脚線美

2009-08-31 23:39:10 | 写真

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ちょっと時期遅れですが、ガンダムの勇脚を後光を浴びて。
言わずと知れたお台場の実物大ガンダム。
当然ながら主役ロボットが選ばれて作られたわけだけれども、ジオン軍ロボなら、よりモリモリしてド迫力だったんだろうなあ・・・と思った人も多かったのではないでしょうか。ザクとかドムとか。
来ていた人はみんな、バッチリ童心にかえっていました。

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京都さんぽ9 ~追憶の庭~

2009-08-25 19:58:32 | 京都さんぽ
 

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京都に、僕にとってとても気になる寺があります。大徳寺 高桐院。大徳寺にある塔頭寺院のひとつで、通常見学できる4つの寺院のうちのひとつです。以前にJR東海のCMにも登場しましたが、紅葉が美しいことで有名な場所です。ただ、僕が惹きつけられてやまないのは、紅葉の美しさではなく、その境内がもっている独特の静かな雰囲気でした。これまでに何度となく通って、時間を過ごしてきました。紅葉の季節でなく、むしろそれ以外の人が少ない季節に。
 建築史にもほとんど登場することのない、建築学的には無名の寺。でもその空間には、独特の引力があると思っています。開放的で明るいこととか、風が抜けて気持ちよいとか、そういう意味での心地よさではないようです。うまく言えませんが、何かに思いを馳せる場所、というようなニュアンスでしょうか。
 どんなに美しい風景であっても、ずっと見ていればいずれ飽きるかもしれません。でも、その風景のなかに散りばめられた事物に、何らかの物語を感じとったとしたら。例えばそれが戦国の動乱期を生きた細川三斉・ガラシャ夫妻や、千利休にまつわるものであったとしたら。幽玄な雰囲気のアプローチを抜け、片耳の欠けた燈籠に出会い、敷地奥に配された極端に暗い茶室のなかに、一条の光を感じとる。境内を歩きまわり、それらの断片に接しながら、頭のなかでゆっくりとそれらがつなぎ合わされ、次第に、この寺にまつわる3人のエピソードに重ね合わされていきます。

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 明るくて開放的である、風が抜けて気持ちよい、など。人間が心地よく過ごすための場所は、本来そういうことで十分なのだと思います。ですが、何かに思いを馳せることができるような場所がつくられれば、そこは、より懐の深い人間的な空間だと言えないでしょうか。文化人類学者レヴィ・ストロースは、客観的な価値が与えられないような単なる事物にも、個人的な愛着や思い入れが、価値としてきちんと備わっていると言いました。カタチの背景にある記憶をたぐり寄せるようにして、居場所をつくる。そんなことができたら素適だと思います。高桐院はそのよう場所だと思いますし、そのヒントがつまっているように思うのです。
 雨に濡れた飛び石ひとつひとつが、何かの物語をもって浮かび上がっているかのような、高桐院の空間。「静かな場所」の真意があるように思います。

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京都さんぽ8 ~夏の山寺~

2009-08-16 20:59:34 | 京都さんぽ

 小学校の同窓会があり京都に行きました。集まる人数が少ない割には頻繁にあるこの会、今年の会場は上七軒のビヤガーデン。上七軒歌舞練場のなかにあります。詳しくはわからないのですが、この界隈は花街として祇園や先斗町よりも歴史が古く、かつ格が高いとのこと。新選組のエピソードに出てくる花街も、ここだそうです。その中にあって、このビヤガーデンは一般の人でも気軽に入れる場所として人気が高いそうです。歌舞練場や茶室などに囲まれた中庭がビヤガーデンのスペースとなっており、舞妓さんや芸妓さんもテーブルで談笑している、不思議な光景。庶民的な雰囲気になっているのが、気苦労がなくていい感じ(笑) カメラを持って行かなかったのが悔やまれる・・・。
 その日はとても暑く、とてもじゃないけど市中にはいられないような感じでした(後で聞いたところ、毎日こんなもんやで、京都の暑さ忘れたんかいな、しゃあないやっちゃなと同級生にも苦笑いされる始末。)やはり京都の夏は暑いんですね。そこで僕は同窓会の時間まで、山へと逃げ込んだのでした。北西にある高雄という地域の、有名な山寺ふたつを訪れました。神護寺と高山寺。高山寺についてはこのブログでも書いたことがありました。
 建築を職業としていると、おのずと社寺仏閣への興味がわきます。学問としての建築史に通じているのはもちろん必要なことだけれども、それ以上に、それらが現在でもなお心地よい居場所になり得ていることは敬服すべきだし、そのエッセンスをしっかり体感し学びたいものだと思っています。そのとき、建築専門外の人の著作や話のなかに、居心地の良さや美しさの本質が見え隠れするときがあります。例えば、写真家・土門拳。彼の著作に触発されて、このふたつの山寺をもう何度となく訪れてきました。行くたびにいい。いつ来てもいい。そんな風に思える場所は、なかなかありません。

神護寺の、夏の石段。いつ来ても、特別の高揚感があります。

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 同じく神護寺の大師堂。土門拳が「しっとりとした佇まいが魅力」と述べた、弘法大師の簡素な住宅。単に素朴であるのとは違い、簡素とはなんたるか、この住宅を前にするとしみじみ考えさせられます。

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 高山寺石水院。明恵上人の住宅。土門拳はとりわけ冬ざれの高山寺に惹かれていたようだけど、僕にとっては夏もいい。大きな庇が日射しを除け、風が心地よく抜けていく。黒くシルエットになった柱や雨戸と、緑や花との鮮烈な対比が、美しい。単純なつくりなのに、懐のふかい、不思議な不思議な住宅。あちこちに散りばめられている、物語りの込められたような愛らしい造作も、懐を深くしている要因かもしれません。

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 今回訪れて気がついたのですが、残念なことに、愛くるしい造作のひとつ「六葉の釘隠し」が、すべて新しいものに取り替えられてしまっていました。鎌倉時代からの風雪に耐えてきた優美な釘隠しを、来るたびに撫でながら土門拳はいろいろなことを考えたそうです。僕もマネして撫でながら考えること数回。でも、もう叶わぬものになってしまいました。在りし日の写真を思い出に。

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軽井沢セミナー

2009-08-07 21:34:53 | 日々

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先週末に、早稲田大学芸術学校のセミナーで軽井沢に行きました。
雨、曇、雨・・・。ベテランの先生方が「こんなに晴れ間が無かったことはない」というほど、青空に見放されたセミナーとなりました。屋外でのワークショップやゼミが活動の中心となるだけに、できれば晴れて欲しかったのですが・・・。

 でも、小雨の降る自然は、緑が鮮やかに映え、湿度を含んだ涼やかな空気に、身も心も洗われるような気持ちになります。マイナスイオンを全身に受け、何か忘れていたものを取り戻したような(笑)、いい時間だったようです。
 僕は、白樺や松が群生する雑木林でのワークショップに参加し、続いて、近郊にある村野藤吾設計の美術館「小山敬三美術館」に行き、写真撮影のセミナーを行いました。
そのときのカットから2枚。

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