昨日は風邪でのどが荒れ、咳も続くので病院にいき、
そのあと二俣川から西谷まで歩きました。
家へ帰ってからは薬を飲んで休みました。
途中聴いた曲は1902年生まれのシェバリーンの作品。
聴いたCDは、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、
ソ連文化省交響楽団の演奏によるもの。
シェバリーンは、オムスクに生まれ、
1920年代モスクワでミャスコフスキーとグリエールに師事し、
モスクワ音楽院で1928年まで学び、卒業後は、
グネーシン音楽大学とモスクワ音楽院で教えた。
生徒にはティホン・フレンニコフなどがいる。
交響曲第3番ハ調作品17は、1934年から1935年の間に作曲された。
ショスタコーヴィチに献呈されたこの交響曲は、1944年2月11日に
ロジェストヴェンスキーの父アノーソフの指揮で、
モスクワ国立交響楽団により初演された。
第一楽章アレグロ・アッサイは、金管楽器の前衛的な感じの音に始まり、
弦楽器中心に行進曲風に軽快な音楽が奏され、管楽器が加わっていく。
緊張感みなぎる一方で諧謔的な部分もあり、ショスタコーヴィチ風である。
作品が作曲された時期を考えれば、戦争の影があるといっていいだろう。
最後は勝利を感じさせるような堂々とした音楽で終わる。
第二楽章アンダンテは、ゆったりとした感じで始まるが、
木管楽器により奏される牧歌的な部分もある一方で、
金管楽器と弦楽器による緊張感のある音楽が対照的に時々顔を出す。
最後は弦楽器中心に静かに消えるようにして終わる。
第三楽章ヴィーヴォ・アッサイは、軽快に始まる。
弦楽器による駆け抜けていくような音型の上が、
ショスタコーヴィチの音楽に似ている。
第四楽章アンダンテ-アレグロ・アッサイは、
前楽章から切れ目なしに入っていく。
最初ゆったりとした旋律が弦楽器中心に奏され、
金管楽器が加わり、盛り上がりをみせる。
そのあとパッサカリアとフーガの部分に入るが、
この主題はバルトークの管弦楽のための協奏曲を思わせるような
しかもその展開も似た印象を持たせるところが面白い。
一方で軍隊を思わせる行進曲的なリズムが現れ、
勝利に向かっていくような最後の盛り上がり方は、
ソ連の当時の音楽らしく、最後その中で華々しく終わる。
そのあと二俣川から西谷まで歩きました。
家へ帰ってからは薬を飲んで休みました。
途中聴いた曲は1902年生まれのシェバリーンの作品。
聴いたCDは、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、
ソ連文化省交響楽団の演奏によるもの。
シェバリーンは、オムスクに生まれ、
1920年代モスクワでミャスコフスキーとグリエールに師事し、
モスクワ音楽院で1928年まで学び、卒業後は、
グネーシン音楽大学とモスクワ音楽院で教えた。
生徒にはティホン・フレンニコフなどがいる。
交響曲第3番ハ調作品17は、1934年から1935年の間に作曲された。
ショスタコーヴィチに献呈されたこの交響曲は、1944年2月11日に
ロジェストヴェンスキーの父アノーソフの指揮で、
モスクワ国立交響楽団により初演された。
第一楽章アレグロ・アッサイは、金管楽器の前衛的な感じの音に始まり、
弦楽器中心に行進曲風に軽快な音楽が奏され、管楽器が加わっていく。
緊張感みなぎる一方で諧謔的な部分もあり、ショスタコーヴィチ風である。
作品が作曲された時期を考えれば、戦争の影があるといっていいだろう。
最後は勝利を感じさせるような堂々とした音楽で終わる。
第二楽章アンダンテは、ゆったりとした感じで始まるが、
木管楽器により奏される牧歌的な部分もある一方で、
金管楽器と弦楽器による緊張感のある音楽が対照的に時々顔を出す。
最後は弦楽器中心に静かに消えるようにして終わる。
第三楽章ヴィーヴォ・アッサイは、軽快に始まる。
弦楽器による駆け抜けていくような音型の上が、
ショスタコーヴィチの音楽に似ている。
第四楽章アンダンテ-アレグロ・アッサイは、
前楽章から切れ目なしに入っていく。
最初ゆったりとした旋律が弦楽器中心に奏され、
金管楽器が加わり、盛り上がりをみせる。
そのあとパッサカリアとフーガの部分に入るが、
この主題はバルトークの管弦楽のための協奏曲を思わせるような
しかもその展開も似た印象を持たせるところが面白い。
一方で軍隊を思わせる行進曲的なリズムが現れ、
勝利に向かっていくような最後の盛り上がり方は、
ソ連の当時の音楽らしく、最後その中で華々しく終わる。