一昨日は二俣川から鶴ヶ峰まで久しぶりに歩き、
昨日はウォーキングを休みました。
北アメリカ編についてはそろそろ終わりにしようかと思う。
途中聴いたのは、1918年生まれのバーンスタインが、
1963年に作曲され、77年に改訂された交響曲第3番「カディッシュ」である。
ボストン交響楽団75周年のためにクーセヴィッキー財団と、
ボストン交響楽団から1955年作曲を共同委嘱されて作曲された。
彼の略歴は以前述べたので省略する。
今回聴いたCDはモンセラート・カバリエのソプラノ、
マイケル・ウェイジャーの語り、ウィーン青年合唱団、ウィーン少年合唱団、
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による演奏である。
第一楽章は第1部「祈り」と第2部「カディッシュⅠ」によって構成される。
語り手が「おお、御父よ」と話しかけ、管弦楽が主題を奏でて始まる。
主題が変形される一方、語り手は祈りのことばをいい、
アーメンといったあと合唱によるカディッシュⅠの部分に入る。
最後は再び語り手のことばが入り、合唱がアーメンを繰り返して終わる。
第二楽章は第1部「ディン・トラー」と第2部「カディッシュⅡ」によって構成される。
打楽器の叩くリズムとともに合唱が入り、語り手が神への不信のことばを述べる。
打楽器が怒りを示すかのような激しいリズムを叩き、合唱がアーメンを歌う。
混乱とともに語り手が神の許しを求めることばをいい、
カディッシュⅡの部分に入り、ソプラノ独唱が入り子守歌を歌い、
合唱も加わり、穏やかで安らかな感じの歌が歌われていく。
終わりの方で、アーメンが繰り返され、語り手のことばが入って終わる。
第三楽章は第1部「スケルツォ」と第2部「カディッシュⅢ」、
および第3部「フィナーレ」によって構成される。
スケルツォの部分は木管楽器中心に始まり、やがて語り手が入る。
荒々しさや激しさをみせながら、「信じてください」ということばを繰り返し、
カディッシュⅢの部分に入り、少年合唱団は夢が終わることを歌っていく。
そして、フィナーレの部分に入り、管弦楽全体で不安な感じの音楽を奏でる。
そのあとは瞑想的な旋律がチェロなどにより奏でられていく。
そして弦楽器がゆったりとした旋律を繰り返し、語り手が入る。
神との和合を語り、そのあと混声合唱団と少年合唱団が入り、
さらにソプラノ独唱も加わり、フーガ風の展開が始まる。
やがて、管弦楽とともに盛り上がりをみせて、
いったん静まって、最後にクレシェンドして終わる。
昨日はウォーキングを休みました。
北アメリカ編についてはそろそろ終わりにしようかと思う。
途中聴いたのは、1918年生まれのバーンスタインが、
1963年に作曲され、77年に改訂された交響曲第3番「カディッシュ」である。
ボストン交響楽団75周年のためにクーセヴィッキー財団と、
ボストン交響楽団から1955年作曲を共同委嘱されて作曲された。
彼の略歴は以前述べたので省略する。
今回聴いたCDはモンセラート・カバリエのソプラノ、
マイケル・ウェイジャーの語り、ウィーン青年合唱団、ウィーン少年合唱団、
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による演奏である。
第一楽章は第1部「祈り」と第2部「カディッシュⅠ」によって構成される。
語り手が「おお、御父よ」と話しかけ、管弦楽が主題を奏でて始まる。
主題が変形される一方、語り手は祈りのことばをいい、
アーメンといったあと合唱によるカディッシュⅠの部分に入る。
最後は再び語り手のことばが入り、合唱がアーメンを繰り返して終わる。
第二楽章は第1部「ディン・トラー」と第2部「カディッシュⅡ」によって構成される。
打楽器の叩くリズムとともに合唱が入り、語り手が神への不信のことばを述べる。
打楽器が怒りを示すかのような激しいリズムを叩き、合唱がアーメンを歌う。
混乱とともに語り手が神の許しを求めることばをいい、
カディッシュⅡの部分に入り、ソプラノ独唱が入り子守歌を歌い、
合唱も加わり、穏やかで安らかな感じの歌が歌われていく。
終わりの方で、アーメンが繰り返され、語り手のことばが入って終わる。
第三楽章は第1部「スケルツォ」と第2部「カディッシュⅢ」、
および第3部「フィナーレ」によって構成される。
スケルツォの部分は木管楽器中心に始まり、やがて語り手が入る。
荒々しさや激しさをみせながら、「信じてください」ということばを繰り返し、
カディッシュⅢの部分に入り、少年合唱団は夢が終わることを歌っていく。
そして、フィナーレの部分に入り、管弦楽全体で不安な感じの音楽を奏でる。
そのあとは瞑想的な旋律がチェロなどにより奏でられていく。
そして弦楽器がゆったりとした旋律を繰り返し、語り手が入る。
神との和合を語り、そのあと混声合唱団と少年合唱団が入り、
さらにソプラノ独唱も加わり、フーガ風の展開が始まる。
やがて、管弦楽とともに盛り上がりをみせて、
いったん静まって、最後にクレシェンドして終わる。