あついあつい今年の夏。同じようにとても暑いときに訪れたローマの思い出から。
とある修道院にて。
日本の建物に比べて、ローマの古建築は壁が多く、窓が小さいのが特徴です。
目も眩むような陽射しが、小さな窓から入ってきますから、まるで闇と光が闘っているよう。
そんな光に照らされて、天井のフレスコ画がぼぉっと浮かび上がっていました。
美術館で照明でライトアップされるのではなく、自然の光だけで素朴に浮かび上がるフレスコ画は、内側から光るような美しさがあります。
だんだんと剥離していくのはフレスコ画の宿命ですが、そのぶん、存在の強さが際立つようにも思います。
欠けていることによって、むしろ強く在る、という感じ。そんなことを、画家の有元利夫が言ってたっけ。
個性を求めることなく、神の僕として絵を描くのみ。芸術に個性が芽生える以前の時代の絵画は、懐が深くて、とにかく色使いが渋い!
床に目を移すと、古びた床に光の影が踊ります。
すべてのものが、作為の演出ではなく、あるがままに。
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