新聞の購読者が少なくなっていると言われて久しい。
今は、情報の入手はスマホで十分である。
なのに、朝日新聞、北海道新聞、室蘭民報の3紙が、
毎朝、郵便受けに届く。
スマホの情報を信用していない訳ではない。
私は、朝日新聞の『天声人語』と『折々のことば』のコラムを、
毎日楽しみにしている。
家内は、もっぱら北海道新聞の愛読者である。
そして、室蘭民報は土曜日の文化欄に、
私が所属している『楽書きの会』同人のエッセイが掲載される。
3紙の購読にはそれぞれの動機があるが、
時々、どれか1紙を止めようと話題になるが、
いつも2人の合意ができず、保留になる。
無駄遣いをしているようで、どうも始末が悪い。
さて、私が楽しみにしているコラム欄だが、
この半年の間で、強く心に残った記事を紹介する。
◎8月3日『天声人語』
パリ五輪の3日目、柔道女子
52㌔級の1回戦。開始から45秒
後、モザンピークの選手を相手
にきれいな投げ技が決まった。
その瞬間、マリアム・マハラニ
選手(24)は拳を握り、泣きそう
な顔で喜びをかみしめた。インドネシア
代表の柔道選手が五輪で勝利したのは、
初めてだった▼ラニの愛称で呼ばれるマ
ハラニ選手を支えてきたのは、実は日本
人の指導者たちだ。その一人、安斎俊哉
さん(64)は10年前、ジャカルタの柔道場
で「速さと根性」が際立つラニに、ピン
ときた。鍛えれば、いけるかもしれない
▼安斎さんは1988年、国際協力機構
(JICA)が初めてインドネシアへ派
遣した青年海外協力隊の一員だ。以来、
立場が変わっても同国で柔道指導を続け
ている。これまで7人の代表を五輪へ送
り込んだが、一度も勝てなかった▼「五
輪で1勝」は、インドネシア柔道連盟に
とっても悲願だった。ラニの可能性に賭
け、安斎さんらの協力で何度も日本の大
学などへ「出稽古」に送り込んだ。この
2年は五輪出場に必要なポイントを得る
ため、国際大会にも派遣。大陸枠に滑り
込んだ▼ラニは2回戦で、準優勝したコ
ソボの選手に一本負けした。「すごく速
くて防御できなかった」。次の五輪を目
指し、稽古のために翌日の便で帰国した
▼パリにいるのは、メダル獲得の大きな
期待を背負う「スポーツ大国」の選手ば
かりではない。大舞台で控えめな目標
に挑む選手らを、国籍が異なる指導者
が地道に支えていることもあるのだ。
* インドネシアのラニ選手に限らず、
各国五輪選手の一人一人に、
きっとかけ替えのないドラマがある気がする。
テレビ映像とは異なり、
このような文面を読むと、心への刻まれ方が違う。
特に、国籍が異なる地道な指導者・安斎俊哉さんの、
インパクトが凄い!
◎6月11日『折々のことば』
僕がもたもたしていると、パッとやって
くれるでしょう。あれは、やめてもらえ
ないかな。
堀田力
脳梗塞で倒れ、視力や記憶の一部を
失った元検事の福祉事業家は、機能回
復に取り組む中、至れり尽くせりの世
話をしてくれる妻に一つだけ、注文す
る。相手が起きようとした時、すかさ
ず手を添えるのが看護、起ききれず後
ろに倒れる寸前に手で支えるのか介護
だと聞いたことがある。婦人公論」4
月号での妻・明子さんとの対談から。
* 私の地域にグループホームがある。
自治会長として、そこの運営推進会議に隔月で出席している。
利用者さんの様子の報告があり、
それを受けて職員への要望や助言などをするのが主な目的である。
私は、地域とのパイプ役としての参加であり、
介護については全く門外漢である。
だか、この一文で介護の難しさを知った。
ご苦労に頭が上がらない。
◎9月 1日『折々のことば』
がんがどの段階で発見されるかも運なら
ば、ベストフィットの専門家にかかるこ
とができるかどうかも運かもしれません
仲野徹
自分のたちを知る人であれば、微か
な異変にも気づいてもらえそう。診察
室でも、仕事や家族のことを楽しそう
に聞いてくれる医師がいい。昔、私が
早期発見で命拾いしたのも、あんな医
者嫌いがこの程度のことでわしとこに
来るのはおかしいと、老医師が訝しん
だから。ついてたのか。医学者の『こ
わいもの知らずの病理学講座』から。
* どんな時にどんな医師に出会うかは運だと言う。
筆者も経験から「ついていたのか」とまで。
私も、同様の経験をしている。
幸運に恵まれた。
特に2人の名医との出会いが、今の健康に繋がっている。
詳しくは、本ブログ・16年4月29日『医療 悲喜こもごも』に記した。
◎9月14日『折々のことば』
なんだかうまくいったなとおもうことは、
全部、つらい思いをしたあとだった
小田和正
だから「つらいことは信用できる」
とシンガー・ソングライターは言う。
でも無理はしていない。無理しないと
いうのは楽をすることではない。これ
までずっと自分に負荷をかけてきた。
70歳を迎える今もステージではキーを
下げずに歌い、走る。そのつど駆け抜
け、後で繕ったりしない。「楽したもの
は信用できない」からと。2017年
の発言。『時はまってくれない』から。
* あの素敵な高音の歌声を生で聴いてみたかった。
実現していない。
おそらく叶わないと思う。
でも、彼の心情に触れ、
ますますコンサートへ行きたくなった。
「辛い思いの先に,成功体験がある!」
彼のCDを聴くたびに、これからの私の励みになると思う。
ジューンベリーの秋色
※次回のブログ更新予定は、11月23日(土)です。
今は、情報の入手はスマホで十分である。
なのに、朝日新聞、北海道新聞、室蘭民報の3紙が、
毎朝、郵便受けに届く。
スマホの情報を信用していない訳ではない。
私は、朝日新聞の『天声人語』と『折々のことば』のコラムを、
毎日楽しみにしている。
家内は、もっぱら北海道新聞の愛読者である。
そして、室蘭民報は土曜日の文化欄に、
私が所属している『楽書きの会』同人のエッセイが掲載される。
3紙の購読にはそれぞれの動機があるが、
時々、どれか1紙を止めようと話題になるが、
いつも2人の合意ができず、保留になる。
無駄遣いをしているようで、どうも始末が悪い。
さて、私が楽しみにしているコラム欄だが、
この半年の間で、強く心に残った記事を紹介する。
◎8月3日『天声人語』
パリ五輪の3日目、柔道女子
52㌔級の1回戦。開始から45秒
後、モザンピークの選手を相手
にきれいな投げ技が決まった。
その瞬間、マリアム・マハラニ
選手(24)は拳を握り、泣きそう
な顔で喜びをかみしめた。インドネシア
代表の柔道選手が五輪で勝利したのは、
初めてだった▼ラニの愛称で呼ばれるマ
ハラニ選手を支えてきたのは、実は日本
人の指導者たちだ。その一人、安斎俊哉
さん(64)は10年前、ジャカルタの柔道場
で「速さと根性」が際立つラニに、ピン
ときた。鍛えれば、いけるかもしれない
▼安斎さんは1988年、国際協力機構
(JICA)が初めてインドネシアへ派
遣した青年海外協力隊の一員だ。以来、
立場が変わっても同国で柔道指導を続け
ている。これまで7人の代表を五輪へ送
り込んだが、一度も勝てなかった▼「五
輪で1勝」は、インドネシア柔道連盟に
とっても悲願だった。ラニの可能性に賭
け、安斎さんらの協力で何度も日本の大
学などへ「出稽古」に送り込んだ。この
2年は五輪出場に必要なポイントを得る
ため、国際大会にも派遣。大陸枠に滑り
込んだ▼ラニは2回戦で、準優勝したコ
ソボの選手に一本負けした。「すごく速
くて防御できなかった」。次の五輪を目
指し、稽古のために翌日の便で帰国した
▼パリにいるのは、メダル獲得の大きな
期待を背負う「スポーツ大国」の選手ば
かりではない。大舞台で控えめな目標
に挑む選手らを、国籍が異なる指導者
が地道に支えていることもあるのだ。
* インドネシアのラニ選手に限らず、
各国五輪選手の一人一人に、
きっとかけ替えのないドラマがある気がする。
テレビ映像とは異なり、
このような文面を読むと、心への刻まれ方が違う。
特に、国籍が異なる地道な指導者・安斎俊哉さんの、
インパクトが凄い!
◎6月11日『折々のことば』
僕がもたもたしていると、パッとやって
くれるでしょう。あれは、やめてもらえ
ないかな。
堀田力
脳梗塞で倒れ、視力や記憶の一部を
失った元検事の福祉事業家は、機能回
復に取り組む中、至れり尽くせりの世
話をしてくれる妻に一つだけ、注文す
る。相手が起きようとした時、すかさ
ず手を添えるのが看護、起ききれず後
ろに倒れる寸前に手で支えるのか介護
だと聞いたことがある。婦人公論」4
月号での妻・明子さんとの対談から。
* 私の地域にグループホームがある。
自治会長として、そこの運営推進会議に隔月で出席している。
利用者さんの様子の報告があり、
それを受けて職員への要望や助言などをするのが主な目的である。
私は、地域とのパイプ役としての参加であり、
介護については全く門外漢である。
だか、この一文で介護の難しさを知った。
ご苦労に頭が上がらない。
◎9月 1日『折々のことば』
がんがどの段階で発見されるかも運なら
ば、ベストフィットの専門家にかかるこ
とができるかどうかも運かもしれません
仲野徹
自分のたちを知る人であれば、微か
な異変にも気づいてもらえそう。診察
室でも、仕事や家族のことを楽しそう
に聞いてくれる医師がいい。昔、私が
早期発見で命拾いしたのも、あんな医
者嫌いがこの程度のことでわしとこに
来るのはおかしいと、老医師が訝しん
だから。ついてたのか。医学者の『こ
わいもの知らずの病理学講座』から。
* どんな時にどんな医師に出会うかは運だと言う。
筆者も経験から「ついていたのか」とまで。
私も、同様の経験をしている。
幸運に恵まれた。
特に2人の名医との出会いが、今の健康に繋がっている。
詳しくは、本ブログ・16年4月29日『医療 悲喜こもごも』に記した。
◎9月14日『折々のことば』
なんだかうまくいったなとおもうことは、
全部、つらい思いをしたあとだった
小田和正
だから「つらいことは信用できる」
とシンガー・ソングライターは言う。
でも無理はしていない。無理しないと
いうのは楽をすることではない。これ
までずっと自分に負荷をかけてきた。
70歳を迎える今もステージではキーを
下げずに歌い、走る。そのつど駆け抜
け、後で繕ったりしない。「楽したもの
は信用できない」からと。2017年
の発言。『時はまってくれない』から。
* あの素敵な高音の歌声を生で聴いてみたかった。
実現していない。
おそらく叶わないと思う。
でも、彼の心情に触れ、
ますますコンサートへ行きたくなった。
「辛い思いの先に,成功体験がある!」
彼のCDを聴くたびに、これからの私の励みになると思う。
ジューンベリーの秋色
※次回のブログ更新予定は、11月23日(土)です。
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