引き続き、先日から考え出した10年後の想定の話。今回も異論等は多くあるでしょうが、あくまでも個人的な意見です。
YHに変化が出たのは、80年代後半からのバブルの時期。ペンションや現在のビジネスホテルなどの競合施設が増え始めたことで、YHも今までの兼業スタイルから「専業」に方向転換をはかり、施設やサービスの向上を目指したようです。この転機は大きく、それまで副業的な兼業だったYHで、1年中飯を食っていく必要が出たため、学生の動かない閑散期にも集客を考える必要が生まれました。ここで言われたのが「生涯学習」。それまでの若い層だけでなく、家族部屋を用意してファミリー層を対象としたり、いつでも時間に余裕がある高齢層の取り込みを行ったとも云えるようです。
YHの規模も、70年代は50人とか100人収容のYHがありましたが、80年代後半からのYHでは15~30人規模と、オフシーズンでも経費が掛からず、家族など少ない人員でも運営できる規模になってきました。
90年代に入り、HISの事業拡大などで海外旅行が手軽になり、猿岩石のヒッチ旅が人気になり、行先に選択の余地が出て、カラオケボックス、ゲーム機、携帯電話などの拡大で、若者のお金の行き先も多様化し、旅行に廻ってくる分が減ったとも考えられます。相部屋や規則が厳しいなど他にも理由は考えられますが、そうしたことからも利用者数の減少傾向は大きくなりました。(宿泊者数:ピーク1973年340万人、1980年221万人→1990年123万人→2000年77万人)
90年代以降、宿泊者数減少を補うためもあり、YHの宿泊料はジリジリと値上がり傾向。言い訳として物価が上がっているからとも云いますが、日本は30年に渡るデフレ期に入りましたが、物価は上がっていません。2010年頃までは宿泊料の上限が協会により設けられていましたが、それも撤廃になり、素泊まり5000円を超えるYHも出てきました。
更にかつてはヘルパーという制度で格安な労働力が使われていましたが、時代の流れもあり、現在ヘルパーを入れる場合も、書面にて労働契約を結び、労働時間と仕事を明確にし、最低賃金以上の時給を払うようにと云う指導も来ており、かつてのヘルパー制度は崩壊しており、昔ながらのヘルパーのいるYHというのも稀有の存在になってしまったようです。
時々