ベルリン紀行Ⅲ~雪あかり日記~

2008-06-30 19:21:40 | 旅行記

東京工業大の教授だった昭和の建築家・谷口吉郎の著作に、「雪あかり日記」というエッセイがあります。谷口は第二次世界大戦の前夜、国から日本大使館建設の命を受け、ベルリンへ渡りました。近隣諸国との一触即発の緊迫感を肌身に感じながら、最後は在ベルリンの日本人がほとんど引き揚げた後のベルリンにぎりぎりまで残り、日本への最終連絡船で脱出するまでのエピソードが綴られたものが「雪あかり日記」です。暗雲たちこめる時代背景と、厳寒のベルリンのイメージが重ね合わされたその文章には、これから間もなく戦災で失われるであろう美しい街並み・建築への哀惜の念にあふれていました。

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ベルリンで最も美しいと評される広場、ジャンダルメンマルクト。写真は広場に建つフランス聖堂。TASCHENの写真集「Berlin」からの出典です。かつて爆撃を受け徹底的に破壊された広場も、再建され蘇りました。しかし正しくは、蘇ったのは建物のカタチだけで、そこに宿っていた古びた質感や雰囲気は忘れ去られたのだろうと思います。

それでも、戦後しばらく経った今になって初めて、この街の過去を知らない僕がベルリンを訪れ、このツルピカの広場に身を置いてみて心地よいと感じたのは、とても意義深いことだと思います。

ふたつの聖堂とコンサートホールに囲まれた、「ちょうどいい」大きさの広場。

21世紀の今、若いミュージシャンがバッハを練習しているのを見ながら、ベンチに腰掛けてゆっくりとしている時間。

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きっと、かつて爆撃をうけたんだなあ、という郷愁に浸る必要なんかなくて、この状態が在り続けることこそが大切なのでしょう。街並みの風景も、昔の写真からするとすべて変わりました。それは今の東京とも同じでしょうし、昔のものが残り続けるリスボンのような街とは対極にあるものです。ですが、ベルリンの現在が、実に居心地がよい。おそらく無名の市井の設計士が再建してきた建物群は、奇をてらうことなく実直で、合目的的な姿勢に貫かれています。都市風景は変わったけれど、在り続ける姿勢や求められるモノは、変わらない。そんな街の気分を、羨ましくも思いました。

闇の部分がないわけではありません。一歩街から踏み出せば、石に刻まれた弾痕は生々しくいくつも残っています。たとえば旧東と西の境界・グリーニケ橋。黒ずんで、焼けただれたまま、のような。

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そして、ユダヤの歴史を記録するために建設されたユダヤ博物館も、シナゴーグも、外には警備隊が控えています。なんらかの事件が起きないように、念のため、ということでしょう。もうヒトラーはいないし、壁も崩壊した現在。それでもまだ、見えざる暗い何かが、この街の気分のなかに混ざり込んでいることは確かです。

美しかったベルリンが独裁者の気配に満たされていく時代に生きた谷口は、現在の街の様子を見てどう思うのでしょうか。もう二度と見ることはできないと思い、「脳裏に押し込む」ように建築を視察して廻ったそうですが、「雪あかり日記」にも登場し、わずかばかりに残った谷口の愛した建築、シンケルの作品について、次回のブログでお話したいと思います。

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FANTASMA  ~幽霊~

2008-06-12 21:22:20 | 日々

雨続きの日々。

そんなときには、雨に降られ続けたベルリンの写真はちょっと小休止。

かわりにカラリと晴れたときの写真を。

ある日の自由が丘の家の写真。

6年経って、少しずつ庭に増えていくモノ。

草木。いつの間にかぐんぐん伸びる。

そのひとつひとつが影となって、なにやら予感めいた感じ。

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FANTASMA.  ~幽霊~

たしか、ジョージア・オキーフの家の写真集に、影を指してそんなことが書いてあったな。

オキーフの家のように土でできた家ではないけれど、ここは日本、モノクロームの美学で勝負だ!とばかりに、自由が丘の家は白と黒の漆喰で塗られている。それももう6年経って、まだらになってきた。なかなかいい味だ。でも、その壁や床にくっきり映り込む影は鮮烈だ。美しい。そして謎めいている。明るく、透明なものにはない。

そんな予感と謎の中をぐんぐん進むのは、ロビン王子。彼には影の美しさなんかおかまいなしだろう。いや、もしかしたらわかっているのかも、人間より。

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ベルリン紀行Ⅱ~白について~

2008-06-05 19:35:02 | 旅行記

白いこと。これについては多くの人々がその含蓄深さについて語ってきました。僕の記憶のなかに強く残っているのは、建築家の白井晟一が書き記したエッセイ「豆腐」のこと。それらは、白のなかに含まれる文化的なイメージにまで言及したものでした。白いということは、新鮮で清らかでありながら、同時に多くのことを含むということかもしれません。

ドイツの重く暗い冬の日々を過ごす中で、いくつもの美しい「白」を見つけました。それは光り輝く鮮烈な「白」ではなく、内側からぼぉっと光る、優しい希望のような。あるいは夢のようであり幽玄な。

ベルリンの街並みは煉瓦や塗り壁で仕上げられる建物が多く、落ち着いた色調をしています。それは冬の暗い曇天のなかにあっては、とても沈んだ印象になります。しかしその内部に白が使われるとき、その白にはあらゆるイメージが芽生え始めます。

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ベルリンで最も古い教会。重厚な石積みの内部は、プロテスタントらしく装飾が抑えられ、清々した雰囲気。まるでそれまでの歴史のしがらみを洗い流してしまったかのよう。

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ベルリンの国立美術館。石の基壇の上に載せられた、黒い鉄の神殿。その地下にある常設展示室にはいった瞬間、ドライエリアからの柔らかい自然光に満たされた爽やかな空間が広がります。設計したミース・ファン・デル・ローエは、「国立」という重厚な「黒」の鉄の表現のその下に、権力から解放された自由な国民のための殿堂をイメージしたことでしょう。国内外のアーティストの作品が、かしこまることなく自由に配置され、柔らかな白い光のなかに遊んでいるかのよう。

そんなところに、僕はベルリンでの自由の断片を感じました。

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ベルリンは森が多い街です。それは近郊の街ポツダムまで続き、その広大な森の中には、かつての宮殿が散在しています。霧がかった苑路を歩んでいくと、それらの宮殿のひとつひとつが、姿を現しては消えていきます。その体験は、まるで夢のよう。夢のような体験には、実に白がよく似合う。

シャルロッテンホーフ宮殿。これは夏の離宮でした。夏には草花が咲き乱れ、とても華やかな場所になるそうです。ですが建築家シンケルはイメージしていたでしょうか、冬の霧がかった木立のなかに、ぼぉっと浮かび上がる白く夢のような神殿の姿を。「ピクチャレスク」って、本来はこういうことを指すべきなんだろうな。言葉はどうも勝手に一人歩きしちゃうのだけれど。

明るくシンプルなだけの白ではなく、深みのある白を求めたいものです。そう、「豆腐」のような。

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