どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ぼくの学校ぼくひとり

2016年03月06日 | 創作(日本)
ぼくの学校 ぼくひとり  

    ぼくの学校 ぼくひとり/作:宮川 ひろ 絵:長野 ヒデ子/ポプラ社/1999年初版

 

 シゲキ君の家族以外はみんな60歳以上のさくら谷村。
 人口は31人と、いまは日本の各地にみられる限界集落。
 しかし、さくら谷村には新しい風がふいてきます。

 きっかけは、ひろい仕事場ときがねなくモーターをまわせる環境をもとめて、東京からこの村にやってきた木工職人の夫婦でした。
 シゲキ君はこの村でうまれました。

 父さんたちは、庭にテーブルといすをおき村の人がいつでも一休みできるようにしてあります。
 昭平じいさん、ふくばあちゃん、源平じいさんと個性的な人がやってきます。
 シゲキ君の家には、ビワの木とハタンキョウの木があり、納屋だったところはお父さんの仕事場。畑があって、にわとり小屋もあります。
 ハタンキョウの木には、ブランコがあって、シゲキ君が小さいころは、ふくばあちゃんちのハンモックがつりさげられていました。
 昔は、村のこどもがお世話になったというハタンキョウの木。しかし村に子どもがいなくなると、木も花を咲かせなくなったハタンキョウでしたが、シゲキくんが生まれて十三年ぶりに花が咲いて、シゲキが咲かせた花というので、シゲキは花咲か坊と呼ばれようになりました。

 やがてシゲキ君は一年生になるのですが、校舎はもう十年以上も戸を閉めたまま。近くの学校までは峠をこえて二十八キロもあります。
 村のみんなで、村役場にさくら谷小学校をひらいてくださいとお願いにいくのですが、学校をひらくとなると大分銭がかかるという話を聞いたシゲキ君が、貯金箱をもってきて、ぼくのお金もつかっていいからとさしだします。
 さくら谷小学校は十二年ぶりに開校されることを聞いた源平じいさんは、もう手にはいらなくなったハタンキョウのかわりに、柿の苗を植えます。

 ほこりだらけの校舎をみんなで掃除。先生は二人。ご夫婦です。お父さんが作ったとり小屋には、おんどりが一羽、めんどりが十羽。先生が見ている前で、たまごがぽろんと生まれます。やがて入学式。たった一人の学校です。

 源平じいちゃんから教えてもらったスズメノテッポウのふえで先生と一緒にピーピー音をだしたり、週一回のかしわ小学校との合同学習で、ふくばあちゃんがもってきてくれたアサガオの種で、種は生きているかの学習をしたりと、村の人とのかかわりもうまくとりこんでいるさくら谷小学校です。

 一人の学校で運動会?
 でも心配ありません。5月の連休に、普段は三十一人の暮らしに、百人以上の人が帰ってきて、大盛況。十四年まえの卒業生、十五年まえ、六十七年まえ,七十年まえ、八十三年前の卒業生が紹介されます。
 たった一人の学校ですが、誰もが楽しめる運動会になりました。  

 心がぽっぽっする話がいっぱいあります。

 ふくばあちゃんが急に倒れこんで入院した病院で、隣にもおばあちゃんがいたのですが、孫が三人。このお孫さんのお父さんは画家で、もしかするとさくら谷に引っ越ししてきそうな予感があります。そうなったらさくら谷にはもっと希望が生まれそうです。

 素敵なイラストがあり、おまけのページがあり、左の下にはパラパラ漫画があったりとたっぷり楽しめます。
 おまけのページの漫画、お世辞にもうまいとはいえませんが、親近感がわきます。

 児童書というので、大人の方には目にふれる機会が少ないかもしれませんが、地方創生にとって、今何が必要かも示唆しています。
 何よりも子どもを大事にするという視点が必要なのではないでしょうか。              


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