長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年
時代がいつかはっきりしないものが昔話ですが、この話は検地がでてきますから豊臣秀吉以降でしょうか。
舞台は八ヶ岳のふもと。
みんなからぬけ八とよばれていた八左衛門が、野良仕事をおえて家に帰る途中、一本の竹筒をみつけます。中には紙が入っていて「この竹筒を鼻にあててかぐと、なんでもわかる」と、かいてありました。何の仕掛けもない太いただの竹筒のように見えましたが、神さまのおくりものだからと、家にもってかえりました。
おっかあが馬鹿にするので、ぬけ八が試してみると、座敷の畳は昼間誰かが寝そべったにおい。おっかあは、ぬけ八といっしょのときには、せっせと働くが、ひとりのときは昼間から寝そべって怠けていたのです。さらにおっかあが戸棚の中にかくしていたあんころもちをみつけてしまいます。それからおっかあは、心がけのいい人になりました。
それから少したって役人が村の検地にやってきました。庄屋で一休みして、さて仕事にかかろうとすると検地に使う縄が見当たりません。村の人間を全部集め調べますが、縄は見つかりません。役人は、年貢を少なくするために誰かが隠したに違いないと、えらい剣幕で怒鳴り散らします。
そのとき、ぬけ八が探してみせますと、竹筒を鼻にかぶせてくんくんとあたりをかぎまわりました。そのうち柿の木につながれている牛のまえでいくと、牛の腹のあたりを何回もかぎまわり、「役人さま、はんにんはこの牛でごぜえます」といいます。
「おれたちをからかっているのか」と、役人はますますおこりました。「役人さま、嘘だと思ったら、牛のかみかえしのとき、しらべてくだせえ」というので、牛のかみかえしのとき口の奥をみると、ぬけ八のいったとおり、ちゃんと検地の縄が、こなごなになっていました。
「牛がくったなら、しかたがねえ」と、役人は笑って許します。
笑って許す温情のある役人です。