そもそもオリンピック/アーサー・ビナード・作 スズキコージ・絵/玉川大学出版部/2020年
予定では2020年だったオリンピック開催年の2月発行。コロナ過で一年遅れで無観客開催となったオリンピック、パラリンピックでした。
「風の ワタシは おぼえている。そもそも なん十万ねんも まえ イキモノが はしりだした。「ヒト」という イキモノ ほら、なかなか いいはしりだろう?」
風が語り手になって、前半は古代オリンピックを駆け足で。そして「ヒトのやることは そもそも いつか おわる」と 皮肉たっぷり。
後半は広島生まれのオダミキオの生い立ちをふりかえります。
感想では織田幹雄のことを知らない人もいて逆にびっくりでした。三段跳びでは1928年の織田幹雄、1932年ロスアンゼルス大会の南部忠平、1936年ベルリン大会で田島直人が金と、日本のお家芸とよばれた時期があったというのは、いまでは想像もつかない。
オダミキオは、1924年のパリ大会には船の上、川っぷち(セーヌ川?)では自転車で練習し、1928年のアムステルダム大会へはシベリア鉄道で停車の合間に練習し、何日もかけて現地入り。この年、三段跳びで金メダル。鉄道の汽車の中で、知らないヒトたちとしゃべって しゃべって しゃべって 気がつくと知り合いになっていたというおおらかさ。
三段跳びで一番大切なのは風で、風とともに跳べるかどうかで記録がきまるという。
「ワタシと ピョォォォン! がんばった じぶんが スルッと おちて・・ピョドォォォン! かちたい きもちが スルッと おちて・・ ドピョォォォンで ニッポンも おちて ドッズン!」
風といっしょに跳ぶというのはどんな感じでしょうか。追い風、向かい風で記録が変わる競技。風が走りまわるようすは、スズキコージさんならではです。
ただこの時期、1928には張作霖爆殺事件、1929年には世界恐慌、満州事変もはじまり、1930年は昭和恐慌と、日本の政治・経済は危険な時期。