一年点検

2009-05-24 12:31:26 | 印西爽居

先日、千葉の住宅「印西爽居」に一年点検に行きました。木製の建具が多いこの住宅。木製の建具は、家ができあがってからしばらくは、温度や湿度の変化でどうしても歪みやすいという宿命をもっています。それを様子を見ながら、必要に応じて調整していくことが必要です。今回の点検ではそうした箇所を念入りにチェックしました。
僕は常々、住まいの「質感」を大切にしたいと思っています。風合いともいうのでしょうか。できた当初よりも、むしろ年月を帯びて味わいを増していく雰囲気は、日々の単純な暮らしそのものを美しいものにすると思います。木製建具には、そんな風合いが宿る魅力があります。無垢の木の床もそう。ペンキ塗りの窓枠が、人の手に触れて少しずつ黒ずんでいく様も。そして、緑も。時間を帯びて古びていくことを積極的にデザインに採り入れていくことは、想像が膨らんでとても楽しいものです。

090524

印西爽居のデッキコーナーはリビングからひとつづきになっています。デッキの床も雨風にうたれて灰色を増し、なじんできました。モミジも少し枝葉を伸ばしてきました。植えたばかりの頃は、どこか明るい天日にさらされていたようなこの空間も、陰りのある、秘めやかな雰囲気になってきました。
この住宅の外壁が黒く塗られているのも、そんな雰囲気に呼応させたかったからでした。その黒い壁が美しく保たれるように、自ら塗料を塗り直してくれた住まい手には、頭が下がる思いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い家

2009-05-17 20:32:02 | アート・デザイン・建築

最近、僕が講師をしている学校で、建築の模型づくりを練習する授業がありました。

建築模型の材料は時代と共に変遷してきましたが、現在ではスチレンボードと呼ばれる白いスチロール樹脂の板が主流になっています。厚さもいろいろあって、カッターで簡単に切れてボンドで簡単にくっつきます。

ある建物を題材に、授業でスチレンボードを使った模型づくりの基本的な演習をしました。授業後、ある学生がちょっと物足りなさそうに寄ってきて、石膏で模型をつくることはできないのか、という質問を受けました。そうですね、昔は石膏模型は多かったようでしたよ。とても質感があって、それ自体がオブジェのようで。そんな受け答えをしながらいろいろ話をしていると、どうやらスチレンボードのつるっとした無味乾燥な質感に愛着がわかないし、それを見ていてもあまりイメージが浮かばない様子。なるほど。

白いスチレンボードのつるっとした表情の模型が似合う建築といえば、ル・コルビュジエだとかのモダニズム建築が挙げられそうです。そして、学校教育の場合は大概、この作家の名前が最初に出てきて、この人は巨匠で偉大な人です、この人の作品は近代の金字塔です、よーく勉強するように、というような話がされます。白い豆腐のようなつるっとした住宅群。・・・何がいいんだろう??建築界に仲間入りできないような焦りと疑問にさいなまれました。そんな調子ですから僕は決して優秀な学生ではなかったけれど、唯一誇れることと言えば、コルビュジエの建築図面を集めて、いっぱい模写をして勉強したこと。そしてその面白さにようやく気付きコルビュジエのファンになったものの、その後フランスに行って実際に見た白い豆腐のような住宅群は、僕にとっては胸を打つものではありませんでした。現代という時代に見たからだと思います。そのような体験を通して、自分にとってかけがえのない建築とか空間とは何ぞや?という疑問を持ったのでした。卒業論文でガウディをテーマに選び、石膏まみれになりながら曲面づくしの照明器具をつくったりしました。そのどれもが、白いスチレンボードの模型では表現できないものばかりでした。

それでも今、僕は仕事の途中でスチレンボードを使って模型をつくり、イメージしたり検討をしたりします。やはりある程度のスピードの中で物事を検討し決定していくためには、この利便性は素晴らしいものがあります。でも、取り扱いは簡単だけれども、そこに具体的な求めたいイメージを観想するのはなかなか困難です。でも、それができなければ、僕が設計する建物はきっと無味乾燥なものになりさがってしまいます。だから、模型を眺める目にも馬力を込めて(笑)

石造の様式建築の街並みの中に、コルビュジエの白い住宅が現れた瞬間は、度肝を抜くほどに鮮烈で美しかったことでしょう。白いつるっとした豆腐のような存在であることが、かけがえのない質感そのものだったのだろうと思います。現在、表面的にコルビュジエのような建物をつくることは、単にコルビュジエ風のファッションということだと思います。白いつるっとしたスチレンボードの模型を見ながら、イメージのなかで変幻自在させていく力こそが必要なのでしょう。まだまだ精進しないと。

もし芸術学校の学生さんがこのブログをみていたら、コルビュジエのトレースはぜひオススメします。図書館に作品集がありますからね。スケールを整えて、手描きで。好きであってもそうでなくても、自分のなかの指標のようなものになると思うのです。

090517

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食事会

2009-05-11 11:55:37 | 庭師と画家の家

090511

「庭師と画家の家」の住まい手の方から、建設にたずさわった方々をディナーにご招待いただきました。各職種の皆さんが集まり、総勢14名!賑やかな会になりました。そのぶん準備が本当に大変だっただろうと思うのですが、手料理が並び、心のこもったおもてなしに感動しました。

この住宅の工事を担当していただいたのは、僕の師である故・村田靖夫が懇意にしていたオカダコーポレーションという工務店でした。僕が村田さんのスタッフだった頃、住宅ができあがった後このような会にご招待いただいた際には、村田さんが真ん中にいて、その隣に僕も座らせてもらっていました。その頃に顔を合わせてきた各職方のメンバーと一緒に、こうしてまたご招待いただけるのは、嬉しくもあり、背筋が伸びるようでもあり。村田さんはもういないけれど、やはりどこかにいるような。

師匠がお亡くなりになって、寂しいでしょう。施主に言われた言葉。施主は僕よりもずっと前から村田さんとお付き合いのあった方。そうですね。寂しいです・・・でもなんか、腹の底にずっと先生いますよ、今でもよく怒られてます。たぶん同じように弟子ひとりひとりの腹の底に、やはり生きているんでしょうねぇ。なにしろ迫力あるひとでしたから。鬼の形相でつくりあげた、静かな住宅。言葉のイメージにギャップがあるけれど、そうしないと本当に美しい静けさはつくりあげられなかっただろうし、結局、その静けさとは、迫力に満ちた雄弁な沈黙だったのだと思う。

少しずつ絵も飾られ始めました。どの絵をどのように飾るか、思案中とのこと。高窓からの光の下、床置きになって飾られるのを待つ絵。そのなかを悠々闊歩する黒猫。なにやら不思議な魅力があります。

090511_2

090511_4

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住宅のスタディ

2009-05-03 17:50:55 | 住宅の仕事

設計の案を練ることを、よく「スタディ」とか「エスキース」というふうによびます。決して計算から割り出すのではなく、敷地の様子や光・風、住まい手の生活をイメージしながら、ああでもないこうでもないと、迷い悩みながら案を探していきます。

僕の場合は、よく模型を作ります。スタディ・モデルとよぶもので、設計案を考えては、さっと作るのがコツ。自分がイメージしたものが良いものになるかどうか、模型にするとよくわかります。ですから、時間をかけて念入りにつくるよりも、ダメ案になるのを覚悟でどんどん作っては、やり直しをしていきます。

下の写真は、最近はじまったばかりの、ある住宅のスタディ・モデルです。

090503_6

秘めやかさ。

陰影豊かな内部。

木漏れ日のある静かな窓辺。

そんなイメージをたぐり寄せていきました。

同じコンセプトであっても、住まい手のライフスタイルや使い勝手、敷地の条件などにより、いろいろな案が考えられます。ひとつの計画に対しても、いくつもスタディ・モデルをつくらないと良い案には帰着しないというのが、僕の考えです。

同じようにスケッチ・ドローイングもよく描きます。これも案が完全にできあがってから描くのは遅いようで、案を練っているときに描いてこそ意味があるようです。090503_3

そんなふうにして、住まい手と打合せを重ねながら、行ったり来たりして最終的にできていくひとつの案。どんな風にまとまっていくのだろう。スタディはずっと続いていきます。

090503_5

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする