コンペ受賞式で福岡へ行った話の第二弾。あついあつ~い日だった福岡の話。
福岡に来たのは、中学のときの修学旅行以来でした。もう20年近くも前のこと・・・なんでそんなに来なかったんだろう??そこでまずは修学旅行で訪れた太宰府天満宮にお参りに。集合写真のときのことはなんとなく覚えているけど、その他の風景はまるで覚えがありませんでした。旅館の夜の想い出は残ってるんですけどねぇ。
でも、当時は訪れなかった天満宮の脇にある小寺に心が留まりました。光明禅寺という名で、苔庭が美しい寺でした。苔庭が有名な寺として、京都に西芳寺というお寺がありますが、西国にその写しのように美しい庭に出会えたことに感激しました。九州の寺や屋敷は、豪奢で力強いものが多いイメージがあったのですが、京都の意匠を積極的に取り入れ、楽しんでいたかのようです。
苔庭に浮かぶお茶室。雅で、自由です。そして緑を通して室内に入ってくる光は緑色を帯びます。姿カタチではなく、そこにある光によって、室内と庭とは融け合っていきます。
コンペ授賞式会場は大川市産業会館でした。そこからほど近くに柳川市はあります。柳川といえば・・・そう!鰻ですよね~!!そこで向かったのが老舗の鰻屋さん。注文したのは名物「せいろむし」。いやー絶品です。川べりの緑の雰囲気に包まれた、自然光だけの空間。この店の雰囲気が、また食事を美味しく見せてくれます。
柳川には文化遺産が点在しています。そのひとつ、旧戸島家住宅に訪れました。高い建物のない街並みのなかで、藁葺きの屋根が愛らしく頭をのぞかせています。江戸時代の住宅の遺構で、当時流行した「数寄屋風」とよばれる、形式を崩した自由な作風です。こんな暑い日に、ごろんと畳に寝っ転がりながら、(ちょっと寝そうになりながら・・・いや寝てた?)楽しく暑い日の午後を過ごす。そんな自由な雰囲気に溢れています。それでも素朴なだけではないのは、京都の洗練された数寄屋の造形意匠をどん欲に取り入れ、気候・風土に合わせながら独自の自由な意匠と空間をつくりあげているからでしょう。
家の中を歩き回ると、内部と外部が楽しく交錯し、庭の風景と室内の風景が現れては消えていきます。ぴんと背筋を伸ばしたくなるような格式の高い表現がある一方で、愛嬌のあるデザインも散りばめられています。
写真は、寝っ転がりながら撮った一枚。深い軒。通り抜ける風。吟味された柱の位置や意匠。西国の住宅文化の質の高さに浸りながら、もう少しつっこんで勉強したい気にもなりました。
柳川は運河が発達した街です。今でも屋形船に観光客を乗せて、船頭さんの歌声とともに風流な光景が広がっています。目抜き通りだけでなく、それは分流として日々の暮らしの裏側を通り、なんでもないような場所に、風雅な気分が広がっています。
この「広がっている」ことは、現在ではとても貴重なことです。以前、京都・上賀茂の円通寺の住職に聞いた話で、「物事を点として遺すのはやりやすい。しかし、共生ということを考えるのなら、点ではなく、面として広がりをもって遺したいところなのですが、なかなかそうもいかないのが現在という時代です・・・」という言葉を思い出しました。柳川は運河が網の目のように広がっているおかげで、事物が途切れることなく関係しあっているような感覚を保持しています。日常の生活も、戸島家のような文化遺産も、昔から続く鰻屋も。その関係を意識的に大切にしているからこそ、どれひとつ犠牲にすることなく生き続けることができたのかもしれません。自分が住む街も、そんな「面的な関係」が築かれる街になっていきたいものですね。