ベルリン紀行Ⅳ~ポツダムのシンケル~

2008-08-29 20:38:12 | 旅行記

ベルリン近郊には、森や湖が多く残されています。かつての王侯貴族たちも、都市ベルリンでの生活に窮屈さをおぼえ、郊外の風光明媚な場所に別荘を求めたといいます。

19世紀初頭。宮廷建築家カール・フリードリッヒ・シンケルが活躍した時代も、多くの宮廷建築が郊外に建てられました。宮殿だけが主役なのではなく、広大な森と湖と共にある場所。草花が美しく咲き、野鳥がさえずる場所。ベルリンからほど近い場所にそんなユートピアを求めたようです。イタリアの歴史あるモチーフ、ギリシアの権威ある造形。そんな数々を、まるで幻影のようにドイツの森の中に埋め込むこと。それは、現代の我々からはなかなか理解できない価値観かもしれないけれども、そうしたかつての文化への「憧れ」のようなものは、美しい幻想的な場所として、今も我々は目撃することができます。ポツダムにあるサンスーシの森のなかに、カール・フリードリッヒ・シンケル設計の宮殿「庭師の家」は静かに佇んでいました。

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この住宅は、夏の離宮としてつくられました。イタリアやギリシアのモチーフにあふれ、中庭を囲むようにして建っており、茶室としてのパビリオンや浴場などを取り入れながら、周囲の自然と一体となってつくられています。森の風景が美しく切り取られ、川の流れが中に取り込まれています。小舟に乗ってパビリオンにアプローチするという趣向。大きなパーゴラがかかる小庭には、コージーなベンチコーナーがしつらえられ、その廻りは草花で覆われるようになっています。そのコーナーから見える風景は、サンスーシの森。建物内のアーチをくぐるたびに、次々と息をのむ光景が現れます。

広大な森のなかで楽しく過ごすための工夫が、この住宅には散りばめられています。どこでどんなことをするのか、ひとつひとつ丁寧にイメージされ、それに見合ったしつらえが造られています。

夏の戸外での生活を積極的に楽しむこと。それは、たんに居心地が良いということだけでなく、当時の王侯貴族たちにとって必要とされた品格ある場所として、時空を超えた歴史感を楽しむピクチャレスクな場所として。

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僕の師・村田靖夫さんは、屋外を積極的に生活空間として取り入れようとした人でした。長い年月を過ごす住宅においては、まずしっかりと内部をつくること、そして外部も生活空間として活用することで、飽きのこない豊かな住まいづくりができるのだ、と。その一連の設計手法を「アウトドア・リビング」と称していました。村田さんは亡くなる2,3年ほど前にベルリンを訪れていました。でも、ここポツダムまでは足を伸ばしていなかったでしょう。自然や草花が大好きだった村田さんは、この住宅を見たらきっと気に入ったにちがいない・・・そんな風に思いました。僕が見たのはシーズンオフの冬。草花は無く、しかも雨。それでも、夏の美しい風景のことを想像し、19世紀の建築家が抱いた美しきイメージに心酔しました。

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ブライチ

2008-08-22 17:00:48 | 音楽

先日、群馬音楽センターにて開かれたクラシックコンサートに行きました。アンコールを含めて4曲演奏されたのですが、そのなかでも楽しみにしていたのが、ブラームス作曲「交響曲第一番ハ短調 作品68」、略してブライチ。

この曲は大ヒットマンガ「のだめカンタービレ」で大きく取りあげられたことで、よりそのファンを広めたとも言えます(かく言う僕もそのひとりで・・・)

ブラームスはベートーヴェンに私淑し、その影を乗り越えようと苦しみながら作品を生み出していった人だったようです。その極めつけがこのブライチ。完成までまでの道程は長く、3歩進んでは2歩戻り、実に21年(!)の月日をかけて完成されたものでした。その曲調はとても重厚で、「ムダな音が一音もない」とも評されます。

音楽の世界にはやはり天才はいるのだろうと思います。溢れ出るイメージを曲にし、それがどれも素晴らしい。そうやって名曲は多く生まれたと思いますが、僕がブラームスを好きな最大な理由は、その慎重居士ぶりです。思いついたイメージに頼ることなく、考えに考えを重ねて作品を作り上げていくその姿勢です。それはどこか建築の設計にもつながるような気がしています。もちろん、頭に浮かんだ「空間のイメージ」をサラサラっとスケッチして、こんな感じの建築はどう?っていう才能の持ち主もいると思いますが、僕にはそもそもそんな能力は備わっていません。だから、考えに考え、何回もやり直しながら、自分がもっとも良いと思うものを発見していく、そんな態度を貫いていきたいと思っています。ブラームスの曲を聴いていると、パッと出のアイデアでは到底たどりつかないような、荘重で、永続的な雰囲気を感じ取ることができます。それが何より、自分にとって励みにもなるように思うのです。

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ところでコンサートが開かれた群馬音楽センターは、建築家アントニン・レーモンドの作品です。市民楽団のための、コンサートのためだけの建物。いろいろなことができますよ~というオール・イン・ワン型の箱モノではなく、その存在に、「地域に音楽を根付かせたい、地域の文化意識の象徴である」というような強い意志を感じます。老朽化したって、外のカミナリの音がすこ~し演奏中に聞こえるぐらい壁が薄くたって、設立の強い意志がみなぎった空間は、とても気持ちが良く美しいものでした。

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石山修武の展覧会

2008-08-14 20:15:30 | アート・デザイン・建築

世田谷美術館で開催されている、建築家・石山修武の展覧会に行きました。石山先生は、僕が建築を学んだ早稲田大学建築科の教授で、大ボスのような存在でした。

はじめて講義を受けたのは大学2年の時。既往の建築意匠論とは距離を置き、社会的な活動として建築を位置づける価値観は、僕ら学生にとって刺激的なものでした。しかし、もともと凡庸な頭の持ち主が、先生の講義を受けていきなり有能になるわけではありません。いざ課題ともなれば、200人もの学生がレースのように案を競うわけですが、僕などはそのたびに凡庸さ・愚鈍さをこき下ろされ(笑)、どのようにしたら石山先生からも好評を受けるか知恵をしぼったものでした。200人ものマンモス学科ともなれば、学生の課題作品ひとつひとつについて先生からコメントを下さるわけではありません。単純に、「普通ではないもの」をつくり先生の目に留まらなければ、コメントをいただくことすらできないのでした。

時間は経ち、僕は村田靖夫さんの事務所に入所し、勉強をすることになりました。「変わったことをするのが建築家だと世間で思われているなかで、変わったことをしない建築家として知られている」という自身への評を好んだ方でした。先生お得意の自嘲気味な(?)態度かもしれません。ただ、その「普通」さは徹底的な検討と努力の果てにあることを身をもって叩き込まれました。そして、その「普通」さを繰り返していく果てに「洗練」があることも、です。古来から続いてきた品格ある建築の文化を担っていく迫力が、実作品には染み渡っていたように思います。

学生時代に、課題作品で村田事務所で担当したような案を提出したら、きっとコメントの壇上には上がらなかったでしょう。「なんだこれ、普通じゃないか」と。でも今は、もう少し複雑に考えるようになりました。「普通」さは決して凡庸などではなく、「洗練された普遍」ともいうべきものになるのではないか、というようなことです。そしてそれは最終的に、社会の中に力強く残っていくものにもなり得ていくのではないか。

一方で、今日、石山先生の展覧会を見ながら、その溢れ出るイマジネーションにはやはり気圧されるものがありました。もう卒業して10年、学生当時のようにその言説にワクワクすることはなかったけれど、大事なモノを感じることができました。自分の道に、仕事に、迫力を持つこと。「オマエら、小さくまとまんなよ」という先生の静かでコワイ言葉が聞こえてきそうでした。小さくまとまることのない、誇り高き「普通」。これはムズカシイ。

石山修武と村田靖夫。1歳違いの同世代のおふたり。顔がコワイところはそっくりで、その作風と哲学は真逆。作品が紹介される誌面でも、同じ壇上に居合わせることはありませんでした。そのおふたりの先生を見て建築を勉強できたことを、有り難く、そして誇りに思います。

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フェンシングを応援しよう!

2008-08-08 15:08:38 | 日々

いよいよ北京オリンピックが始まりますね。今回のオリンピックは、メインスタジアム「鳥の巣」が建築デザインとして話題になりました。そのような意味でも、どのようなオリンピックになるのか多少興味があるのですが、今回、僕が一番興味があるのは、メイン競技ではなく・・・フェンシングです。通常、テレビでもほとんど放映されないのですが、今回はメダルの可能性もあるとか。

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実は僕は、高校時代に部活でフェンシング部に所属していました。その頃に使っていたマスクと剣がこの写真。当時もマイナースポーツでしたが(泣)、用具を扱っている専門店が、東京に2軒、京都に1軒あるきりだったように記憶しています。おかげで用具を買いに行ったり修理にだすだけで一苦労でした。この前、神田神保町にあったはずの店をのぞこうと思ったところ、大きな再開発ビルにのみ込まれていました。あーあー、どこいっちゃったんだろ。国内でどんどんマイナーになってっちゃうのかなーと思っていたところ、今回の北京では、世界ランク7位の太田選手をはじめ、メダルの期待がかかるとか。なにしろ日本人が世界ランク7位というのが驚きでした。

高校時代、ソウル五輪に出場した出野晴信さん(当時大学生)と、練習試合をさせていただいたことがありました。高校生相手に本気を出さないのは当然としても、自身の剣を傷つけたくないのか、手の甲で僕の剣を軽くいなし、一瞬でポイントを突かれ負けたことがありました。今では、オリンピック選手と試合(?)をしたというのが密かな自慢ですが、ホントに強いです、オリンピック選手は。そんな人たちが世界中から集まってきて勝ち抜いていかなければいけないのですから、そう簡単に「金の可能性は?」なんて言っちゃいけませんよね。

多分ほとんどの人が見たことのないフェンシング、11日と13日でNHK衛生第一で放送してくれるようです。必見です。

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配筋工事 進行中!

2008-08-02 14:04:03 | 庭師と画家の家

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「庭師と画家の家」の基礎配筋工事が進んでいます。

この建物は、幅3メートル、長さ20メートルの細なが~い住まい。都市の隙間に忍び込むようにして建つ(?)住宅です。細長い建物という点では、京都の町屋のような建物を連想する方もいらっしゃるかもしれません。建物の真ん中に坪庭や光庭がとられたそれらの空間は、とても魅力的です。設計当初はそのような案も練ったのですが、駐車のこと、庭師の資材置場などの問題から、その案は断念せざるを得ませんでした。それでも案を練り続けることを通して、空中に持ち上げられた、南北に抜けるような空間ができあがってきました。

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長さ20メートルもの空間を、光と風が通り抜けていく、「光と風を望む楼」。この案は鉄骨造によって可能になりました。最上階の3階に用意された心地よい空間を、空を見上げながら思い描きながら、まずは土を掘り、しっかりと基礎固めの段階です。20センチ角の鉄骨柱を支えるのは、深さ1メートルもの頑強な基礎。そこにベースパックという柱脚をセットし、しっかりと柱を固定します。木造よりもはるかに太く多い鉄筋の数と大きな基礎。それを支えるのは、関東ローム層といわれる頑強な地盤で、通称「赤土」。土を掘る作業をしている現場から「アカでました~」の報告電話をもらうと、ほっとひと安心です。アカが出て喜ぶなんて、普通はヘンな話ですが、地面の中は「クロ」より「アカ」が良いようです(笑)

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