4月にはいってからというもの、東京では雨が続きます。
雨の日は外に出かけるのが少し億劫にもなりますが、しとしとと降る雨を室内から窓越しに見ているのも、どこか気持ちが落ち着きます。
庇から垂れる滴が、テラスの舗装面にあたってトントントン・・とリズムよく刻む音も、聴いていて心地よく思います。
音楽家ブライアン・イーノがアンビエントと呼ばれる音楽をつくりだしたきっかけが、入院中の病室から聞いた雨音だったということを聞いたことがあります。
雨というのは、独特の感情をもたらしてくれるものだと思います。
先日、住宅雑誌の取材がありました。雨続きのなかで運よく晴れた日に撮影は行われました。
陽の光で物事は明るく照らされ、影がくっきりと浮かび上がる。住宅にとっては華やかな雰囲気になります。
雨の日に撮影することもあるんですか、と聞いてみたところ、それはほとんど無い、とのことでした。
それはそうですね、雨の日の絵面ですと、誌面が沈んだ雰囲気になってしまいますものね。
でも、ホントは雨の日って、けっこういいんだけどな。
京都にある桂離宮については、建築の専門書から、造園、文学に至るまで、とても多くの書籍が出されてきました。
当然、様々な着眼点から桂離宮をみることになります。
そのなかで、桂離宮と雨について書かれた文章を読んだことがありました。
雨の日には葉っぱに丸い水滴が多く浮かび上がります。その風情を楽しめるように植える木々の配置を工夫してある、というものでした。
桂離宮はゲストハウスのような役割の建物でしたが、そこで「過ごす」ことを楽しむということは、あたりまえにやり過ごしてしまいそうな身の回りのものに、ようく目を凝らして、そこにある美しさや趣を発見しようとしたものだったのだと思います。
そう、美しさや趣は、つくりだすのではなくて、発見するものなのかもしれません。
上の写真は、僕の設計アトリエの窓から見た今日の眺め。この場所に居ることが長いから、窓辺を居心地の良いものにしたいと思ってつくったものです。
庇は大きく張り出しているので、雨の日にも窓を開けていても降り込んでくることはありません。
雨の音色と、玉の滴が身近に感じられます。葉っぱの足元の闇はいっそう深く。
どうということはない眺めだけれども、しばらくいると効いてくる、そんな居心地の良さが好きです。