昨日は三枚町から新横浜駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1924年生まれのムラヴリョフの作品。
グルジアの首都トビリシに生まれた彼は、幼いうちに
父が働いていたレニングラードに母と共に移り住むようになった。
3歳の頃から母と祖母からピアノを習い始めたようだ。
スヴェルドロフスク音楽院で一時期学び、
その後モスクワ音楽院に転校したようだ。
作曲では映画音楽の分野で活躍し、教師としても活動したようだ。
交響詩「アゾフ山」ニ長調作品10の作曲された時期は不詳である。
聴いたCDは、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
ソ連国立交響楽団の演奏のものである。
弦楽器のユニゾンで始まるこの作品では、
のびやかで民謡風の旋律が管楽器・弦楽器に現れ、
豊かで雄大な山の自然を感じさせるところがある。
アゾフ山がどこにあるのかははっきりわからない。
ウラル山脈の中にあり、スヴェルドロフスクの地域にあるので、
彼が若い時期に過ごしたこの場所に対する愛着が、
きっとここに表れているのだろうと思う。
中間部になるとややショスタコーヴィッチ風になってくる。
この辺りはソ連時代の作曲家に共通する戦闘的な音楽である。
スヴェルドロフスクは、第二次世界大戦の時に、
ドイツ軍の侵攻に備え、ソ連の工場が多く移された歴史を持っている。
この作品にもその第二次世界大戦の影があるのだろうか。
勝利を歌い上げるような堂々とした音楽が奏され、
クライマックスはまさしくショスタコーヴィッチ的である。
最後は冒頭の弦楽器によるユニゾンの部分が再現され、静かに終わる。
途中聴いたのは、1924年生まれのムラヴリョフの作品。
グルジアの首都トビリシに生まれた彼は、幼いうちに
父が働いていたレニングラードに母と共に移り住むようになった。
3歳の頃から母と祖母からピアノを習い始めたようだ。
スヴェルドロフスク音楽院で一時期学び、
その後モスクワ音楽院に転校したようだ。
作曲では映画音楽の分野で活躍し、教師としても活動したようだ。
交響詩「アゾフ山」ニ長調作品10の作曲された時期は不詳である。
聴いたCDは、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
ソ連国立交響楽団の演奏のものである。
弦楽器のユニゾンで始まるこの作品では、
のびやかで民謡風の旋律が管楽器・弦楽器に現れ、
豊かで雄大な山の自然を感じさせるところがある。
アゾフ山がどこにあるのかははっきりわからない。
ウラル山脈の中にあり、スヴェルドロフスクの地域にあるので、
彼が若い時期に過ごしたこの場所に対する愛着が、
きっとここに表れているのだろうと思う。
中間部になるとややショスタコーヴィッチ風になってくる。
この辺りはソ連時代の作曲家に共通する戦闘的な音楽である。
スヴェルドロフスクは、第二次世界大戦の時に、
ドイツ軍の侵攻に備え、ソ連の工場が多く移された歴史を持っている。
この作品にもその第二次世界大戦の影があるのだろうか。
勝利を歌い上げるような堂々とした音楽が奏され、
クライマックスはまさしくショスタコーヴィッチ的である。
最後は冒頭の弦楽器によるユニゾンの部分が再現され、静かに終わる。