天人女房/立原えりか・文 清水耕蔵・絵/ポプラ社/2003年
木の枝にかけてあった布、それは天女が水遊びのさいに、枝にかけておいたものでした。
かぐわしい布を見つけたのは”みかる”という働き者でしたが、天女に聞かれても黙って、天女を家に泊まるようはなし、もてなします。
ひと晩、ふた晩がすぎ、十日が一か月になり・・・。七年がたって三人の子どもがうまれました。「しあわせだ」と、天女はおもい、みかるも、みちたりた暮らしに満足していました。
ある日、みかるが魚とりに出かけ、天女が機をおっているとき、子どもの歌声で、屋根裏に隠してあった羽衣を見つけ、三人の子どもと天の国へ のぼっていきました。
天女がのこした手紙には、「わたしとこどもに あいたくなったら、ぞうりを千ぞく あつめてください。あつめたぞうりを 土に埋め、その上に 竹をうえるのです。三年たつと、竹は 天までのびて、わたしのくににとどきます。あなたは 竹をのぼって、わたしとこどもに あいにくることができるでしょう。」ありました。
あつめたぞうりは、九百九十九でしたが、「たりないのは いっそくだけだ。なんとかなるだろう。」と、みかるは竹をうえ、三年すぎると、天のくにへのぼります。竹は天のくにへとどいていませんでしたが、天女が 布をたらしてくれたので、みかるはやっと 天にのぼりつきます。
天のくにで 天女と暮らせるとおもっていたみかるに、天の王が、条件をだします。一日で千町歩の畑を切り開くこと、そのつぎに 千町歩の畑を一日で耕すこと、その畑に 一日で うりの種をまくこと、そして うりのとりいれ。これらを天女の助けでやりおえたみかるに、王が最後の仕事をいいわたします。それは一日で、うりを たてに半分にきることでした。
天女は、うりを たてに切るのは 父のわなで、よこにきるように助言しますが、いざきろうとすると、たてにきるか、よこにきるか、わからなくなって、たて半分にきりました。すると山ほどのうりが、つぎつぎと、さけはじめました。うりからは水があふれ、川になり、みかるは 洪水にのみこまれ、天から地へ落ちていきました。
それから、みかるは 何年も、何十年も ひとりでくらし、天の川の東に浮かぶ あかるい星を 天女だと おもいます。みかるが、地上で命をおえたとき、天の王は やっと手をのばし、みかるのたましいを、天の川の 西の岸に おきました。七月七日のことでした。
羽衣伝説は、昔の記録にもみられ七夕と結びついて、全国に分布しています。ほかの話では、天女が複数ですが、立原さんは、一人しか登場させていません。