ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

新聞のコラム欄から

2024-11-02 11:03:29 | 思い
 新聞の購読者が少なくなっていると言われて久しい。
今は、情報の入手はスマホで十分である。
 なのに、朝日新聞、北海道新聞、室蘭民報の3紙が、
毎朝、郵便受けに届く。
 スマホの情報を信用していない訳ではない。

 私は、朝日新聞の『天声人語』と『折々のことば』のコラムを、
毎日楽しみにしている。
 家内は、もっぱら北海道新聞の愛読者である。
そして、室蘭民報は土曜日の文化欄に、
私が所属している『楽書きの会』同人のエッセイが掲載される。

 3紙の購読にはそれぞれの動機があるが、
時々、どれか1紙を止めようと話題になるが、
いつも2人の合意ができず、保留になる。
 無駄遣いをしているようで、どうも始末が悪い。

 さて、私が楽しみにしているコラム欄だが、
この半年の間で、強く心に残った記事を紹介する。


  ◎8月3日『天声人語』

  パリ五輪の3日目、柔道女子
 52㌔級の1回戦。開始から45秒
 後、モザンピークの選手を相手
 にきれいな投げ技が決まった。
 その瞬間、マリアム・マハラニ
 選手(24)は拳を握り、泣きそう
 な顔で喜びをかみしめた。インドネシア
 代表の柔道選手が五輪で勝利したのは、
 初めてだった▼ラニの愛称で呼ばれるマ
 ハラニ選手を支えてきたのは、実は日本
 人の指導者たちだ。その一人、安斎俊哉
 さん(64)は10年前、ジャカルタの柔道場
 で「速さと根性」が際立つラニに、ピン
 ときた。鍛えれば、いけるかもしれない
 ▼安斎さんは1988年、国際協力機構
 (JICA)が初めてインドネシアへ派
 遣した青年海外協力隊の一員だ。以来、
 立場が変わっても同国で柔道指導を続け
 ている。これまで7人の代表を五輪へ送
 り込んだが、一度も勝てなかった▼「五
 輪で1勝」は、インドネシア柔道連盟に
 とっても悲願だった。ラニの可能性に賭
 け、安斎さんらの協力で何度も日本の大
 学などへ「出稽古」に送り込んだ。この
 2年は五輪出場に必要なポイントを得る
 ため、国際大会にも派遣。大陸枠に滑り
 込んだ▼ラニは2回戦で、準優勝したコ
 ソボの選手に一本負けした。「すごく速
 くて防御できなかった」。次の五輪を目
 指し、稽古のために翌日の便で帰国した
 ▼パリにいるのは、メダル獲得の大きな
 期待を背負う「スポーツ大国」の選手ば
 かりではない。大舞台で控えめな目標
 に挑む選手らを、国籍が異なる指導者
 が地道に支えていることもあるのだ。

 * インドネシアのラニ選手に限らず、
各国五輪選手の一人一人に、
きっとかけ替えのないドラマがある気がする。
 テレビ映像とは異なり、
このような文面を読むと、心への刻まれ方が違う。
 特に、国籍が異なる地道な指導者・安斎俊哉さんの、
インパクトが凄い!
  

  ◎6月11日『折々のことば』  
 
 僕がもたもたしていると、パッとやって
 くれるでしょう。あれは、やめてもらえ
 ないかな。
                堀田力 
  脳梗塞で倒れ、視力や記憶の一部を
 失った元検事の福祉事業家は、機能回
 復に取り組む中、至れり尽くせりの世
 話をしてくれる妻に一つだけ、注文す
 る。相手が起きようとした時、すかさ
 ず手を添えるのが看護、起ききれず後
 ろに倒れる寸前に手で支えるのか介護
 だと聞いたことがある。婦人公論」4
 月号での妻・明子さんとの対談から。

 * 私の地域にグループホームがある。
自治会長として、そこの運営推進会議に隔月で出席している。
 利用者さんの様子の報告があり、
それを受けて職員への要望や助言などをするのが主な目的である。
 私は、地域とのパイプ役としての参加であり、
介護については全く門外漢である。
 だか、この一文で介護の難しさを知った。
ご苦労に頭が上がらない。


  ◎9月 1日『折々のことば』

 がんがどの段階で発見されるかも運なら
 ば、ベストフィットの専門家にかかるこ
 とができるかどうかも運かもしれません
                仲野徹
  自分のたちを知る人であれば、微か
 な異変にも気づいてもらえそう。診察
 室でも、仕事や家族のことを楽しそう
 に聞いてくれる医師がいい。昔、私が
 早期発見で命拾いしたのも、あんな医
 者嫌いがこの程度のことでわしとこに
 来るのはおかしいと、老医師が訝しん
 だから。ついてたのか。医学者の『こ
 わいもの知らずの病理学講座』から。

  * どんな時にどんな医師に出会うかは運だと言う。
筆者も経験から「ついていたのか」とまで。
 私も、同様の経験をしている。
幸運に恵まれた。
 特に2人の名医との出会いが、今の健康に繋がっている。
詳しくは、本ブログ・16年4月29日『医療 悲喜こもごも』に記した。


  ◎9月14日『折々のことば』

 なんだかうまくいったなとおもうことは、
 全部、つらい思いをしたあとだった
               小田和正
  だから「つらいことは信用できる」
 とシンガー・ソングライターは言う。
 でも無理はしていない。無理しないと
 いうのは楽をすることではない。これ
 までずっと自分に負荷をかけてきた。
 70歳を迎える今もステージではキーを
 下げずに歌い、走る。そのつど駆け抜
 け、後で繕ったりしない。「楽したもの
 は信用できない」からと。2017年
 の発言。『時はまってくれない』から。

  * あの素敵な高音の歌声を生で聴いてみたかった。
実現していない。
 おそらく叶わないと思う。
でも、彼の心情に触れ、
ますますコンサートへ行きたくなった。
 「辛い思いの先に,成功体験がある!」
彼のCDを聴くたびに、これからの私の励みになると思う。




      ジューンベリーの秋色
                 ※次回のブログ更新予定は、11月23日(土)です。

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