大河ドラマ「龍馬伝」を観ていると、その映像の美しさに引き込まれます。少し粒子の荒れたような、青みがかった空気感。その中に浮かび上がる幕末の武家屋敷。白砂の庭から濡れ縁、畳、敷居を挟んで奥へと続き、最後に床の間が控えている、といった按配。身分の違いがそのまま座る場所に表され、床の間は、いわば権威を誇示する背景のような存在、といった雰囲気です。身分の序列関係が示されるための場所というのは、映像で観ると緊張感のある美しさにはっとさせられる一方で、居心地の良さとはあまり関係がなかったのかもしれません。
日本の住宅の造られ方を、遠く昔からずうっと振り返ってみると、ゆっくりとした変遷があることがわかります。大雑把に言ってしまうと、南向きの部屋は「儀礼」のための空間。お客さんと会うのは南側に面した形式的な場所でした。その裏の北向きの部屋にに、日常生活を過ごすための場所がありました。
それが、時代を経てだんだん変わっていきます。
古人のなかに、こんなイメージがあったのかもしれません。人と人が面と向き合って、じっくりと話をする場所としてふさわしいのは、実は北側のひっそりとした場所なのではないか、もっと言えば、よりこじんまりとした親密な雰囲気の場所であるべきなのではないか。明るすぎることもなく穏やかな光に満たされた室内。障子の額縁で切り取られた外の風景は、順光に照らされた美しい庭。それを見ながら話をした方が楽しいに決まってる。
禅宗的な含意に沿いながら、そんな風にして「直心の交わり」を大切にしていった結果、やがてそれは茶室につながっていくようです。それは、物事の形式的な関係から、心の問題へと深く移行していく過程だったのだろうと、そんな風に思うのです。
龍馬の時代の後、歴史の表舞台では、欧米列強と比肩するために、より形式的で壮麗な建物が多く造られましたが、その裏側で粛々と、簡素で素朴な、居心地の良い場所づくりが伝えられてきたのは、喜ばしいことですね。その先っぽのところに、たとえば僕が設計してつくる窓辺のコーナーやテラスがあるという風に想像すると、遠く昔につながっているようで、ちょっと楽しい気分にもなります。
上の写真は、京都御所の紫宸殿と、修学院離宮の楽只軒。時代は違えど、どちらも「縁側付き」住宅です。縁側にころがって、ミカンでも食べながらぽけーっとしたくなるのは、やはり修学院離宮だなあ、なんて、叶わぬ夢ですが(笑)