アメリカのむかし話/渡辺茂男:編・訳/偕成社文庫/1977年
シンデレラというとハッピーエンドにおわるものと思っていると、このインディアン版は、かなしい結末がまっています。
粗末な小屋に貧しいインデイアンの少女が、ひとりで住んでいました。少女は金持ちが飼っているいるシチメンチョウの世話をしては、すこしばかりの食べ物と、ふるい着物をもらって暮らしていました。少女はシチメンチョウをたいへんかわいがり、シチメンチョウも少女によくなついて、少女のよび声ひとつで、集まりました。
ある日、少女は、四日後に町で踊りの集まりがあることを知ります。この貧乏な うすよごれた少女は、いままで、いちども踊りの仲間にはいったこともないし、見にいっても追い払われてしまったので、こんどの集まりにはぜひ、いってみたいと考えました。けれども自分の身なりを見て、ため息をつきました。
少女は、四日間、シチメンチョウに、じぶんが、ひとりぼっちで、どんなにさびしいか語りかけていました。すると、祭りの日、シチメンチョウがとびっきりのプレゼントをしてくれました。ぼろぼろの着物が、お姫さまの着るような着物に、どの少女にくらべても負けないようなすべすべした、きれいな肌。さらに きらきらした腕輪や耳飾り。
踊りの集まりにでかける少女にむかって、シチメンチョウは、声をそろえていいました。 「やさしい娘さん。その戸をあけたままいってください。幸福になってしまったら、わたしたちのことを、わすれてしまうかもしれませんからね。もうシチメンチョウの世話などしに、かえってこないかもしれませんからね。けれども、わたしたちは、みんな、あなたのことを、愛していますからね。約束だけは、わすれないでくださいよ。必ず、遅くならずに、かえってきてくださいよ。」
踊りの主役になった少女は、踊りが、あまりにも楽しいので、シチメンチョウとの約束の時間にまにあいませんでした。すっかり夜になると、シチメンチョウは、「ああ! やっぱり、そうだったのか! やさしいむすめも、わたしたちのことをわすれてしまった。やさしいむすめも、ほんとうは、心が貧しかったのだ。さあ、、わたしたちも、山へのげだそう。あんなにやさしかったむすめが、約束をまもれなかったのだから、こんな小屋にいる必要はないわけだ! さあ いこう! さあ いこう!」と、逃げ出しました。
少女はシチメンチョウの声を聞いて、追いかけますが、シチメンチョウは逃げ続け、とびさっていきました。それだけではありません。いままでの目のさめるような、美しい着物や耳飾りなどは、きえてしまって、またもとのような、ボロボロな、哀れな格好をした少女の姿にもどっていました。
タイトルからは想像できない内容。シチメンチョウが、それだけ少女を愛していたのなら、つかのまの幸せを許してあげてもよかったのですが・・・。