ヨーロッパの街では、多くの場合「新市街」と「旧市街」にエリア分けされています。「新市街」では再開発など積極的に新しい街づくりを進める一方、「旧市街」では古い街並みをなるべく残すようにされていて、観光名所もたいていの場合はこちらの方に属しています。
新しい技術を取り入れたり、斬新なデザインの建築物の多くは「新市街」の方にありますし、これから新しい建築物を設計していく上では、こちらの方が直接的に参照できるものや刺激を受けるものが多いだろうとは思うのですが、これまで旅行をしてきたことを思い返すと、ほとんど「新市街」に行くことはなく、「旧市街」を彷徨い歩くようにして過ごしてきました。
僕にとっては、「旧市街」の街並みの方が、仕事の上でも圧倒的にヒントがつまっているように思いますし、何しろ歩いていてワクワクします。街並みそのものは、意図的に「こんな風にデザインしてやろう」という感じはなく、結果的にできあがったアノニマスな雰囲気が魅力です。近郊で採れる材料を使って、石をひとつひとつ積み上げるようにしてできあがった街並みは、素朴な趣きがあります。そのなかに表情をつけるように、それぞれの建物には(多くの場合は家ですが)窓やドアやベンチやポスト口、ちょっとした植栽などが、生活の断片をほのめかすように取り付いていて、それらが独特の愛らしさを生み出しているような光景によく出会います。
きっとここにあるであろう、落ち着いた雰囲気や窓辺の情緒を想像してみるのはとても楽しいことです。そして、魅力を損なわないよう、傷んだところは修復し、足りないものは丁寧に補いながら、長い時を存在し続ける。そんな在りように心惹かれます。
簡素古朴な美しさをもつ建物を修復するようなつもりで、家を建てる。いつの間にか、そんなような意識をもって設計の仕事をするようになりました。それがたとえ新興住宅地で、色とりどりの新建材でできた家々に囲まれた敷地であったとしても、本来はこういう街並みが有り得たのではないかという街並みの光景を想像し、その一断片として家を考えたいと思うのです。それはまさに「旧市街」のなかにひっそりと佇む家のように。
自分の設計する家を目立たせようとするのではなく、生活の断片が趣きをもって感じられるように、適材適所、材料を選び、ひとつひとつ丁寧につくっていく。それが、時を経てもなお輝き続けられることにつながっていくと思うのです。