「最後の一葉」は、オー・ヘンリーの短編のなかでも、知らない人がいないほど有名というのですが、はじめて読みました。
以前、おはなし会で「心と手」を語られた方がいて、オチの巧みさに、ずっと心に残っていました。
途中、保安官と護送される若者が手錠をかけられている手のところで、結末は予想できるのですが、そこにいたるまではどんな展開になるのか予想できませんでした。
「最後の一葉」も余韻がのこる短編です。
登場人物は、若い画家志望の二人、スーとジョンシー。落ちこぼれの老画家ベアマン。医者。
スーとジョンシーはワシントン・スクエアの西側にある、芸術家が集まる古びたアパートの三階に住むルームメイト。
11月、芸術家村には冷たい訪問者が忍び込み、ジョンシーは肺炎でベッドに横たわります。窓から見えるのは冬枯れのさびしい裏庭と5,6メートルはなれたとなりのレンガの壁。壁にはふるいツタのつるがのびています。
スーは、医者から「このままでは彼女が助かる見込みは十分の一。それも本人に生きる意思があればの話だ」と告げられます。
人生に半ば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見えるレンガの壁を這う古いツタの葉を数え、「最後の一枚が落ちるとき、わたしは死ぬの」とスーに言い出します。
彼女たちの階下に住む老画家のベアマンは、もうじき傑作を描くというのが口ぐせだが、実際に大作にいどんだことはありません。ジンを飲んで酔っ払うと、これから傑作を描くぞといきまき、他人のあまさをひどくばかにしています。
一方では三階に住む、二人の若い画家をまもるたのもしい番犬だともいいはっていました。
ジョンジーが「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベアマンは「馬鹿げてる」とののしります。
その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝にはツタの葉は最後の一枚になっていました。その次の夜にも激しい風雨が吹きつけますが、翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見たジョンジーは自分の思いを改め、生きる気力を取り戻します。
元気になったジョンシーにスーはいいます。
「ベアマンさんが、今日病院で亡くなったの。肺炎にかかって、たった二日だったって。おとといの朝、管理人さんが一階の部屋で苦しんでいるベアマンさんをみつけたの。靴も服もびしょ濡れで、凍りそうになっていたらしいわ。あんな嵐の晩にどこにいってたのか、だれにもわからなかったんだけど、そのうち明かりがついたままのランプと、倉庫から引っぱり出したはしごがみつかったの。それに、ちらばった筆と、緑と黄色の絵の具をまぜたパレットも。ねえ、窓の外をみて、ジョンシー。あの壁の、最後のツタの葉を。いくら風が吹いてもとっともゆれないでしょ。不思議に思わなかった?ああ、あれがベアマンさんの傑作なのよ。最後の一葉が落ちた晩、ベアマンさんがあそこを描いたのよ」
ベアマンが二人をまもる番犬だというあたりに、若い画家によせる思いがあふれているようです。傑作を描く描くといいながら、画家としての将来を見切っていたベアマンが自分の命とひきかえに、生きる希望を残したといえば格好がいいのですが、あくまでもスーが間接的につたえるだけで、本人がどう思っていたのかがわからないのが、この小説のたくみさでしょうか。
老画家と未来のある若い画家の対比。ツタの一枚の葉が老画家にとっての最高傑作だったのにちがいありません。
「馬鹿げている」といいながら、若い画家の父親のようなベアマンは、口下手な昔気質の老人のようでした。