リクルートから発刊される雑誌「コレカラ」のプレ創刊号に、僕たちの事務所で設計した「桜坂の家」が掲載されました。この雑誌は、主に50~60代の人に向けて、定年退職後の人生をより充実させるためのヒントを散りばめる、というコンセプトで編集されているそうです。
今回は、「桜坂の家」の書斎を事例として、小さなスペースに本棚などをつくりつけ、自分のためのスペースをつくる際の参考として紹介されました。3面が造り付けの書棚に囲まれた空間。そこに並ぶ背表紙や小物類は、長い時間をかけて蓄積されてきたもの。見ているだけで、いろいろなことが思い出されたり、新しい何かのヒントになったり。楽しいものです。
<桜坂の家>http://www15.ocn.ne.jp/~onode/sakurazaka.html
設計/オノ・デザイン建築設計事務所
施工/株式会社 栄港建設
いよいよ明日、「ミシュラン・ガイド東京2008」が発売になるそうですね。とは言っても、僕自身はそれを待ちこがれるほど食通なわけではないし、そうなるにはまだ早い(笑)
答えがないものに対して、評価を定める。この難しさは、建築を生業にしている僕にとっても、学生時代から悩まされてきたものでした。最近は僕が学校の非常勤講師をはじめたこともあって、学生からの「なぜこれが良いのか?、なぜあれがダメなのか?」というような疑問にも堂々と答えていかなくてはいけないし、課題があれば、評価とコメントもつけていかなくてはいけない。なかなか胸が痛むものですね。
フィギュアスケートなどのように、ある程度の評価基準と点数が明示されていれば多少納得はいくのでしょうが、先日テレビに出演していたミシュラン・ガイドの総責任者の発言は、決して具体的なものだとは感じられませんでした。星のつかなかった腕利きのシェフや料理人からは、不平不満もあることでしょう。
いろいろな意味を込めて話題になっている今回のミシュラン・ガイドですが、とにかく嬉しい点は、日本料理が絶大に評価されたということですね。我々の国の文化が、世界に本当に誇れるものなのだということを再認識するような出来事です。食文化だけでなく、日本の古建築も、海外からは「洗練の極地」のように言われることが多いのです。その文化の先っぽにいる我々建築家も、文化を継ぐ誇りと責任をもって仕事に取り組んでいかなければいけませんね。ましてや、建てて儲かりゃそれでいい、なんていう態度は文化に失礼、もっての外ですよね。
師匠の建築家・村田靖夫が亡くなりました。一昨日の夜。62歳という若さでした。建築家としては、まさにこれから集大成としての作品を残せるはずでした。若いとは言っても、35年以上にわたる長き建築家人生。今の僕にはあまり想像のつかない道のりです。
村田さんの事務所の門をたたいてから、5年。「センセイと呼ぶな、ムラタさんと呼べ」というところから師弟関係は始まりました。村田さんのもとでの修行時代を通して、僕の人生は大きくかわりました。不安定で、孤独で、自由。建築家とは大海原に浮かぶヨットみたいなもんだよという先生の言葉を信じて、僕もこの先を進んでいくほかありません。
いずれ、このブログのなかでも折りに触れて村田さんのことは書いていきたいと思っています。どれほどの人がその文章に目を通してくれるかはわからないけれども、少しずつでも建築家・村田靖夫について共有していければいいと思っています。
いつだったか、独立後に村田さんからメールに添付していただいた小彼岸桜の写真を載せます。とても厳しい方でしたが、植物を前にされたときの先生はとても優しそうなお顔でした。
先日工事がはじまった「印西爽居」では、建物以外にも大きな楽しみがあります。それは、施主の実家に多く保管されている山桜の板材を用いて、大きなダイニングテーブルやベンチ、それから、ちゃぶ台を作ることにしています。
僕の知り合いに古市さんという腕利きの家具職人がいて、製作を古市さんにお願いすることにしました。家のデザインや使い勝手に合わせて僕が図面を引き、古市さんが製作するという二人三脚で、家具が出来上がっていきます。
昨日は、工房のある山梨県塩山市から、はるばる千葉県東部の香取郡まで出向いていただき、資材の受け渡しをしました。
よく晴れた絶好の行楽日和。高速道路のサービスエリアで待ち合わせ、連なって現地へ。建設業を営んでおられる施主の叔父様にも手伝っていただき、ホイストクレーンを用いて資材をおろしながら、目当ての材料を探していきました。
当初は埃にまみれてよくわからなかったのですが、埃を払ってみてみると、木の芯に近い大きな山桜の板材が出てきました。数十年も保管してあった良材。2枚接ぎで大きなテーブルが作れるほどの大きさです。木目の美しさに家具職人の古市さんも目を丸くしていました。最近では、材木問屋に行っても、良材はなかなか入手できないそうです。良材そのものが無いわけではないのですが、ベニヤ加工用などに大枚をはたいて業者が買っていくそうで、家具職にわたる材木は、その残りというところだそうです。家具職にとって、いい樹木に巡り会うことはこれ以上ない幸運なのかもしれません。古市さんにとっても、気合いの入る仕事になりそうで、声をかけた僕としても嬉しい限りでした。
トラックに材木を積み、お気をつけてと声をかけて車を見送りながら、これからの寒い季節の間に、山あいの小さな工房のなかで、山桜の大きな板がゆっくりと丹念に手をかけられながら美しい家具に生まれ変わっていく様を想像していました。