徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

泰勝寺の池

2021-06-09 21:03:57 | 文芸
 細川家の菩提寺であった泰勝寺跡(立田自然公園)の見どころの一つが池だと思う。現在、コロナ感染拡大防止のため閉館しているので見ることができないが、泰勝寺跡に行った時は必ず、しばらく池を眺めて過ごすことにしている。
 夏目漱石の「草枕」の中に画工と那美さんとのこんなやりとりがある。

「あなたはどこへいらしったんです。和尚が聞いていましたぜ、また一人散歩かって」
「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々投げるかも知れません」
 余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧りみてにこりと笑った。茫然たる事多時。

 このやりとりの後、鏡が池の描写のくだりになるのだが、2016~2017年に開催された夏目漱石記念年事業の一環として出版された「漱石の記憶」(熊日出版)の中に、中村青史先生(元熊大教授)の「草枕 鏡が池のモデル」という小論が掲載されている。中村先生によれば「吾輩は猫である」の舞台となっている立田山麓の、寺田寅彦の下宿先や泰勝寺や五高などの描写から、漱石が泰勝寺の池を見ていたことは間違いなく、「吾輩は猫である」の「鵜の沼」や「草枕」の「鏡が池」のイメージは泰勝寺の池がモデルになったのではないかという説を唱えておられる。実際に現地で「鏡が池」の描写を思い浮かべながら池の周囲を見て回って確信されたようだ。一般的に「鏡が池」のモデルは小天の庭池とされているが、そこがあまりにも小説のイメージと異なることに疑念を抱いておられたようだ。


泰勝寺の池(西側から)


泰勝寺の池(北側から)


池の向こうに茶室仰松軒


山本丘人「草枕絵巻」より「水の上のオフェリア(美しき屍)」