「桜坂の家」のキッチン。油はねにも無敵(?)の黒タイルの壁に、小さな小窓がひとつ。
まわりの壁が黒いから、額縁のようになって緑が映えます。
たったこれだけのことで、ほっと息が抜けますね。
足早に過ぎ去った桜の季節の後、緑陰の心地よい桜並木を抜けて、ひさしぶりに「桜坂の家」を訪れました。前庭のジューンベリーの緑も若々しくて、いい具合。
この住宅は、僕が独立して事務所を構えて、最初に設計した家。だから、並々ならぬ思い入れ(!?)があります。そんな家も、できあがってまるまる7年が経過し、8年目の春を迎えました。この家が建つ敷地は、古色ある落ち着いた街で、とても静かな分、道行く人やご近所の気配が近い雰囲気の場所です。ですから、家の内と外に適度なキョリ感が出るようにしたいと、間取りや窓のプロポーションを一生懸命に考えた記憶があります。
家のなかにいて、とても落ち着くということ。そりゃあ、住み慣れた家であればどこでだって落ち着くよ、と言われそうですが、それでも、無為に過ごしているときに、じんわりといいなあと思えるような美しさをつくりだそうとするのは、なかなかに難しいことだと思います。それが、この家でうまくいったかどうか。
ジグザグとした間取りを利用して、窓越しには自分の家の外壁が見えるように設計してあります。そこには緑陰が映り込み、その雰囲気は時間と共に変化していきます。そう、家は動かないものだけれども、とても変化に富んだものにすることができることを、この家に教わったような気がします。
敷地の廻りの特徴を読み込んで読み込んで・・・。一か所、どーんと大きくとったダイニングの窓からは、お向かいのケヤキの古木が今日も見えます。その足元の、とても小さな、でもとても落ち着く中庭。家に使った材料が7年分の年をとって、味わいがでてきました。そして同時に、新建材といわれる工業製品の材料は、どれだけ時間がたっても、味わいにはならないし、見ていて嬉しくないなあということにも気づかされます。
この家ができあがった当初、まだ独立したてで鼻息が荒かった僕は、内覧会を開いたりして、どのような反応がかえってくるかを楽しみにしたところ・・・同業の若い設計者仲間からは、明確で鋭いコンセプトをもっとカタチに打ち出すべきだ、とか、イマっぽくないよね、というような感じの反応で、ちょこっとペシャンとつぶれたような気持ちにもなったのでした(笑)。でもこうして7年経って、当初考えていたことの効果がじわじわと表れてきたように思えて、ようやくしっくりとくるようになりました。まあ、鮮烈なものよりも、やんわりとしていて、懐の深いものにつながっていくのが希望です(笑)。
「緑と住まい」というような内容でブログが続きましたが、最後にもうひとつ。
先日、オノ・デザインで設計した「桜坂の家」に遊びに行きました。住み始めてから、ちょうど3年ほど経ちました。
こんもりとした緑。
大きな左官塗りの壁。
控えめに開けられた窓。
ようやく、地域の古色ある雰囲気になじんできました。
中にはいると大きなソファのあるコーナーがあって、そこにも素適な窓辺を思い描いていました。
白い障子がたてこまれ、穏やかな光に満たされた静かな空間。
そして障子を開けると、ジューンベリーの鮮やかな緑に包まれるような空間。
外からの視線も気にすることなく窓を開けて、読書する時間が楽しい明るい窓辺。
3年の間に成長した植栽が、ようやくこの空間を実現してくれました。
都市部の小さな敷地では、うかつに窓を開けるとすぐに外からの視線にさらされ、なかなか落ち着いたスペースがつくれません。家の配置と、窓の配置と、植栽の配置。これらを小さな敷地のなかで、やりくりをしながらあれこれと考え、ようやく居心地のよいスペースができあがるように思います。僕にとっての「居心地の良さ」とは・・・どうやら、静けさとか、秘めやかさとか、そんな風な言葉で表現されるものなのでしょうか。
「桜坂の家」ができたとき、オープンハウスを開きました。多くの方に来ていただいて、それは光栄なことだったのだけれど、今こうしてあるべき姿に落ち着いてきたのを見ると、あの時、あまりこの住宅のことを紹介できていなかったのだろうという悔恨の念もでてきます。なにしろ、できたてほやほやで初夏の太陽のもと、むき出しのまま天日にさらされていたような状態でしたから。
僕の設計する住宅の場合、求める空間の雰囲気が得られるまで数年間、どうやら辛抱強さが必要のようです。それでも、長い時間をかけて味わいを増していく住まいなのであれば、むしろ喜ばしいことなのだろうと思います。
桜坂の家も竣工から1年が経ち、先日、1年点検を行いました。工務店の監督さんと一緒に、じっくりと見て廻りました。結果、数箇所にペンキの剥げ落ちが見られたので、その手直し。玄関のドアチェックの調整など。細かな部分を何点か手を入れることになりました。手作りでつくられた家は、こうして少しずつ手をいれながらずっと住み続けていくもの。
久々に眺める桜坂の家。オマエ、すこし大きくなったんじゃないか?どこか、こんもりと山のような外観。植えてから1年経った植木はだんだん大きくなってきました。建物と緑の調和。その植木の間からダイニングテーブルのペンダントライトが垣間見え、穏やかな生活の様子がしのばれます。
道路に面してしつらえられたコンクリート製の雨樋受けの花壇には、賑やかに花が植わっています。小さな花壇ですが、その中だけを思いきっていろいろな色の花を植えるのが、とても楽しいのだそうです。そんな楽しみがあるのも、建物の表情が簡素で穏やかだからかもしれません。
帰り道、桜坂のそばを流れる六郷用水を通りながら駅へ。静かな木漏れ日のなかを歩んでいくと、桜坂の家に求めた住まいの在り方が、どんどんと思い出されてきました。古びた街の記憶。自分が生まれる以前からこの街にあり続けた、静かで穏やかな雰囲気に寄り添うような佇まいを、桜坂の家に求めたのでした。身の丈にあったちょうどよい大きさの、穏やかで素朴な質感をもち、そして内部では、きりりと引き締まった日本的な空間が支配するような。
設計をはじめる際、若い住まい手から最初に言われた要望は、「ワインのように年月と共に家も住まい手も味わいを増していく、そんなあり方を求めたい」
この家はそんな住まい手の気持ちに対しても、そして桜坂の「地霊」に対しても、僕なりの回答としてデザインしたものです。
こんな話を聞いたことがありました。
京都の古い町屋のなかには、それぞれの部屋を誰が使用するかによって、柱の太さや造り方を変えているものがあるそうです。たとえば、主人の部屋は柱も太く力強い雰囲気に、そして、女性が使用する部屋では、柱の角を大きく面を落として華奢に見せていた、とのこと。一目みただけでは同じように見えても、その部屋が何なのかを見事に表している。空間づくりの上質な遊びだと思います。そうした繊細な感性が、昔の日本の家にはあったということでしょう。
桜坂の家の主寝室には、窓際に鏡台がしつらえてあります。鏡台といっても、板一枚だけの、とても簡素なもの。厚さ3センチのこの板は、大工さんに頼んで小口をつるりと丸く仕上げてもらいました。さきほどの話を思い起こして、女性が使う場所としての柔らかい雰囲気を、この簡素なしつらえにも宿したいと思ったのでした。
一方で、この家の主人の書斎机は、大きな欅の一枚板。荒々しい男性的な風合いが魅力です。どちらの机にも、障子を通した柔らかい白い光に満たされた空間を用意しました。