魔女のパン/オー・ヘンリー ショトストーリーセレクション 千葉茂樹・訳/理論社/2008年
ミス・マーサーの小さなパン屋さんに、ちょっと気になりはじめたお客がいました。
週に二、三度やってくる彼が買っていくのはいつも売れ残りのパン。焼きたてはひとつ五セントで、古パンはふたつで五セント。
着ている服はどれもくたびれていているか、しわだらけだが、それでも、こざっぱりしていて礼儀正しい中年のお客だった。
あるときミス・パーサーは彼の指が赤や茶色に汚れているのに気がつき、この人はきっと貧しい絵描きだと思いました。小さな屋根裏部屋で古パンをかじりながら絵をかいて、パン屋にならぶ上等なパンのことを思い浮かべているにちがいなかった。
絵描きかどうかたしかめようと、昔、特売で買った一枚の絵をカウンターの奥の棚に飾り、客の反応を見ると「立派な絵をもっています。ただバランスはいまひとつ、遠近法もただしくはないですけれど。」という。
眼鏡の奥で輝く瞳のなんとやさしそうなこと!天才というものは認められるまで苦労はつきものなんだと思い込んだミス・マーサー。
マーサーは四十歳。銀行口座には二千ドルの預金があり思いやりのある心をもっていました。
彼は古パンを買いつづけました。ところが、最近彼がやつれ、気落ちはじめたように感じ、ミス・パーサーはなにか栄養のあるおまけをつけてあげたいと気をもみながらも、実際に行動に起こす勇気はでませんでした。
いつものように店にやってきた彼に古パンをわたそうとしたときに、消防自動車の警笛と鐘がなり、彼がドアに駆け寄った瞬間、マーサーは古パンに深い切れ目を入れ、そこに気前よくたっぷりのバターをおしこみ、ぎっと上からおしつけて元通りに見えるようにしました。
ひからびたパンと水だけの食事を用意し、パンを薄く切るとそこには!ささやかないたずらに気がついた瞬間の彼を想像していたマーサーの前にふたりの男が。
じつは、彼は建築家で、賞金つきの市庁舎の設計図に必死でとりくんできて、ようやく最後のペン入れをおえ、鉛筆の下書きを古パンで消そうとしたのでした。バターのおかげで折角の設計図が何の価値もなくなっていたのです。
マーサーの一方的な思い込みが、彼の賞金の夢を奪ったのかも。