ゴリゴリ、ゴリゴリ。そんな鈍い音をたてながら、鉄筋が上下左右に組まれていきます。「東山の家」の現場の光景。
木造住宅の棟上げは、材木を一気に組み上げていくので、家が一気に形になっていく独特の高揚感と華やかさがあります。
一方で鉄筋コンクリート造の建物の現場は、1階分ずつの壁の型枠を建てこみ、鉄筋を組みながら、ゆっくり徐々に形が現れてきます。コンクリートを打設したら、上の階の作業へ。そんな風にして粛々と進んでいきます。冬の空に鉄筋を伸ばしながら、1階の窓の位置が徐々に姿を現してきました。この住宅は、茶室のある家。本来は木造である茶室とは異なり、コンクリートの厚い壁を通して自然光がはいってきます。コンクリートという頑強な構造体であっても、場所の雰囲気をつくる自然光は、やわらかく親和的なものにしたいと思います。そのために窓の配置やプロポーションを吟味してきました。重心の低い窓。障子を通した光。
今月の芸術新潮で、「沖縄の美しいもの」という特集とともに、いくつかの美しい写真が掲載されていました。民芸的なものであるのだけれども、撮影時の程よい光のなかで、素朴な事物が内側からぼぉっと光るような美しさをもっているように感じられました。日常の生活道具が、そんな風に美しく浮かび上がる空間をつくりたいと、つくづく思います。フェルメールの絵画のなかの、自然光に照らされた事物のように、日常のなかにこそ美しさがある、というような。
同じ本のなかに、ある工芸作家のコラムがありました。四畳半の茶室を工房として、製作に励む姿の写真。にじり口の前に小机を置き、開け放ったにじり戸と連子窓からの自然光のなかで、象牙をカリカリと彫刻刀で削る姿は、とても趣がありました。本来の部屋の用途は茶室なのでしょうけれども、こじんまりとした美しい工房に見事に変貌しているように感じました。あるときは茶室。またあるときは工房。美しい光のある場所は、いろいろな使い方ができる懐の深さがあるのかもしれませんね。「東山の家」に、そんな懐の深さが宿ってくれることを思い描きつつ、今年の現場を終えました。
どうぞ、良いお年を。