リッキー・リー・ジョーンズを聴きながら。

2024-10-16 23:11:07 | 旅行記


10月中旬の今の時期になると、学生時代に初めて海外旅行に行ったときのことを思い出します。
スペインとフランスへの旅。
バルセロナから入ってガウディの作品に出会い、カタルーニャ地方でロマネスク美術を浴びつつピレネー山脈越え。
くるくると回りながら走るかわいい登山電車に揺られながら国境を越え、南フランスからパリへ向かう旅。
ヘッドホンでRickie Lee Jonesの曲を聴きながら、写真以上にスケッチを描き続ける旅でした。

フランスでは建築家ル・コルビュジェが設計した作品「ロンシャンの教会」を訪れました。

光、闇、色、量感。
そんな目に見えるものを必死に目で追い、
そのなかに巨匠が込めた「時間」や「記憶」といった目に見えないものの象徴や暗喩を、必死に嗅ぎつける。
若い時だからこそ夢中でできた、純粋無垢な建築の味わい方でした。

この旅で買い求めた、ロンシャンの教会の作品集と、パリの文房具店で見つけたペンケース。
こうしたカタチあるものを通して、かつて自分が夢中になったことに想いを馳せる時間も、楽しいものです。
作品集は今でもページをめくり、ペンケースは建築現場に連れていく。
そう、過去のものではなく、僕にとってはまさに今、共にあるものなのです。
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旅のスケッチ

2024-08-31 21:35:20 | 旅行記


 スケッチブックの山。これらは、ぼくがこれまでの旅先で描いたものです。
大学で建築学生だった頃、先生からは、とにかくスケッチを描きなさい手を動かしなさい、と呪文のように言われていたものですから、旅先には必ずスケッチブックを持っていって、気に入ったシーンがあればスケッチに描く、ということを続けました。

 当時はデジタルカメラもまだ高価で、スマホで写真を撮るなんて考えもしない時代。
それでも、気取ってリバーサルフィルムを旅先に持っていきましたが、撮る枚数も限られますし、現像するまでちゃんと写っているかどうかもわかりません。
ですから、写真に撮れないぶんはスケッチに残すしかない、というわけです。

 何回か海外へ建築を見る旅の機会を得るうち、現地でスケッチブックを買って描くようになりました。
そのまま持ち歩いてハードに使うので、旅が終わるころにはボロボロになっていたりして。でもそんなことも思い出になります。

 風景を見たままペンで描いたり、コンテを使って陰影に凝った表現をしてみたり、メジャーで測って寸法を記録したり。思ったことを余白に書き留めたり。
今思えば、そんな不器用でゆっくりな旅の時間は、貴重だったんだなと思います。

 スケッチをしながら続ける旅は、一緒に誰かがいると気兼ねしてしまうので、一人旅のことが多かったように思います。
スマホで情報収集もできない時代の海外での一人旅は、半分は不安と一緒に過ごしていたように思います。
夜、ホテル(というか安宿)に戻って、無事に帰ってこれたと安堵しながら、「執筆活動」と称してその日の記録や思ったことを文章にしたり、昼間に描いたスケッチに色エンピツで着色したり・・・。
そんな時間が大好きでした。

 もうこの数年間になると、手元には手軽に撮れる膨大な量のデジタル写真が主となり、スケッチはごく僅かになってしまいました。
手軽に撮れるカメラがあると、仕方がないですね・・・。
でも、写真もいいけれど、するすると頭からこぼれ落ちて行ってしまうのです。
スケッチを見返して、この時にこんなことを思ったんだよな、とか、こういうことに感動したんだよな、などと思い返せるのは、かけがえのないことなのだと思います。
こんな時代にアナログ賛歌ではありませんが、この世に一品しかない、思い出いっぱいのこの下手なスケッチ集たちを、今後も大切にしていこうと思います。
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夏のローマの思い出

2024-08-18 22:10:56 | 旅行記


あついあつい今年の夏。同じようにとても暑いときに訪れたローマの思い出から。

とある修道院にて。
日本の建物に比べて、ローマの古建築は壁が多く、窓が小さいのが特徴です。
目も眩むような陽射しが、小さな窓から入ってきますから、まるで闇と光が闘っているよう。

そんな光に照らされて、天井のフレスコ画がぼぉっと浮かび上がっていました。
美術館で照明でライトアップされるのではなく、自然の光だけで素朴に浮かび上がるフレスコ画は、内側から光るような美しさがあります。

だんだんと剥離していくのはフレスコ画の宿命ですが、そのぶん、存在の強さが際立つようにも思います。
欠けていることによって、むしろ強く在る、という感じ。そんなことを、画家の有元利夫が言ってたっけ。
個性を求めることなく、神の僕として絵を描くのみ。芸術に個性が芽生える以前の時代の絵画は、懐が深くて、とにかく色使いが渋い!



床に目を移すと、古びた床に光の影が踊ります。
すべてのものが、作為の演出ではなく、あるがままに。



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ONE TEAM

2023-10-09 22:44:53 | 旅行記


フランスで開催されているラグビーのワールドカップ。
日本代表、惜しくも決勝リーグ進出とはなりませんでしたね。

中学や高校にもラグビー部がありましたが、その練習の激しさたるや、凄まじいものがありました。
練習の厳しさという点において、やはりすべての部活動の頂点に立つものだっただろうと思います。
代表チームのレベルになると、世界中からそんな過酷な経験を積んできた選手が集い、そしてぶつかり合うわけですから、まさにオールアウト、すべてを出し尽くすことになるのだろうと思います。
そんな厳しい練習環境のなかから、おのずとONE TEAMという共同体の精神が培われていくのでしょう。
滅私、すべてはチームのため、仲間のため。

パリ市内も、パブリックビューイングやカフェなどでの放映で盛り上がっているでしょうか。
パリの中心にあるノートルダム寺院。有名な正面からの外観ではなく、側面から見ると複雑なカタチをしています。
ノートルダムはある一人の建築家の設計ではなく、何人もの建築家が時代を経ながら関わり、何世紀にもわたって造られていきました。
自分が生きている間には完成した姿を見ることはないだろう。
そんなことをわかりながら、自分に与えられた役割を吟味し、最善を尽くして次の世代に託していく。

こちらも、静かなるONE TEAMだなあなんて思います。
そんなことを思うとき、この側面の外観が愛おしく思えてくるのです。
大火災の惨事から立上り、着実に改修が進んでいくのを祈るばかりです。
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サン・ダミアーノの庭で。

2023-08-19 22:42:27 | 旅行記


とても暑い夏に訪れたイタリアの街アッシジのことを、よく思い出します。
アッシジはイタリア中部にある小さな街で、聖フランチェスコの生きた街としてカトリックの聖地になっています。
エリオ・チオルの写真集や、作家・須賀敦子さんのエッセイに触れて以来、ずっと訪れたいと思っていました。
とりわけ、街の中心部から離れたところにある、サン・ダミアーノという小さな修道院に思いを強く抱いていました。

小鳥のさえずりを聞きながら、オリーブ畑の続く坂道をずぅっと下っていったところに、サン・ダミアーノがあります。
須賀敦子さんは、このなかにある小さな庭がとても好きだったそう。
「聖キアラの庭」とよばれているそうですが、庭というよりも小さなテラスのような雰囲気で、小さく開けられた視界からはトスカーナの風景につながります。
この小さな庭には、いつも草花が活けられているそうで、しばらくこの場所にいると、心がとても静かになっていきました。



修道院ですから、祈るための部屋があちらこちらにつくられています。どの部屋もシンプルでつつましやかな雰囲気で、小さな窓から入ってくる自然光が穏やかに室内を照らしています。
長く使い続けられていたであろう木製のベンチや書棚がすっかりいい味になって、自然光のなかで美しく浮かび上がっていました。
そうした部屋の隣に、この小さな庭があって、草花もあって、風景もあります。

室内も庭も小さいのだけれども、それがかえって親密で、愛らしく、安心感に満ちた雰囲気でした。
こういうのを、心の寄る辺になる場所、というんだろうなあ。


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