どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

くっつける はなす

2022年12月16日 | 絵本(日本)

    くっつける はなす/百木一朗/福音館書店/かがくのとも645号2022年

 

自転車でピクニックに用意するもののなから、くっつける はなすという視点で、持ち物をみていきます。

服にはボタン

靴には、めんファスナー(マジックではないんですね)

お弁当の 留め具

ジッパーぶくろがついているのは、果物用

ヘルメットの留め具(ワンタッチバックル)

リュックのファスナー

そして それぞれの特徴

こまかな仕組みものっています。

 

「くっつける」という視点で、身の回りを見ていくというユニークな絵本です。思わず まわりを見直してみました。


どろんこおそうじ

2022年12月15日 | 絵本(日本)

    どろんこおそうじ/さとう わきこ/福音館書店/1990年(1986年初出)

 

 さとうわきこさんが描くばばばあちゃんは、どっしりしていて、なにごとにも動じないおばあさん。「おばあさん」ではなく、「ばばばあちゃん」というのが、なんとも人柄?をあらわしています。


 今回は、ばばばあちゃんが、どろあそびに夢中になり、夕方になっても遊び続け、おかげで、ゆうごはんが どろだんごに なってしまいます。

 きっかけは、部屋を片付けないこいぬとこねこが ばばばあちゃんに叱られて掃除をはじめ、ほうきと雑巾で野球ごっこをはじめたこと。

 野球の球にみかけた雑巾が、森のうさぎやきつねたちのところへ 飛んでいき、雑巾を投げ返えされ、けんかになって、どろんこの球がとびかいます。

 それを見ていたばばばあちゃん、カミナリをおとすかと思いきや、「おもしろそうじゃないか」と、自分も どろんこ遊びを はじめました。

 動物たちが、あっけにとられて、喧嘩をやめても ばばばあちゃんは おかまいなく どろんこあそび。

 こいぬとこねこが、部屋の掃除をおわっても、ばばばあちゃんは、泥遊びをしていました。

 喧嘩をやめなさいといわず、喧嘩を止めてしまうばばばあちゃん。

 洗濯が大変と、泥遊びが 歓迎されないところもありますが、たまには 子どもと一緒になって 泥遊びをする余裕を 持ちたいもの。


よるのさかなやさん

2022年12月14日 | 絵本(日本)

    よるのさかなやさん/穂高順也・文 山口マオ・絵/文溪堂/2016年

 

 おいしそうな魚が並ぶさかなやさん。ここのお店の魚は とっても新鮮だと大評判。

 夜になってお店が閉まると、「さあ  しんだふりを やめるじかんが きたようだ」

と、お店の中では 魚たちが ひょっこり ひょこひょこ 動きはじめました。

 シャッターから ひょこり ひょこひょこ ぬーるぬる 抜け出して 野球やかくれんぼのはじまり。

 「でも やっぱり よぞらを およぐのが いちばんいいね」

 天の川に つりいとを たらし 流れ星がかかったと思うと、マダイでした。

 のらねこたちが、さかなのにおいをかぎつけて、かけよってくると イカ タコ マダイが 合体して かいじゅうに 変身。こんどは さかなたちが、のらねこを おいかけます。

 おひさまが のぼってくると ひょこり ひょこひょこ ぬーるぬる と、また お店の中で しんだふりです。

 魚が売れて、仲間がいなくなると また 別の遊びをするのかな?

 海ではなく、夜空を泳ぐのが 一番。


魔術師キャッツ

2022年12月13日 | 絵本(外国)

    魔術師キャッツ/T・S・エリオット・文 エロール・ル・カイン・絵 たむら りゅういち・訳/ほるぷ出版/1991年

 

 猫が主人公の話がふたつ。ひとつは、「大魔術師ミストフェリーズ」、もうひとつは、「マンゴとランブルの悪ガキコンビ」。

 大魔術師ミストフェリーズは超一流の奇術使いで目が鋭い黒ねこ。マンゴとランプルの悪がきコンビは、どこへでもでかけ大暴れ、口のうまいこと天下一品。それはそれは腕の良いドロボウ猫。

 絵は静止画、文章は口上風ですから、見ている側で絵を動かしていく必要があります。

  ミスター・ミストフェリーズは神出鬼没。

  ふだんの彼ときたら、暖炉のまえで丸まって、ぼーっとしているだけ。

  なにがきても気にしない。

  こんな内気で臆病な猫も、ほかにはいないと思うくらい。

  ところが、これまた不思議。

  暖炉のまえで丸まって、寝ているはずなのに屋根の上で声がする。

  屋根の上をうろついていたはずなのに、暖炉のまえで声がする。

  とうとう最後には、気持ちよさそうに彼がのどをゴロゴロ鳴らすのを、家中のみんなが聞くのです。

 これだけの文に、絵は、猫が暖炉前の椅子の上で寝ている一枚。

 文章のリズムが楽しめる話です。

 ミュージカル「キャッツ」の原詩で、ミュージカルにでてくるさまざまな猫でも、ミストフェリーズは人気のようです。これがエロール・ル・カイン(1941-1989)の最後の作品。若くして亡くなっているのが残念です。


こおり山ギツネ・・広島

2022年12月13日 | 昔話(中国・四国)

          広島のむかし話/広島県小学校図書館協議会編/日本標準/1974年

 

 尼子と毛利の戦いの際、毛利方に味方して勝利をもたらしたというキツネの話。

 こおり山城の北にあるなんば谷に、年とったキツネが多くのキツネとすんでいて、猟師が鉄砲や弓でとろうとしても、人間のにおいをしってしまい、女や子どもにばけたり、大木や岩にでもばけるので、とることができなかった。このキツネは銀色のそれはそれは美しい毛のキツネで、こおり山城の毛利元就が「そんなにきれいなキツネなら、ころしてはいけない」と、おふれを出した。

 この立て札の話を聞いて、わざわざ見にいった銀キツネが感激し、いつかは、毛利さまに、ごおんがえしをしたいと、家来のキツネに話しました。

 まもなく、三万の尼子がたが、五千人の毛利方の城を取り囲みます。銀キツネは、あつめた五百びきのキツネに鎧、兜をつけさせ、お城にかけつけます。昼は城のばん、夜にはキツネの軍が、あっちのやまに三百、こっちのやまに五百というように、ちょうちん(しっぽであかりをともす)で、いかにも多くの軍勢がいるように偽装します。さらに馬や牛のふんを、ごちそうにばけさせて、敵方の陣屋にもっていくなど、戦の手伝いをしました。

 さんざんくるしめられた尼子軍が、山陰へかえると、とのさまは、キツネに こおり山ばんのご用をつとめるようにさせたという。

 それからは、おさむらいにばけた銀キツネが、長い槍をもって山の中をあちこちとばんをしてあるいたという。


ゆきのひのおくりもの

2022年12月12日 | 絵本(外国)

    ゆきのひのおくりもの/ポール・フランソワ・作 ゲルダ・ミューラー・絵 ふしみ みさを・訳/バロル舎/2003年

 

 ロシアの絵本運動に影響を受けた作者(1898年生まれ)が、中国の民話から再話し、オランダ生まれの人が絵を描き、1959年フランスで出版された絵本。

 

 雪が降りしきるなか、おなかがすいた子ウサギが、雪に埋もれたニンジンを見つけ、一本は 自分で食べ、もう一本は、仔馬くんが、食べるものがなくて困っているに違いないと、仔馬くんのところへいくと留守。子ウサギはそっとニンジンをおいて かえります。

 仔馬くんが 森の中で かぶを見つけ、それを食べてから 家に帰ってみると おいしそうなニンジン。足跡から子ウサギさんからのおくりものとわかりますが、羊さんが、こまっているにちがいないと、そのニンジンを 羊さんのところへ 届けにいきます。ところが羊さんは留守。仔馬は そっと ニンジンをおいてかえっていきました。

 ちりちりまきげの羊は、雪に埋もれたあかキャベツを見つけ、おなかがふくれると家にかえり、そこで見つけたのがニンジン。雪の足跡から仔馬くんからにちがいないと思いますが、小鹿くんが、困っているに違いないと、小鹿くんのところへニンジンをもっていきますが、ここも留守。そのままニンジンをおいてかえります。

 小鹿が、モミの目を見つけて、すっかりおなかが ふくれると 家に帰ってみると、そこにはニンジン。玄関に落ちていたまきげで、羊さんの おくりものだとおもった小鹿は、ニンジンを 子ウサギにとどけてあげます。こうさぎは あたたかなねどこで、すやすやとねむっていたので、小鹿は、子ウサギが おきるのをまちました。

 子ウサギが目をさますと・・・。


 ニンジンが めぐりめぐって もとのところへもどってくる おもいやりが 素敵な話。

 雪が降り積もる冬ならではの話です。

 60年以上前の絵本ですが、古さを感じさせません。雪の森のようすがあたたかく、防寒着の動物もかわいらしい。


もぐらはすごい

2022年12月11日 | 絵本(日本)

    もぐらはすごい/アヤ井アキコ/アリス館/2018年

 

 小さな畑をやりだして間もないころ、あちこちで土が盛り上がっていた。いちども見ることがなく、多分モグラのせいだろうと話し合っていたが、何年かするといつのまにか、盛り上がりがなくなった。

 モグラがおしだした土の盛り上がりを「もぐらづか」といい、どのぐらいの深さに生息してるか興味があったが、”もぐらはすごい”と、いろいろあるが、この深さにふれられていないのがやや残念。土の柔らかさも関係しているのでしょうか。

 絵に描かれた感じでは、モグラが居住するトンネルの延長は三、四十メートルか? ずっと土の中でひとり暮らしで、土の上に出るのは、子どもが母親の巣から独り立ちし、自分だけのすみかをさがしにでかけるときだけといいます。

 モグラは、一日に三回トンネルをあるきまわり、たべて、ねるの繰り返し。食料は、ミミズや虫の幼虫。毎日、体重の半分くらいのエサをたべるというが、それだけ土のなかにエサがあるのか心配になるほど。家は枯葉などでできたボールのように丸い部屋。ブナのなかまの木の上に、モグラのウンチからはえるナガエノスギタケ。

 モグラのからだの特徴はもちろん、世界中の分布の地図ものっていますが、思ったより生息範囲は少ない。北半球と北海道には生息しないというのも驚き。

 ひとり暮らしで心配になるのは、どうして子孫を残すかということ。繁殖期に、互いを受け入れるチャンスがあるといいますが、詳しくはわかっていないという。

 自然には、まだまだ不思議がいっぱいです。

 

あなのなかには・・・

2022年12月10日 | 絵本(外国)

    あなのなかには・・/レベッカ・コップ:作絵 長友恵子・訳/フレーベル館/2016年

 

庭のさくらの木のそばの小さな穴に ボールが入っちゃて、のぞきこんだが なにもみえない。

ぼくの手もママの手でも とどかない。パパは なんにもしてくれない。

ママが、穴は ネズミの家に つながっているかもと。

カエルがにがてなパパは、カエルがいるかもしれないと。

おねえちゃんは、トロルが すんでいるかもよと。

ともだちは リスかな?ヘビだよ! ハリネズミかも? キツネじゃないと。

いちばんのともだちは ドラゴンのすみかだよと。

おばあちゃんは、モグラかも、おじいちゃんは、アナグマだろうって。

みんな それぞれ あれこれ 想像しています。

どんどん広がる想像。見えないから 生まれる世界。

 

穴一つで、みんなつながっている実感。

桜の木が開花し、桜が散ると緑の葉、秋には紅葉し、冬には葉が全部なくなり、穴一つで、長い間楽しめています。 

みんなが想像する生き物のそばには、さりげなくボールが!


寒い朝に実感

2022年12月10日 | 日記

 このところ、朝おきると、小さな畑に霜が降りて、寒さを実感。

 都市部は地面の大半はコンクリートで、土に触れる機会も少ないが、畑のような土では、寒さがそのまま反映している。

 雪国での雪の便りもぼちぼちあるが、あまり雪が降らない当地では、寒さを感じるのは霜をみたとき。

 昔は当たり前の風景も、いまは霜を見ることが少なくなっているのを、喜んでいいのか。

 ウクライナの人が、インフラへの攻撃で、電気、水、ガスの使用が制限されたなかで寒さに耐えているというが、想像できない世界。食料は十分なのか?


アリューシャン マジック

2022年12月09日 | 絵本(日本)

    アリューシャン マジック/あべ弘士/のら書店/2022年

 

絵が乱舞するというのはこんなことか。

ラッコのぼうやに、謎の手品師ポーラマンから、アリューシャン-列島でひらくマジックショーへのご招待。

見開きの二ページをつかって描かれているのは、ほとんどが山。

山には氷河の模様。この模様がポールマンの手で、千変万化。

おおだこのつぶからシュシュシュ パッと巻きあがる魚、飛び跳ねているのはクジラ。

氷河のカケラで見物しているアザラシ、シロクマなどが小さく小さく描かれ、文字も どこにあるか探さなければならいないほどの小ささ。

マジックショーの掛け声は、”やんややんやのやん””カラカララン””ピーッ ピピーッ””ブラボー”。

はて”ブラボー”はどこかで聞いたか。

 

壮大な自然のショーを体験してほしいという作者。地球の不思議はまだまだいっぱい。


ぼくはフィンセント・ファン・ゴッホ

2022年12月08日 | 絵本(日本)

    ぼくはフィンセント・ファン・ゴッホ/作・林綾野 え・たんふるたん/講談社/2017年

 

 「絵本でよむ画家のおはなし」シリーズの一冊。

 今では誰もが知っているゴッホ。ただ生きている間はほとんど注目されなかったのは、やはり寂しい。

 意外にも27歳から画家になることを目指し、ブリュッセルで絵の勉強をはじめ、オランダへ。ここでシーンという不幸な女性とであい結婚したいと思いますが、まわりから反対され、シーンと別れると両親が暮らす家に帰り、町で働く職工や農家の人たちをえがきます。

 32歳のとき父親が病気で死亡。父親とは最後までわかりあえなかったようです。この年、ベルギーの絵の学校で勉強しますが、先生とけんかしたりとうまくいかないことばかりが続きパリへ。

 パリでの新しいものとの出会い。あかるい絵、新印象主義の画家が描く点描画、日本の浮世絵。

 シャルルでのゴーギャンとの共同生活と別れ。そして、自分の左耳を切り落としてしまい、病院へ。

 絵が売れない中、生活をささえてくれたのは、四つ年下の弟テオ。ゴッホがなくなった半年後に テオも病気で なくなりました。

 画家になる前の歩みも興味深い。15歳から画廊につとめ、20歳のとき失恋。23歳のとき学校の補助教員、24歳のとき本屋で働きます。25歳で伝道師になりベルギーの炭鉱地帯へ。みすぼらしい格好で説教するのは伝道師にふさわしくないといわれ、伝道師の活動を禁じられてしまいます。

 ぼくの描いた絵が 遠いどこかで だれかの心を明るく照らしていますようにとねがったゴッホの 短いようにみえて、密度の濃い歩みです。

 

 絵のタッチはゴッホ風で、なじみの光景も 随所にあらわれます。興味をもったら絵もそうですが、伝記を読むことにつなげられる入門書です。


あらずもがなのことば・・コスタリカ

2022年12月07日 | 昔話(南アメリカ)

           ラテンアメリカ民話集/三原幸久編訳/岩波文庫/2019年

 

カタールワールドカップ一次予選で対戦したコスタリカの「こぶとりじいさん」の話。

 

コブのある貧乏な男が山へ薪を取りに行って、夜中の一軒家で出会ったのが、魔女たちの祭り。

魔女たちがとびはねながら歌っているのが

”月曜と火曜と水曜で三つ”

魔女たちが、同じ歌を歌い続けるので飽き飽きした男が、ダミ声で付け加えたのが

”木曜と金曜と土曜で六つ”

叫び声や踊りがとつぜんやみ、「わたしたちの歌にあんなにうまく続けたのはだれ」「なんてすばらしいでしょう」「歌った人にほうびをあげなくちゃ」と、魔女たちが声の主を探し、コブを切りとってしまいます。さらに、お礼に金貨の入った袋も男にくれます。

男が家を離れていくとき、魔女たちの歌声が聞こえました。

”月曜と火曜と水曜で三つ  木曜と金曜と土曜で六つ”

このあとは、「アリババと四十人の盗賊」風。

家に持ち帰った金貨がいくらあるか量ろうと、妻が金持ちの家にマスを借りに行きます。不審に思った金持ちの妻が、マスの底にニワカを塗りつけます。そして返されたマスの底に金貨がくっついているのを見つけ、夫にそのことを話すと、金持ちは貧乏な男から、ことの次第を聞き、山奥へでかけ、魔女たちがお祭りしている家につきます。

魔女たちは”月曜と火曜と水曜で三つ  木曜と金曜と土曜で六つ”と夢中になっていました。

金持ちが、ここで「日曜で七つ」と、付け加えます。魔女たちは、「どうしてそんなことをいいだすのよ」「わたしたちの歌をぶちこわすようなことをいった横着者はだれなの」と、怒り出し、男を見つけ出すと、貧乏な男から切り取ったコブを首にくっつけてしまいます。

金持ちの男は、山へ行ったとき連れて行ったロバをなくし、コブを二つ付けて家へ帰りました。

 

日本では、鬼と踊りですが、魔女と歌という組み合わせは 外国らしい。


ぼくは 川のように話す

2022年12月06日 | 絵本(外国)

    ぼくは 川のように話す/ジューダン・スコット・文 シドニー・スミス・絵 原田勝・訳/偕成社/2021年

 

 「話す」ことをあらためて考えさせてくれました。

 話すことができない人、話しても「口の調子が悪い」人もいる。

 

 「ぼくの口の中には。舌じゃなくて 松の木が はえている」

 うまく言えないもどかしさ。

 教室では、うしろのせきでちぢこまっている。あてられません、って思いながら。

 学校で 毎朝ひとりずつ、世界でいちばん すきな場所について 話すことになっていた。きょうはぼくのばん。でも口が どうしてもうごかない。もううちにかえりたい。

 放課後、お父さんの車がまっていた。「うまくしゃべれない日もあるさ。どこかしずかなところへいこう」

 おとうさんと、きれいな色の石やアメンボをさがしながら、ならんで岸を歩いていく。

 心が少しかるくなっても うまくしゃべれなかったことを かんがえずにはいられない。

 目は雨でいっぱい。おとうさんが、ぼくの顔を見て、かたをだきよせ、川を指さした。

 「ほら、川の水を見てみろ。 あれが、おまえの話し方だ」

 

 吃音だったジョーダン・スコットの思い出をもとにしてつくられた絵本。

 川は急流もあれば、ゆったり流れるところも、よどんでいるところも。川にたとえて あせらず、自分にむきあうよう 語りかける お父さんの 自然体に感銘です。

 川を見つめる ぼくの 目をつむった表情から、川が話しているような印象をうけました。


まじょの おとしもの

2022年12月05日 | 絵本(日本)

    まじょの おとしもの/油野誠一・作/福音館書店/2008年(1997年初出)

 

 ヒロミちゃんが、とおりでみつけたのは いっぽんの ほうき。

 「だれが こんなきたない ほうきを すてたのかしら。まるで まじょの ほうき みたい」「でも まさかね」と ふざけて ほうきにのり 「ふじさんの てっぺんに とんでゆけ!」というと、まさかが 現実に。

 あまりのさむさに もとのところへ かえり それから 毎日 大空の散歩。

 林の中をはしっていると からすてんぐがあらわれ、競争です。

 あるひ、ペルシャから 東京見物にやってきた そらとぶじゅうたんにのった 男の子と いっしょに、東京タワー、東京湾を ちゅうがえり しながら とんでいると 灰色の 雲があらわれ まじょたちに かこまれて しまいました。

 まじょから ほうきを とりあげられ ヒロミちゃんは 空から地面に一直線・・・。

 

 ヒロミちゃんが、ほうきを 見つけたのは 「中村医院」の看板が立つ電柱のそば。まじょが 病気の治療にきて わすれていったのかな。 

 色鉛筆で描かれたものでしょうか。子どもたちが 自分で描いたようにも見える絵に、親近感がわきそうです。


わにの なみだは うそなき なみだ

2022年12月04日 | 絵本(外国)

    わにの なみだは うそなき なみだ/アンドレ・フランソワ・作 ふしみ みさお・訳/ロクリン社/2020年

 

 どうやら うそなきの ぼうやに だまされないぞと、お父さん。そういえばヨーロッパでは、うそなきのことを 「わにの なみだ」って いうんだよ。どうしてだか しっているかい? と、まずは、わにをつかまえに 細長い木の箱をもって、船で エジプトへ。

 もうこのあたりから あやしい。だまされないぞと、覚悟を決めて つぎのページへ。

  ピラミッドのてっぺんから わにをさがし、ちょうど 木箱ぴったりのわにと 海をわたると郵便屋さんに 家まで 届けてもらい それからは 家族の一員としてくらす。

 おひるごはんもいっしょ、はみがきして、ぬるめのお風呂に入り、散歩も 学校にも いっしょ。おまけに話し上手。

 ところが、うっかりして しっぽを ふもうものなら、すかさず ガブリッ!

 そして、すぐに なみだを ぽろぽろ こぼして、反省したふり。

 だから うそなきのことを、「わにの なみだ」って、いうんだよ!

 

 原著は1956年、横に細長い絵本。表紙から裏表紙まで、それでも足りなくてカバーのところまではみ出したわに。色の塗り残し?が 微妙なアクセントになっています。

 「わにの なみだ」というのは、使えそう。こわそうなわにが 涙を流すなんて信じられない ということは やっぱり だましているかな。