虔十公園林/作:宮沢 賢治 絵:伊藤 亘/偕成社/1987年初版
いつも 木や鳥を見てうれしがっている虔十。子供たちから馬鹿にされていたのですが、雪の残る早春に家のうしろにあるまだ畑にならないで残っている運動場ぐらいのところに、杉の苗700本を植えたいと言いだします。虔十のお兄さんは杉を植えても成長しないと反対しますが、父親は虔十の言うとおりにさせてやります
虔十と兄は、まっすぐ実に間隔正しく、苗をうえます。しかしまわりの人からは杉など育つわけがないと冷笑されます。
しかし、杉林は子供たちの格好の遊び場になります。
ある日、杉の北側に畑をもっていた平二が、自分の畑に影が入るから木を切るように虔十に迫り、断る虔十に手をあげます。
子どもたちが並木道のような杉のそばでよろこんで遊んでいるのを、隠れて満足そうにみていた虔十ですが、やがて、平二も虔十もチフスで亡くなってしまいます。
その後、町は急速に変貌し、畑や田がずんずん潰されていきますが、この並木道だけ残されて、やがて虔十公園林と名前がつけられ、いつまでも保存されることになります。
この杉の並木道を遊び場として育った子供たちの中からは、検事や将校、海の向こうにちいさいながら農園をもった人などがでてくる。将校や子どもの遊びにラッパがでてくるのは時代背景をうかがわせます。
この話で、父親は、これまで何一つ頼んだことがなかった虔十のために、杉苗を買うことを許し、兄は苗植えの手助け、町がひらけていくなかで、虔十のたった一つの形見だと残してくれた身内の存在が欠かせません。
絵は、紙彫ということですが、技法にもさまざな方法があって、楽しませてくれます。
印象に残るのは、杉の苗を植えている虔十を見下ろしている、きせるをくわえた大きな平二と、月のしたで横たわっている涅槃像のような虔十の姿です。
この公園の名付け親は、ここで遊んで、いまはアメリカの大学で教授になっている若い博士ですが「ああ全く、たれがかしこく、たれがかしこくないかはわかりません。ただどこまでも十力の作用は不思議です。ここはもういつまでも子供たちの美しい公園です。どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけて、いつまでもこの通りを保存するようにしては。」と提案します。
十力というのはなじみがないが、ネットで検索すると二つのものがある。一つは、仏がもつ10種の智力。
処非処(理と非理を弁別する)、業異熟(業と因果を知る)、静慮解脱等持等至(三昧などの深浅を知る)、根上下(衆生の資質を知る)、種種勝解(衆の望みを知る)、種種界(衆生の本性を知る)、遍趣行(衆生が諸世界へ赴く行因を知る)、宿住随念(自他の過去世を思い起こす)、死生(衆生の死後善悪などを知る)、漏尽(涅槃に至る方途を知る)などの各智力。
もう一つは、菩薩がもつ10の力。
深心力・増上深心力・方便力・智力・願力・行力・乗力・神変力・菩提力・転法輪力など。