初めてミケランジェロの作品に対面したのは、ヴァチカンの「ピエタ」でした。周りにぎっしり人が取り囲むなかでは、ピエタのもつ静謐さを十分に感じ取ることは難しかったけれど、思ったよりも小ぶりなその彫刻は、いつまでも見飽きないであろう不思議な雰囲気をもっていました。その表情には感情表現は込められていません。ですから、観る時によって、きっと感じ方が変わるのだろうと思います。
上野の西洋美術館で先日まで開催されていたミケランジェロ展に行ったとき、ピエタを観た時の感情を思い起こしました。今回の展覧会は素描が中心で、展示としては地味(?)なためか、思いのほか展示室は空いていて、じっくりと観ることができました。
ミケランジェロの絵画や彫刻作品を支える、技術的な研究の痕跡。特に感情表現が込められるわけではなく、淡々と手際よくデッサンが描かれています。リラックスして描いた1本の線にも芸がある。そのようなものを目の当たりにすると、天才というのは本当にいるんだなと、溜め息が出る思いでした(笑)
デッサンでは陰影の表現がとても印象的で、それが画面に独特の趣きを与えているのですが、ぼくがもっとも気になったのは、浮彫(レリーフ)でした。
それは「階段の聖母」という邦題のつけられた、15歳の若きミケランジェロが製作した、大理石のレリーフです。
大理石の板でありながら、両手で持って気軽に移動できそうなサイズのレリーフ。それが日常的な室内に置いてある光景を、想像してみました。
ある手狭で簡素な室内の窓辺に、それが立て掛けられているような光景。午前中から夕方にかけて、ゆっくりと窓からの光の雰囲気が変わり、色も変わり、そのなかで、いかにそのレリーフが趣きを変えるだろうか、ということを。画面左方向に無表情な眼差しを向けるマリア像は、さながらフェルメールのような光を受けて、どのような表情に感じられるのだろうか。
時間帯によって、光によって、喜びの表情にも見えたり、悲しみの表情にも見えたりするのだろうか、まるでジョルジョ・モランディの静物画のように。
絵画やデッサンは、あらかじめ光や陰影が表現されています。ですがこのレリーフは、石の凹凸そのものです。光があてられることで、おのずと陰影も浮かび上がります。大きな室内で、彫刻の廻りをぐるぐると360度から鑑賞するのではなく、簡素な室内に置かれている、慎ましやかな聖母子像のレリーフ。そんな在り方に、静かな感動を覚えました。ぼくにとっては、ヴァチカンのピエタよりも「効いて」くる体験でした。