「核抑止論は虚構に過ぎない」 湯崎英彦・広島県知事
被爆75年の今日ここで、我々は、人々の予想と願いを裏切る大きな二つのことを目の当たりにしています。一つは、75年は草木も生えないという予言に抗(あらが)い、広島がこのように誇るべき復興を遂げているということ。もう一つは、この日までには、と願い続けてきた核兵器廃絶が、残念ながら未(いま)だ遠い現実であるということです。
本日、被爆75年を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に、広島県民を代表して、謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、未だ後遺症で苦しんでおられる被爆者や、犠牲となった皆様に核兵器廃絶の報告もままならぬご遺族の方々に、改めて、心からのお見舞いを申し上げます。
我々の切なる願いに反し、昨今の核兵器廃絶を巡る情勢は、極めて厳しい状況です。改めて、核兵器国を中心とする各国に、核兵器不拡散条約の遵守(じゅんしゅ)、核兵器禁止条約の批准、核軍備管理・軍縮にかかる枠組みの堅持、核実験自粛堅持と包括的核実験禁止条約の早期発効、そして核兵器の永久放棄を強く求めます。
なぜ、我々広島・長崎の核兵器廃絶に対する思いはこうも長い間裏切られ続けるのでしょうか。それは、核による抑止力を信じ、依存している人々と国々があるからです。しかしながら、絶対破壊の恐怖が敵攻撃を抑止するという核抑止論は、あくまでも人々が共同で信じている「考え」であって、すなわち「虚構」に過ぎません。万有引力の法則や原子の周期表といった宇宙の真理とは全く異なるものです。それどころか、今や多くの事実がその有効性を否定しています。
一方で、核兵器の破壊力は、アインシュタインの理論どおりまさに宇宙の真理であり、ひとたび爆発すればそのエネルギーから逃れられる存在は何一つありません。したがって、そこから逃れるためには、決して爆発しないよう、つまり、物理的に廃絶するしかないのです。
幸いなことに、核抑止は人間の作った虚構であるが故に、皆が信じなくなれば意味がなくなります。つまり、人間の手で変えることができるのです。
支配者であった武士階級が明治維新で廃止されたように、かつて最も敵対した国同士が今は最も親密であるように、どのようなものでもそれが人々の「考え」である限り転換は可能であり、我々は安全保障の在り方も変えることができるはずです。
いや、我々は、核兵器の破壊力という物理的現実の前にひれ伏し、人類の長期的な存続を保障するため、「考え」を変えなければならないのです。
もちろん、凝り固まった核抑止という信心を変えることは簡単ではありません。新しい安全保障の考え方も構築が必要です。核抑止から人類が脱却するためには、ローマ教皇がこの地で示唆されたように、世界の叡知(えいち)を集め、すべての国々、すべての人々が行動しなければなりません。
草木も生えないと言われた75年には残念ながら間に合いませんでした。このことについて、我々はすべての原爆犠牲者と被爆者に頭(こうべ)を垂れねばなりません。そして、改めて、被爆者がまだ存命の間、一刻でも早い時期に核兵器を廃絶することを、全ての国連加盟国が一致し、新たな目標として設定することをここに提案します。
皆さん、今こそ叡知を集めて行動しようではありませんか。後世の人々に、その無責任を非難される前に。
令和2年8月6日