昨日は、ウォーキングを休みました。
何とか時間を確保しないとといけないのだが、
昨日の朝は、雷がなり雨が激しく降り、歩くのは難しかった。
ここのところ飲み会が続いているのも理由の一つだが、
いい訳めいてしまうので、これ以上はやめよう。
今日こそは歩こう!と思う。
さて、今回とりあげるのは1886年生まれの山田耕作の作品。
序曲ニ長調は、1912年完成した短い作品で、
さわやかで流れるような音楽は、
まるでシューベルトを聴いているみたいだ。
日本人による最初の管弦楽曲のようである。
日本人の作曲家の多くはドイツ音楽や
フランス音楽に多大な影響を受けたが、
山田耕作はどちらかというとドイツ音楽の方だろう。
交響詩「暗い扉」は1913年に作曲された作品で、
序曲ニ長調とは作曲時期が1年しか違わないのに、
曲はリヒャルト・シュトラウスの交響詩の世界に似て、
後期ロマン派的な作風になっている。
曲名は三木露風という文学者の詩の名からとっているらしい。
交響詩「曼荼羅の華」も1913年に作曲した作品である。
タイトル名は彼の親友斉藤佳三の書いた詩の名から来ているが、
こちらもドイツの後期ロマン派的な作風で、
スクリャービンぽい部分も感じさせるところはある。
のちに山田耕作は、日本的な音楽を作曲するようになるが、
最初はドイツの音楽を模倣しながら、
何とか独自の作曲法を模索していったんだろうなあ。
1912年から1913年は彼がドイツに留学していた時期にあたる。
それにしてもその1年間で、作風は大きく変化している。
ある意味では劇的であり、その1年間で山田耕作は、
ドイツ音楽のたどった1世紀近くの変遷を
わずか1年間で自分の作品の中にとどめたことになる。
それを考えるとその音楽界の変遷を理解し、
作曲技術を体得した山田耕作はただものではない。
こんな人が日本の音楽の黎明期にいたのだから、
日本のクラシックの今があるのかなあと
つくづく、感心するのである。
何とか時間を確保しないとといけないのだが、
昨日の朝は、雷がなり雨が激しく降り、歩くのは難しかった。
ここのところ飲み会が続いているのも理由の一つだが、
いい訳めいてしまうので、これ以上はやめよう。
今日こそは歩こう!と思う。
さて、今回とりあげるのは1886年生まれの山田耕作の作品。
序曲ニ長調は、1912年完成した短い作品で、
さわやかで流れるような音楽は、
まるでシューベルトを聴いているみたいだ。
日本人による最初の管弦楽曲のようである。
日本人の作曲家の多くはドイツ音楽や
フランス音楽に多大な影響を受けたが、
山田耕作はどちらかというとドイツ音楽の方だろう。
交響詩「暗い扉」は1913年に作曲された作品で、
序曲ニ長調とは作曲時期が1年しか違わないのに、
曲はリヒャルト・シュトラウスの交響詩の世界に似て、
後期ロマン派的な作風になっている。
曲名は三木露風という文学者の詩の名からとっているらしい。
交響詩「曼荼羅の華」も1913年に作曲した作品である。
タイトル名は彼の親友斉藤佳三の書いた詩の名から来ているが、
こちらもドイツの後期ロマン派的な作風で、
スクリャービンぽい部分も感じさせるところはある。
のちに山田耕作は、日本的な音楽を作曲するようになるが、
最初はドイツの音楽を模倣しながら、
何とか独自の作曲法を模索していったんだろうなあ。
1912年から1913年は彼がドイツに留学していた時期にあたる。
それにしてもその1年間で、作風は大きく変化している。
ある意味では劇的であり、その1年間で山田耕作は、
ドイツ音楽のたどった1世紀近くの変遷を
わずか1年間で自分の作品の中にとどめたことになる。
それを考えるとその音楽界の変遷を理解し、
作曲技術を体得した山田耕作はただものではない。
こんな人が日本の音楽の黎明期にいたのだから、
日本のクラシックの今があるのかなあと
つくづく、感心するのである。