この2日間、ファミコンの「アイスクライマー」をよくやっていました
32面オールクリアーしたんですが、その間に何度もコンテニューを繰り返しとてもとても「上手い」とは言い難いボロボロの結果に終わりました
全面クリア出来た事自体は良かったんですが・・・
一度もコンテニューをせずに行ける範囲は精々10面前後でつまらない凡ミス等ですぐにゲームオーバーしてしまいます
恐らく、散々挑戦して砕けて思ったんですが「そこまで集中力が続かない」事が主な敗因な気はしました
どこかで慣性的になってしまうというか、「大丈夫だろ。」って根拠のない余裕で足元を掬われる、、、っていう
それ「いつもの俺じゃん。」って感じですが・・・笑
実は幼少の頃から「アイスクライマー」大好きで、
アラサーの今になるまでコンスタントに引っ張り出してはやり続けていて、
その度に「難しいなあ・・・。」と首を捻る行為を繰り返しています
いつか、ノーコンテニューで全面クリアするのが夢の一つ(笑)なんですけど、
正直センスに乏しいのは否めないんで、無理かも・・・とも思ってます
だけど、それでもやり続ける事にロマンがあって(関係ないけどロマンとかロマンスとかそういう言葉大好きです)、
正にそこに山があるから、、、って感じでこの先もずっと挑戦し続けていくのだと思います
そう考えると、ある意味人生のようなゲームですよね!(ドヤ顔)
今回、この記事を書いたのは
「アイスクライマー」に触れたかったのもありますが
それ以上に、「こんなに大好きなのに、全然言及出来てねえなあ。」ってプレイしてる最中感じたからなんですよ
正直な話、ブログに割ける時間には限度があるので、日々の生活の中で「めっちゃイイ!」とか「度々思い出して良い気分に浸ってます。」的な作品を
全部ことこまかに記事にしてアウトプット出来る訳じゃないんですよね
インプットはいくらでも出来るけど、アウトプット出来る量には限度があって
だから、必然的に「昔から大好きだった。」とか「今ハマってます」的なものでも言及出来てなかったりする
それに対して悔しいなあ、もっと時間があればなあ。ってよく思うんですけど、同時にあげていったらキリがないのもまた事実
でも、たまにはこんな風にルーツ的に語ってもいいなあ。。って強く感じているのもまたリアルな感情です
そういえば、仕事中に「カエルの為に鐘は鳴る」のエンディングを思い出しては泣きそうになる事だったり
ナンテンドーのイベントを思い出してはクスッとなる事も全然いつも言及出来てる訳ではありませんね
まあ、いつも言及出来なくてもいつも言及している作品と同じくらい愛してるのは不変なんで
それはそれでいいんですが(いいのかよ)、
それを認めつつ、
折角ブログをやってるんで時に時間を割いて敢えて言及していくのもイイんじゃないかな。と思いました
「好きなもの」がいっぱいいっぱいあるんで部屋がギチギチで堪らなかったりもするんですけど笑
それもまた俺らしさかな。と割り切りつつ
どうしても書きたかったので書いた記事でした。
そんな「カエル~」の考察記事も昔書いてるので是非・・・笑
いつも「カエルの為に鐘は鳴る」のEDで泣いてしまうPART2(リチャードの心情考察付き)