床のデザイン

2007-01-31 20:44:05 | アート・デザイン・建築

道路の舗装はすっかりアスファルトが主流になっていますが、舗装になにか手が施されている道は歩いていて楽しいものです。旅先でみつけたものから、いくつかの写真紹介です。

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ひとつめの写真は、パリのパッサージュ。2世紀の時間を経て、モザイクタイルの細やかな装飾が、しっかりと地面にはりついているような感じ。屈曲しながら延々と続くパッサージュの床面を、コツコツと根気よくモザイクタイルを埋めていった職人の労苦が偲ばれます。そのまま場所の歴史を彷彿とさせるような、そんな強い存在感をもっています。

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ふたつめの写真はリスボンの市中の通りから。ポルトガルは石材が豊富な国なので、余った石材を細かく砕いて敷石にしています。勢いよく石を砕いていくのでしょうから、大きさも形もまちまち。それらを埋めていくことによって、できあがった道は波がうねるような表情を見せます。

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無装飾で粗雑なものが創り出す風合い。そんなことをイメージして、かつて「自由が丘の家」では「リスボン風敷石」をこころみました。それが3番目の写真です。材料はモルタルを固めてつくった、鉄筋用のスペーサー。通常は仕上げ材料には使用されることのない端材です。大きさの揃わないサイコロ状のものを、丁寧に埋めていくと、ご覧のような風合いになります。この写真はできあがってから5年ほど経ったもの。苔も生え、石にも負けず劣らずいい味わいを出しています。こんな敷石、いかがですか。値段は石よりもずっとずっと・・安い!でも職人さんは大変ですよね、いびつなものを丁寧に埋めて、なんて注文は。

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桜坂の家.4 ~ガーゴイル~

2007-01-25 21:34:52 | 桜坂の家

ガーゴイルとは、「雨落とし」つまり樋の彫刻のことです。パリのノートルダム寺院には怪獣型のガーゴイルがあり、そこからパリの街を遠望するシーンは有名です。

彫刻というわけにはいきませんが、住宅でも「雨落とし」をおもしろくすることはできないだろうか、とよく考えます。写真のイラストは、僕が学生時代に「自由が丘の家」の習作のためにデザインしたものです。錆びた鉄のガーゴイルから幾本かの樋が伸び、下に置かれたコンクリートの水槽の中に雨が落ちる。水槽には色ガラスが嵌め込まれており、色ガラスを通して、溜まった雨水がゆらゆら揺らめいているのが見える・・・というようなことをイメージしていたものでした。実際にこれをつくると、あらゆる面で問題がありそうですが、そんな遊び心は大切にしたいと思っています。

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「桜坂の家」では、雨水の流れをデザインに取り入れました。樋をつたって流れてきた雨水は、下部にしつらえられたコンクリートの花壇に流れます。道路に面したこの花壇には、住まい手によって季節に応じた草花が植えられています。天の恵みをうけて元気にそだってくれよ、と少々おおげさなことを思いながら、街並みへのささやかな表情にしました。

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カテドラル3題

2007-01-18 19:01:49 | 旅行記

パリ・リスボンの旅から。

頭に2本の塔をもつ建物のシルエットを見て、「カテドラル」という言葉をイメージする人も少なくないように思います。きっと多くの場合、そのイメージの源泉はパリ・ノートルダム寺院のシルエットでしょう。建物の正面にはおおきな広場が面していて、観光客が集い憩う場所にもなっています。

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そんな優美な「カテドラル」の情景も、ところ変われば様子はさまざま。2番目の写真はポルトガル北部の街・ポルトにある教会。スタジオ・ジブリの映画「魔女の宅急便」の舞台にもなった古い街のなかに、この教会は建っています。建物の外壁はアズレージョとよばれるこの地方特有の絵柄タイルで仕上げられています。今ではだいぶ剥落し、石が黒ずみ、広場には鳩の骨がちらほら・・・。ノートルダムとは似つかぬ雰囲気の光景がひろがります。それでも、昼間には広場で少年達がサッカーをし、買い物帰りの主婦が立ち寄り祈っていく。敬虔なカトリックの国の日常の姿があります。

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3番目の写真はポルトガルのリスボン・アルファマ地区にあるカテドラル(風住居?)。市電が走る急な坂道の途中にこの建物はありました。ポルトの教会と同じくタイルで彩られた建物ですが、もうだいぶ古びてきています。その窓にひるがえるのはリスボン名物の洗濯物!この街はホントに洗濯が好きな人が多いようで、どの路地も風になびく洗濯物でいっぱいになっています。でも、そんな生活感がとても愛おしく思えるのです。あたりまえの日常のなかにこそ、幸せがつまっている。そんな気持ちにさせてくれる街でした。古びた街並みに元気な日常の光景がひろがっていきます。カテドラルは、ここに生きている!

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アンドレイ・タルコフスキーの眼

2007-01-14 19:03:16 | 映画

旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの映画を、たまに観ることがあります。難解で宗教色も濃い彼の作品には、宗教美術がいくつか登場します。「アンドレイ・ルブリョフ」に登場するロシア・イコンの数々。「ノスタルジア」に登場するピエロ・デラ・フランチェスカの「出産の聖母」など。

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映画にも登場するそれらの美術品は、現在は美術館のなかで管理されています。美術品の劣化を防ぐという点では、空調・照明管理の整った場所で保管されるのが筋ですが、本来それらは教会や礼拝堂のなかに置かれたものでした。ロシア・イコンにしても、イタリアの片田舎で生涯を過ごしたピエロにしても、その作品が豪奢に飾られることはなく、簡素な礼拝堂のなかにおさめられ、人々の日常のなかに生きていました。アンドレイ・タルコフスキーは映画のなかで、それらの美術を本来の場所に戻しました。ほの暗く、足音がひびく空間。列柱の中を歩み進み、その奥にある一枚の絵に対面する。簡素な窓から絵に静かに光がなげかけられている。

ロシア・イコンにしても、ピエロの聖母にしても、その顔立ちや色だけを観ていると、なにか無表情で宇宙人のような、変な(失礼!)姿をしています。白く塗りたくられた明るい美術館のなかでは、あまり美術品に思いを馳せることができないなあ、とよく思います。ですがこれらの美術品を本来の場所に帰してあげると、きっと慈悲・慈愛の心を静かに物語ってくれるのだろうと思います。

個性など必要とされず、様式が定められていた時代の美術。それらは人々の生活にとって必要な感情を素直に表現した造形だったのでしょう。アンドレイ・タルコフスキーは、そんな時代の造形に光をあてました。個性以前のもの、個性を越えたもの。いろいろな分野で同様の価値は語られますが、僕はそんな美術・造形に憧れをもっています。難解で意味がわからなくとも繰り返しアンドレイ・タルコフスキーの映画を観てしまうのは、そんな憧れもあってのことなのかもしれません。

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有元カレンダー

2007-01-09 22:27:11 | 日々

070109_1 部屋にはあまりカレンダーをかけないほうなのですが、毎年きまったように手元に置いているカレンダーがあります。それは、画家・有元利夫のカレンダー。毎年、新潮社から販売される小さなもの。実用に使うというよりは、ただ、手元に置いておくだけ。

有元利夫は、僕のいちばん好きな画家。38歳の若さで他界した有元の画風は、古典的モチーフをくりかえしくりかえし描くものでした。簡素でいて典雅。作品集だけでなく、製作の苦悩を記した日記と素描集も出版されています。分野は異なるけれど、僕は心から有元を尊敬しているし、越えたいと思う。今年もこのちいさな「画集」を傍らに、ひとつひとついい仕事を手がけていきたいと思います。今年もどうぞよろしく。

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