大橋 巨泉さんウィキペディアより(1934年(昭和9年)3月22日[1] - 2016年(平成28年)7月12日)
闘病・晩年
2005年5月、71歳、胃癌を患っていたことが判り、6月に摘出手術を行った。
2013年11月、中咽頭癌を発症し摘出手術を受ける[18]。
2014年11月、肺と食道の間にある「縦隔」のリンパ節に腫瘍が見つかり、放射線治療を受ける。
2015年5月18日、肺癌の手術を受け、右肺の約3分の1を摘出。
2015年10月14日、縦隔のリンパ節に2か所発見された腫瘍の除去手術を受ける[21]。手術から5日後の10月19日にはゲストとして『徹子の部屋』の収録を行った(11月2日放送分)。
2015年11月3日、腸閉塞の疑いで入院[23]。13日にいったん退院した後、27日に再び入院、30日に開腹手術を受けた。軽い腸閉塞で、がんの転移もなく、手術は成功した[24]。12月9日に退院[25]。21日放送のTBSラジオ『六輔七転八倒九十分』へのゲスト出演が予定されていたが、リンパ節除去手術の影響で声がかすれることから出演を見送った[26]。その後、2016年2月4日放送分の『徹子の部屋』に永六輔とともにゲスト出演している。
2016年2月には左鼻腔内に新たな癌が見つかり、外科手術を避け、抗がん剤および放射線による治療を行った。
その後も闘病しながら活動を続けていたが、体力の低下を感じて2016年3月27日に入院、4月5日に一旦退院して在宅介護に切りかえたものの、在宅介護の医療機関によるモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力減退に陥って4月11日に都内の病院に緊急入院し[29]、5月下旬には集中治療室に入っていた。週刊現代で連載していたコラムも6月27日発行号掲載分で容態悪化を説明し「気力も体力もない」と連載を終了 。
2016年7月12日午後9時29分、急性呼吸不全のため、入院先の千葉県の病院で死去した。82歳没[31][32]。法名は、「巨泉院釈克導」(きょせんいんしゃくこくどう)[33]。通夜と葬儀は親族のみで済ませ、9月5日に「大橋巨泉を偲ぶ会」を開催された[29]。2月に『徹子の部屋』で共演した親友・永六輔は7月7日に他界。公表されたのは巨泉の死の前日の11日であった。巨泉の訃報に際し急遽7月20日放送の『徹子の部屋』では、2月4日放送の永六輔と出演した放送分を放送した。
闘病・晩年
2005年5月、71歳、胃癌を患っていたことが判り、6月に摘出手術を行った。
2013年11月、中咽頭癌を発症し摘出手術を受ける[18]。
2014年11月、肺と食道の間にある「縦隔」のリンパ節に腫瘍が見つかり、放射線治療を受ける。
2015年5月18日、肺癌の手術を受け、右肺の約3分の1を摘出。
2015年10月14日、縦隔のリンパ節に2か所発見された腫瘍の除去手術を受ける[21]。手術から5日後の10月19日にはゲストとして『徹子の部屋』の収録を行った(11月2日放送分)。
2015年11月3日、腸閉塞の疑いで入院[23]。13日にいったん退院した後、27日に再び入院、30日に開腹手術を受けた。軽い腸閉塞で、がんの転移もなく、手術は成功した[24]。12月9日に退院[25]。21日放送のTBSラジオ『六輔七転八倒九十分』へのゲスト出演が予定されていたが、リンパ節除去手術の影響で声がかすれることから出演を見送った[26]。その後、2016年2月4日放送分の『徹子の部屋』に永六輔とともにゲスト出演している。
2016年2月には左鼻腔内に新たな癌が見つかり、外科手術を避け、抗がん剤および放射線による治療を行った。
その後も闘病しながら活動を続けていたが、体力の低下を感じて2016年3月27日に入院、4月5日に一旦退院して在宅介護に切りかえたものの、在宅介護の医療機関によるモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力減退に陥って4月11日に都内の病院に緊急入院し[29]、5月下旬には集中治療室に入っていた。週刊現代で連載していたコラムも6月27日発行号掲載分で容態悪化を説明し「気力も体力もない」と連載を終了 。
2016年7月12日午後9時29分、急性呼吸不全のため、入院先の千葉県の病院で死去した。82歳没[31][32]。法名は、「巨泉院釈克導」(きょせんいんしゃくこくどう)[33]。通夜と葬儀は親族のみで済ませ、9月5日に「大橋巨泉を偲ぶ会」を開催された[29]。2月に『徹子の部屋』で共演した親友・永六輔は7月7日に他界。公表されたのは巨泉の死の前日の11日であった。巨泉の訃報に際し急遽7月20日放送の『徹子の部屋』では、2月4日放送の永六輔と出演した放送分を放送した。