西の果ての街

2006-10-22 14:46:38 | 旅行記

明日から、視察旅行にでかけます。行き先は、パリからリスボンへ。なぜこの2都市を選んだかについては、いろいろと理由があるのですが、街がもつ「身体的な」感覚をきちんと把握したい、ということがもっとも大きな理由かも知れません。ある意味では対照的なこの2都市には、その複雑な歴史も含め多くのイメージが語られてきました。それを自分自身のなかで消化したかったのです。

以前ブログで「桜坂の家」に関しコラムを書いたのですが、概念的な造形理論とは別に、街並みのスケール、雰囲気、色、音、など、「身体的な」感覚について、僕は大切に考えています。そして、それらは他人が撮った写真を通して理解することは難しいものです。最終的には自分の体で感じ取る必要があり、建築家にとって旅は不可欠だと言われる理由は、そんなところにもあると思います。

パリ。かつて思想家ヴァルター・ベンヤミンが魅せられ多くの言説を残した街。そしてその彼がナチに追われ、アメリカへの亡命の経由地に選んだとも言われる、西の果ての街リスボン。その途上で自害し、見ることの叶わなかった陽光あふれるメランコリックな街。またこのブログのなかで、僕にとっての2都市のイメージを紹介していきたいと思います。

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お弁当

2006-10-18 15:03:43 | 日々

毎週水曜日には、ちょっとした楽しみがあります。それは、近所のお米やさんが水曜日だけつくっているお弁当。これが、じつに美味しいのです。とてもこじんまりとやっているので、あまり知られていないのかもしれません。

061018毎週メニューが変わるのですが、特に珍しいメニューというわけではなく、いわばふつうのお弁当。白いごはんに、メインのおかずと、つけあわせ。そのひとつひとつが、丁寧に控えめに味付けされています。優しい味であることが一目でわかる、自然な色合い。しかしよく見ると、盛りつけ方が実に気が配られているのです。それが、ごく普通のプラスチックの器に入れられているのだけれども、ちょっとかわいい箸入れが、ささやかなアクセントにもなっています。値段もごくごくふつう。それにしても、この内側がぼぅっと光る感じは、いったい何なのだろうか?

僕がかつて会社に勤めていた頃、オフィス街だったその界隈には、お昼になると多くのお弁当屋さんが車で販売にきていました。通称「くるまべん」とよんでいたのですが、そのどれもが趣向を凝らし、他のお弁当屋さんとの差異化を図っていました。会社の同僚達と情報交換や批評(?)をするのも楽しいものでした。

先に挙げたお米やさんのお弁当は、その「くるまべん」競争のなかにはいれば、一見もっとも目立たない存在でしょう。それでも、注意深く配慮された盛りつけ方、彩りなどは、静かな光を放つような存在であるかもしれません。そしてその控えめでありながら奥深い味付けは、趣向を凝らしたメニューとは別物です。結果的には、お米やさんのお弁当は、「ふつうさ」を極めた姿なのかもしれません。それがまわりめぐって、個性を「売り」にする世の中で独特の存在感をはなっている。ちょっと大袈裟ですが、そんなふうにも思います。

061018_3 今日のメニューは、鳥の唐揚げ南蛮風(ちょい ピリ辛風味)切り干しだいこん、イカときゅうりの酢のもの、金時豆、といった感じです。ふつうなんだけど、なにか内側から光る感じ、写真から少しは伝わるでしょうか。

来週も楽しみにしていますね、おばちゃん。

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桜坂の家.3~桜坂冬ざれ~

2006-10-14 16:53:37 | 桜坂の家

061014_3 桜坂の家の敷地にはじめて訪れたのは、ある冬ざれの一日でした。史跡「桜坂」は東急線の沼部駅にあります。駅を降りると、駅前に人通りは少なく、静かで穏やか、そしてどこか厳かな雰囲気さえ感ぜられました。理由はすぐにわかりました。通常、都会の駅前というのは、店が建ち並び多色彩な舗装や街灯が続いているものですが、この街は一角を寺がしめていました。その外周部は左官塗りの壁が続き、その壁に沿って、用水路が流れています。この用水路は江戸時代に灌漑用水としてつくられたもので「六郷用水」と名付けられています。長い時間を重ねてきた風格のようなものが、その雰囲気のなかに感ぜられました。

過去のものを残していくことは、功利主義の世の中ではなかなか難しいものです。しかしながらこの街にとって、この穏やかで厳かな雰囲気はおそらくずっと続いてきたものであるし、これからも存続させていくべきものだと、このときにつよく思ったのです。

左官塗りの壁に映り込む、樹木の影。その凛とした雰囲気は、春、やまももをはじめ花が咲きみだれ華やかさに包まれます。界隈の桜坂の桜とともに、一年に一度、道行く人々を楽しませてくれるのです。そうして一年、また一年と、ゆっくりと時間を重ねてゆく。

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桜坂の家の外観には、そんなイメージを託したいと思いました。穏やかな左官塗りの壁。その前に植えられた花木。季節ごとに、住まい手だけでなく道行く人々にも楽しんでもらえるような街角の一角をかたちづくりたいと思ったのです。この界隈にずっとあり続けてきた穏やかで厳かな雰囲気が、このちいさな街角にも宿り続けることを願いつつ・・・。

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リッキー・リー・ジョーンズ

2006-10-04 15:50:38 | 音楽

061004 普段、事務所ではFMラジオを聴くこともあり、最近の曲なども頭のどこかでフレーズが残っていることもありますが、あまり本腰をいれて「開拓」することもないまま過ごしてきました。そんななかにあって、ずっと好きで聴き続けているミュージシャンがいます。名前はリッキー・リー・ジョーンズ。アメリカを拠点に活動する女性シンガーソングライターで、70年代末にデビュー曲「恋するチャック」などがヒットし一世風靡をしたそうです。

僕がリッキーを知ったのはちょうど10年前。CDショップの試聴コーナーで、さして取り立てることもなく置かれていたアルバムを聴いて心を奪われたのでした。さっそく1枚聴いてみようと思い、初めて選んだのは、そこから更に7年前 1989年に発表された「フライング・カウボーイズ」というアルバムでした。理由は単純、ジャケットの絵が気に入ったから。

可愛くもあり、物憂げでもある歌い廻し、難解な歌詞など、その独特な魅力は一言では言い表せません。オリジナルの曲以上に、スタンダードナンバーのカバー曲も多く、どれもが独特なものに生まれ変わります。まるで、美しい曲を時代を越えて歌い継いでいくかのよう。そういえば、近世以前の美術も、多くは定型的な宗教モチーフをくりかえし描くことに大きな意義がありました。まったく新しいことを生み出すことが芸術の目的ではなくて、自分以前の遥か昔から受け継がれてきた題材を、大切に受け継いでいく。

昨年末に来日公演がありました。間近で見た彼女の顔には皺が大きく刻まれ、その独特のオーラにのみこまれました。時を重ねていく、時を受け継いでいく、時を越えていく・・・。どのような言葉がふさわしいのかはわかりませんが、結局おなじことを指すのでしょう。自分が設計する建築あるいはデザインも、そのように懐の深いものでありたいと、リッキーを聴きながら、よく思います。

音楽は目に見えるものではありません。ですから写真に撮れるわけではありませんが、10年前に購入したCDジャケットは、10年分のくたびれかたをして、僕の傍らに置いてあります。昔のLPレコードほどではないでしょうが、CDにもそういった個人的な追憶がついてまわります。最近ではi-PODも愛用していますが、「音」と共に歩んできた時間も、大切にしたいところですね。

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