大きな不安を抱えることになる。
それでも、暴風雨の中を登校させることの危険性を回避しなければ・・・。
慎重な判断が求められた。
私は迷った。
時間だけが迫った。
「登校時間を10時30分に変更します」。
受話器を持ち電話連絡を始めた時、
まだ学校には私だけだった。
危機へのマネージメントは時に、孤独な場合がある。
田園は もう秋の気配
10代以下の年齢にも感染が広がっているようだ。
各地の学校では、夏休み期間の延長や分散登校など、
対策が工夫されている。
伊達市内の学校は、
8月下旬から平常通り2学期が始った。
毎朝、我が家の前を数人の小学生が登校していく。
当地も緊急事態宣言下である。
しかし、同じ北海道内でも人口3万程度の小さな町だ。
感染者は、多い時でも1か月に数人だ。
でも、きっと小学校は通常の感染対策をとって、
2学期を迎えただろう。
そう思っていた矢先だ。
近所の子らが通う小学校が、
31日から当面の間、休校になった。
新聞や市ホームページによると、
3名の子どもと教職員が、感染したことが判明した。
なので、関係者のPCR検査の結果がでるまで休校するとのこと。
小さな町である。
口コミ情報は、一気に広まる。
私の耳には、こんな声が届いた。
「最初、子どもが1人感染していることが分かったの。
でも、家庭内で他に感染者はいないの。
それで、学校関係を調べたら、先生と子ども1人がコロナに・・。
どうやら、先生が札幌の結婚式で感染してきたらしいのよ。」
事実かどうか、確かなことはわからない。
しかし、コロナが足もとまで来ていることは、事実である。
だからと言って「PCR検査の結果がでるまで休校」とは・・・。
私の理解の範疇を超えている。
昨年3月、当時の安倍総理大臣が、
『全国の学校を一斉に休校』にしたことを思い出す。
当時は、今以上にコロナの正体が分からなかった。
だから、あのような乱暴な大なたを振るった。
釈然としないままだが、私も多少は理解できた。
しかし、子どもへの甚大なマイナス影響があった。
もう2度と、あのような施策は遠慮してもらいたい。
それが、コンセンサスになっていたのではなかろうか。
だから、多少のリスクはあっても、学校を開く。
そして、できるだけ安心して学校生活が送れるよう先生方は努力する。
それが、今の学校に課せられた務めだと思っていた。
さて、「PCR検査の結果がでるまでの休校」についてだ。
きっと校長は、保健所や教育委員会の指導・助言を受けて、
決断したのだと思う。
難しい判断だとは思う。
多くの児童に感染させないための苦渋の措置と想像する。
しかし、3人のコロナ感染者のために、
全校を閉じる。
そのことに、多くの子どもと保護者は、
「もしかしたら感染しているのでは・・」と、
大きな不安を抱いたのではないだろうか。
そして、「ただじっと家にいればいいの?」とも・・。
学校は、どんな休校の通知を保護者に届けたのだろう。
学校のホームページにも教委のそれにも、その掲示はない。
だから、私などの一市民が知る手段はない。
もし私が校長なら、今回の休校措置の通知を、
どんな文言にするだろうか。
まさか、「PCR検査の結果がでるまで休校にします」。
それだけでは、済ませないはずだが・・。
▼ 校長職だった時だ。
「迷走台風がどうやら首都圏を直撃するらしい!」。
そんな予報が数日前から出ていた。
前日には、早朝5時頃から10時頃までが、
暴風雨のピークになるようだと報道された。
ちょうど登校時間と重なった。
教委からは、「登校の安全を最優先に措置するように」と、
ファックスで通知が届いた。
当時、私の勤務する区では、
区立学校に対する登校時間の一斉変更措置の施策はなかった。
従って、各校の校長が個々に、
その判断をすることになっていた。
私は、前日から学校に宿泊することにした。
副校長が女性だったこともあり、
1人校長室のソファーで、一夜を過ごした。
夜が明けるにつれ、雨風が強くなった。
予報通りだった。
登校時間を変更する場合の連絡は、
学級ごとの緊急電話連絡網を使うことになっていた。
遅くとも6時までに判断し、
電話連絡を始めなければ手遅れになる。
子ども達が登校する8時前後の様子が、
なかなか予想できなかった。
共働きの家庭も少なくない地域だった。
突然の登校時間の変更があっても、
嵐の最中を子どもだけを置いて仕事に行くことになる保護者もいるだろう。
親も子も、大きな不安を抱えることになる。
それでも、暴風雨の中を登校させることの危険性を回避しなければ・・・。
慎重な判断が求められた。
私は迷った。
時間だけが迫った。
「登校時間を10時30分に変更します」。
受話器を持ち電話連絡を始めた時、
まだ学校には私だけだった。
危機へのマネージメントは時に、孤独な場合がある。
田園は もう秋の気配