ひとつのねがいと三つのやくそく/子どもに聞かせる日本の民話/大川 悦生・著/実業乃日本社/1998年初版
三本の金の毛のある悪魔/グリム童話集 上/佐々木田鶴子・訳 出久根 育・絵/岩波少年文庫/2007年初版
子どもに聞かせる日本の民話とありますが、外国の翻案でしょうか?
ひとり者の貧乏な若者が、ある晩、ひとりの坊さんをとめてあげますが、「本当のしあわせがつかみたければ、西へ西へ歩いて、陸地がなくなったら、島づたいにいけるところまでいけば、不思議な老人に会うだろう。老人はどんな質問にもこたえてくれるはず」と言い残していなくなります。
住み慣れた村をでて旅する若者がある村につくと、村では水がなくて、毎年稲が穂をだすころになるとひでりが続き、お米がとれず悩んでいるという話をきいて、不思議な、おじいさんにあったらどうしたらいいか聞いてくることを約束し旅を続けます。
つぎに、早く死んだ子どもの形見にうえたみかんの木が一度も花が咲かず、実もならないという相談をうけます。
さらに、別の村では、三人娘の末娘がどうしたわけか、物をしゃべらないので心配しているということを聞きます。
やがて、若者は不思議なおじいさんにあいますが、「自分の聞きたいことを、わしに聞いたら、他人からたのまれたことを聞いてはならない。他人からたのまれたことを聞いたら、そのあとで、自分の聞きたいことを聞いてはならない」と念をおされます。
どうしたらしあわせになれるか知りたくて、旅を続けてきた若者は、旅の途中で三つの場所で約束してきたこととの間で、迷い考え込む。
しかし、若者は「水にめぐまれずにこまっている村の人たちと、みかんの木に、みかんがならないでかなしんでいるお年寄りの夫婦と、物をいわない末娘があって心配している家の主人に約束しました。不思議なおじいさんにあったら、きっと聞いてきてあげましょうと」と話し、自分のしあわせより、三つの約束を優先します。
もとの道をかえって、物をいわない末娘がいた家の近くまでくると、末娘が「おかえりなさいまし」とむかえてくれます。若者が「仙人のようなおじいさんは、その末娘は、花婿になる若者とめぐりあったとき、ふつうに話をするようになると、こたえてくれた」というと、家の人たちはよろこんで、さっそく結婚式をあげます。
みかんがならない木のねもとを、鍬で掘ると金と銀のつぶが入ったかめがでてきて、みかんの木に白い花がさきだし、小さな青い実がついて、どんどん大きくなります。
水不足でこまっていた村では、屏風岩という大きな岩を村の人々が総がかりで動かすと、そのすきまから水が音をたててあふれだします。
若者夫婦は、かめにのこっていた金と銀を全部つかって、村中の田へ水をひく用水路をつくり、その村にすんで、人々と働いてくらします。
若者が旅をし、いい伴侶にめぐまれ、金・銀まで手に入れるという昔話らしいところがすべて盛り込まれています。手に入れた金・銀を自分たちだけで使うのではなく、みんなのために用水路をつくるというあたりが、さわやかなところ。
どちらかを選べと問われて、自分のことより他の人との約束を考えた若者。
現実にであったら、どちらを選ぶことになるか考えさせられます。
グリムの「三本の金の毛のある悪魔」では、同じように若者が三つの質問の答えを悪魔に聞くところがある。ワインがあふれていた泉がどうしてかれたのか、リンゴの木に金のリンゴがつけなくなったのはどうしてか、船頭がいつも船をこいで人をわたしているのにだれもかわりにやってくれる者がいないのはなぜかというのが三つの質問。
ただこの部分は、お話の後半で、前半部分もかなり長い。