引き続き、先日から考え出した10年後の想定の話。
YHの強みは安さと前回書きましたが、それが実現可能だったのは、YHの歴史にあったようです。ここから先(も)、異論等は多くあるでしょうが、あくまでも個人的な意見です。
YHが日本で始まったのは戦後10年経った1950年代後半。思想面やYH運動などという難しい話は他のYHの方に聞いて頂くとして、ゼロからのスタートだったことから、宿泊施設として利用できたのは、他の施設に併設ないし、空いた所を提供して頂く、いわゆる「兼業」としての形態で、1970年代までのYHは大半が旅館や寺院、公共施設が兼業としてYHとしていました。
この時代、YHを利用するのは名実ともに10~20代の若者がほとんどで、例外もありますが、繁忙期となるのは夏休みや春休みと云った学生が休みの時期。ひっくり返して言えば、それ以外の時期には多くの宿泊客はおらず、それでも兼業だったため、施設としては「本業」で飯が食えた状態でした。
学生が動く繁忙期だけ、空いている施設をYHとして利用してもらうのはいいのですが、その時だけ人手を調達することも出来ず、まして割安な料金ですのでアルバイト等では採算が合いません。そこで使用したのが、ボランティア的な労働力で、当時は居候とかヘルパーと呼ばれていました。当時はそうした宿泊を楽しめる、という考えもあり、多い所では、お客様の数よりもヘルパーの数が多かったなどと云う笑い話もあったほど。
食事に関しても、70年代のYHは食べられれば良し、美味しいものを食べたいなら民宿に行け、という感じだったでしょう。当時はコンビニなどはなく、また牛丼屋などのファストフードも少なく、田舎の旅行先では食べられることが大切で、それがどんなものでも、若さゆえに贅沢は言わない、という状態でした。また多くのYHには自炊施設があり、自分で調理することも可能で、従業員の手間が省けるいろいろな仕組みがあったと云えます。
のち